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ある少年のはなし 5

 聖都は厚い雲の壁に守られていると言う。それは本で読んで知っていた。けれど読んだだけなのだ。それがどのくらい厚いのかも、どんな高さなのかも、どんな色をしているのかも、サーシャは知らなかった。

 彼は今、初めて見る雲の壁に大変興奮していた。

 ここまで来る間も、光の集落にはいない動物を沢山見た。銀色以外の髪の色を見たし、青くない瞳も初めて見た。光の神族はみな銀髪に青い目で、濃淡の差はあれど違う色が混じることはないのだ。

 さっきまで泣いていたことなど嘘のように、サーシャは笑顔だった。歩いているのがもどかしいと、空を飛びたい気分だと、走る。脚が軽い。


 雲の壁に、通り道のような隙間はない。それならば、どうやって人は出入りしているのか? 答えは簡単だ。雲の壁には、何かが通ることを阻むような力はない。ただ普通に、歩いて通り抜けてしまえばいいのだ。

 巨大な雲の圧迫感、威圧感を感じながら、サーシャは足を止める。そして、すう、はあ、と深呼吸を繰り返し、乱れた息を整え、一歩を踏み出した。

 とたんに、ぶわりと引き込まれるような力を感じる。生暖かい空気が、サーシャの肌を撫でる。少しだけぴりぴりとした魔法の力を感じたが、それがなんの魔法かわからないくらいに弱い。初めてのその感覚に、サーシャの頭は止まったようになる。それでも足は動く。まるで、自分の意思とは関係ない、何か別の力がそうさせているかのようだった。


「……は、ぷはっ……抜けた……っ!?」


 雲の壁を抜けると、サーシャは驚きと興奮で、息が止まった。沢山の人、建物、色、声。目が回りそうなほどだ。

 きょろきょろと辺りを見回す。目の前の大通りの先には、巨大な城がそびえ立っていた。。見たことのない食べ物を売っている屋台では長い金髪の少女が並んで、自分の順番を待っている。サーシャのすぐ側を、小さな女の子二人が駆けていく。重い木の扉が開いて、薄い金の髪の少年が出てきた。手にしている包みは形からして武器の類だ。

 威勢の言い呼び込みの声、笑い声、どこかの家から流れてくるご飯の匂い。大通りを人が行き交う様子。見ているだけで、サーシャはうきうきとしてきた。そして、前にミアータに言った自分の夢を思い出す。いつからか、そんなことを考えることもしなくなっていた。


「俺は、そうだよ、世界だ。世界が見たかったんだ」


 思い出すと、止まらない。聖都を見ただけじゃ物足りない。サーシャは大通りに入っていく。人ごみに押されるように、当てもなく、どこへ行くのかも知らずに歩く。

 興奮で真っ赤になった頬と、きらきらと輝く瞳。自分を認めてもらえずに腐っていた少年はもういない。サーシャは、自分の本当の在り方を見つけたような気がしていた。


 無意識に大通りを歩いて辿り着いたのは、先ほど大通りの入り口から見えた城の前だった。初めて見る大きさの建物に、サーシャはポカンと口を開けて見上げる。


「そういえば、王様ってここに住んでんのかな」


 サーシャは王を見た事がない。聖都の雲の中に住む者なら見たことぐらいあるだろうが、王はよほどの事がない限り雲の外へは出ないという。それは王の身を守るためでもあるし、王が雲の外へ出たなら、それは何かが起こったという合図になるのだ、らしい。本で読んだことでしかないから、本当のことかどうかサーシャにはわからない。

 いつか自分は王に仕えることになるのだと、どこか遠いことのように、しかし当たり前にサーシャは思っていた。いつか仕えるのなら、世界を見ることすら諦める価値があるのかどうかを見てみたい。王に直接あって、話をしてみたい。

 けれどどうせ無理なのだろうなあと諦めながら、城の一番高い塔を見上げる。サーシャにはそんなことしかできないのだ。中心にそびえる塔は、空を切り裂こうとしているかのようで、少し恐ろしい。

 太陽が真上に来ている。そろそろ昼かと思うと、とたんに空腹を感じた。くるりと後ろを向き、来た道を戻ろうとする。そんなサーシャの目の前、焦点が合わないほど近くに、大きな何かが突きつけられていた。


「動くな。貴様、何者だ。王の居城の前で何をしている」


 驚きながらも、サーシャは目だけを動かしてそこにいる誰かを見た。

 そこにいたのは、白に近いほど薄い金髪の、サーシャとそう年は違わないような少年だった。背後では濃くて長い金髪の小柄な少女が、怯えたような顔をしている。突きつけられているのは、どうやら彼の身長をも越すような大剣であるようだった。一応鞘に収めたままなのが救いかもしれない。


「お、俺は、光の一族の、サーシャだ。光の集落から来た」

「光の一族……? ふむ、確かに見慣れない服装だな。聖都の雲の外から来たので間違いはないだろうが……なあエウレカ。何か知っていることはないか?」


 少年が、紫色の瞳を後ろの少女に向ける。しかし大剣の切っ先はサーシャに向いたままだ。エウレカと呼ばれた少女は、大きな桃色の瞳をサーシャに向ける。不思議な長い衣服は、確か知の都のものではなかったろうかとサーシャは思った。

 エウレカが少年を見上げて口を開く。


「光の一族は、ここから南にある光の集落に住んでいる神族だよ。銀の髪に青い目、特徴も一致してる。この世界では、王様以外で唯一光を操る事ができる一族だね。それから、王と同じく集落から外にはあまり出ないはずなんだ。彼らが外に出るっていうのは、何かが起きた証拠……ねえ、君。もしかして光の一族に何かあって、王様を頼って来たの?」


 エウレカの言葉を聞いて、少年の目つきが少しだけ穏やかになる。口には出さないが、そうなのかと問われているのがわかった。しかしサーシャは返答に詰まる。彼がここにきたのは、ただの家出なのだ。たいそうな理由もないし、それっぽいこともない。しかし嘘をつくわけにも行かない。ミアータやブルーノが外に出るなといい、集落が壁で囲まれていたのはそのためかと今更ながらに知る。

 家出だと正直に言えないわけではないが、言った後の事が怖い。未だに大剣は突きつけられているのだ。今までにないくらい考えて、考える。そしてやっとのことで言葉を搾り出した頃には、少年の目つきはさっきまでと同じ、刺々しいものに戻っていた。


「王様を見てみたくて」

「は?」


 少年が、初めて人らしい表情を見せた。心の底から驚いたような顔。予想外の返答だったのだろう。しかしそれも一瞬で、すぐに険しい顔に戻る。しかしなぜかエウレカが少年とサーシャの間に入り、少年に目配せをした。それに気付いて、少年は今までずっと掲げていた大剣をやっと下ろした。

 エウレカがほっとしたように息をついて、サーシャに向き直る。話を聞かせて欲しいと言う。

 どうやらこの二人は、それぞれ役割分担をして行動しているらしい。


「どうして王様を見てみたいと思ったの? 君は光の一族なんだから、いつかは見られるはずだよね」

「あ、えっと、それは……俺、長の息子で、長男で。だからそのうちきっと、長を継ぐんだ。弟と一緒に。このままだったら俺は一生光の集落で王様のために生きることになるけど、でも、俺は世界を知りたいんだ」


 聖都まで自分の足で辿り着いて、沢山の人を、今まで見たことのない物や動物を見て、世界がこんなにも続いていることを、もっともっと広いことを知った。本で読んだだけの世界などつまらない。自分の目で、耳で、鼻で、体全体で、サーシャは世界を感じたいのだ。

 その夢と王を守り仕えること、どちらが重要なのかはサーシャにはわからなかった。どちらも同じように彼の中では大事で、そして大部分を占めることだったのだ。

 サーシャはエウレカとその後ろの少年に。そのことを必死で伝えた。彼らは怒るでもなく呆れるでもなく、ただ黙って聞いていてくれた。サーシャは、自分の思っていること、考えていることの全てをわかってほしかった。そしてやっと話し終えると、エウレカの後ろの少年が口を開く。


「エウレカ、お前の家に行こう。いつまでもここで話し続けるわけにも行かないだろうし。サーシャと言ったな。お前も来い」


 少年は大剣を背負って歩き出す。サーシャの来た大通りとは違う、細い路地だ。エウレカがサーシャの手を引いてそれに続く。サーシャはといえば、可愛らしい少女に手を引かれていることで頭がいっぱいで、何とか平静を保とうと必死の努力をしていた。

 何度も角を曲がり、来た道を戻りして、街と雲との境に辿り着く。そこには巨大な樹がどっしりと構えていたが、幹の向こう側と上のほうは雲の壁の中だ。まさかと思い、二人を見る。


「まさかって顔してるね。そのまさかなんだけど」

「ここがエウレカの家だ。こいつも何かと訳ありなんだ、深くは詮索するな」

「お、おお……すげえな、樹に住んでるのか」


 街から見て幹の裏側、雲に隠されたところに梯子が立てかけてあり、三人はそれを上って鳥の巣のような丸い家に入る。中は大量の本や薬草、なんだかよく分からないものたちで歩く隙間もないほどに散らかっていた。


「エウレカ。掃除はこまめにしろとあれほど……」

「これでも綺麗なほうだよ。……じゃあサーシャ、何の話から聞きたい? 勿論、王様のことも教えるよ」


 床に散らばる様々な小物をどけて空いた空間に、三人で向き合って座る。きょろきょろと辺りを見回していたサーシャだったが、エウレカの言葉を聞いてばっと彼女を見た。少しの間が空く。世界のことを聞きたいが、この少女が知っているわけもないだろう。


「じゃあ、王様のことを知りたい」


 エウレカと少年が、ちらりと目配せをした。

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