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風の行方

作者: 藤崎悠貴


   風の行方


 紺色のプリーツスカートが海へ向かってなびき、合わせて白いセーラー服の裾が、おかっぱの髪が、すっと伸びた腕が、子どものように丸っこい指が、潮の匂いを含んだ凍るような風に揺れている。

 両足を肩幅に、砂浜にすっと立って、背筋もよく。

 風は止むことなくスカートを揺らし、黒いタイツを穿いた足はか弱くも立派に、白波を現わし際限なく押し寄せる大洋に立ち向かうよう。

 左手には、涙がしっとりと染みたような深い茶色のバイオリン、右手にはいくらか毛が散らばった長い弓、ほんの細い毛先が風に揺れて海へ向かうのに、きゅっと握られた手は指先まで白い。

 彼女は小首をかしげるように、バイオリンを構えた。

 弓先が舞い、ぴんと張った弦に触れるや否や、悲鳴のような音が響く。

 切々と高音が鳴いたと思えば、突き放すようにぴんと途切れ、うなるような低音、潮騒に負けぬよう、襲いかかってくる暗い心に負けぬよう、無窮の空へ沖する。

 ふと、嗚咽のような途切れがち、音がびりびりと響いて、弓が跳ねる。

 落涙しているのである。

 作り物のような頬を伝って落ちる涙は、見渡す限りの海原に比べてなんと儚いことか、貴いことか。

 彼女はその曲に、「自由」と名づけた。

 いつかこの音色があらゆる心から解き放たれますように、いつかこのわたしがあらゆる音から解き放たれますように。

 彼女のスカートを揺らす風は、そのまま激しい音を上空へ、渡っていく鳥たちと並んで海の果てを目指す。

 無数の鳥たちは青い空、羽音も立てず、嘴を鳴らし、唄いながら濃紺の海を見下ろしている。

 やがて休む島もなく、空は薄闇、炯々たる星空の下、滑空するように羽根を並行、何羽か滑っていく。

 彼らの黒い目が見上げる空にはいくつ星が輝き、月はどんなふうに歪むのか、ともかく飛び立った以上進み行くしかないのだ。

 一羽が寂しげに鳴くなら、ほかが勇気づけるように唄う、その自由の歌は力強く、あまりにも広い世界で彼らにだけ響く合図である。

 夜が去り、赤々と燃える太陽、東の空に見えたと思えば、もう頭上はるか。

 西へ暮れ、また暗い夜。

 ときには恐ろしい暴雨が翻弄し、乗り越えれば凪ぎが待つ。

 向かい風には楽をして、追い風には飲み込まれ、凪げば自らの力で進んでゆくのみ、立ち止まることはない。

 羽ばたけば宝石のようにきらめく羽根が舞い、海のどこかへ飲まれて消える。

 先は見えぬ道でも、引き返す道もない、どこまでも青い海と空のあいだを必死にもがき、やせ細ってふらふらと枯れ葉のように舞うなら、ようやく青々と茂る島が見えてくる。

 ゆっくりと降下してゆく彼らに振る手もなく、自由の歌は風に舞う。

 温かな海を越えれば、気楽な旅である。

 向かい風には逆らわず、やがて吹く追い風に乗り、ふわりふわりと幾千の昼と夜、時空を越えてゆけば、どこからきたものか、鮮やかな黄色い花びらがひとひら。

 しばらく寄り添って、ふと見下ろせば、穏やかな海の果てである。

 温暖な風に乗って降り立てば、天かける橋のように海へ突き出した桟橋に、浅黒い肌の少年がひとり、足先を生温い海水へ浸らせ、ふと風の出所を見やった。

 Tシャツの袖を揺らす風は吹き抜けたが、少年は気楽な様子で歌を口ずさむ。

 むかしむかし、ある女性が作った歌だとしか少年は知らない。

 いまでは世界中のだれもが知る、とてもやさしく、自由な歌。

 異様な高音も不協もなく、人間にそっと寄り添って、触れようとすれば笑いながらすり抜けていくような、不思議な歌。

 調子外れに歌ううち、少年の父親がやってきて、彼は立ち上がった。

 ちいさなさざなみ、ゆったりと波打つ南国の海をちらと撫で、風は去ってゆく。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 美しい文章。 手を引かれ、旅に連れられたような気になりました。
[一言] 女の子が海辺で涙をこぼしながら作ったメロディが、そこで生まれた風と一緒に旅をする……。 素敵です! こういう広がりのある作品、童話にふさわしいと思いますよ。
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