第三章
夕凪とはこの事だろうか、風は無く、昼間に30℃以上に熱せられた空気が放熱しきるのにはまだだいぶ時間がかかりそうだ。こんな時間帯は家でゴロゴロしているのが一番良い。傍らにポテトチップスがあるとなお良い。
徒然草的な心情の夏休み初日の夕方、テレビのバラエティー番組をリビングのソファーからぼんやり眺めていた。司会者と芸能人が数人いて、ゲストの俳優の衝撃告白を笑う、という至って普通の人気番組だ。
冷房で乾いた喉を麦茶が潤す。体重をソファーに預けて、サクラの笑う声をぼんやり聞いていると、眠くなってくる。
と、突然電子音とともに急に臨時ニュースに切り替わった。
「――――『アメリカで大規模軍事テロ発生』? また物騒だわねぇ」
夕飯の支度をしながら母さんが他人事のように呟く。
「あー、そーだなー……」
生返事を返してテレビを見る。
画面は米空軍の基地を映している。戦闘機、爆撃機、輸送機など様々な軍用機が飛び立っていく。
見ている中でも数十機が去っていく。まるで一つの意思を持った軍隊だ。
画面が変わって、ホワイトハウスの会見が映される。カメラのフラッシュがすごい。大統領は視聴者をパニックにしないよう、柔らかな表情で話している。途中で副大統領と何度も耳打ちが交わされる。
どうやらアメリカ政府は各国に非常事態宣言を勧告したようだ。
――――それは平和な日常が終わる予兆でしかなかった――――
何十分、いや、何時間見ていただろうか。
部屋で2ちゃ○ねるでも見よっかなぁ……と部屋に戻ろうとした時、母さんに止められた。
「アンタ、いつまでゴロゴロしてんの? 夏休みの宿題は?」
「うっさいなぁ、別にいいだろ?後半になってからで」
「毎年そう言って最終日に徹夜してるじゃない」
――――……うるさい……
自分の部屋に戻ろうと階段を上るとインターホンがなった。
「はーい」と母さんが向かう。
ガチャッとドアが開いた瞬間、殺気が辺りに満ちた。母さんの上段回し蹴りがお客様の側頭部に炸裂する……かと思ったら、その客は右手で野球のバントの要領で衝撃を吸収していた。俺の冷や汗を返せ!
「って、父さん!?」
「帰ってくるなら電話ぐらいしなさいよ!」
「いやぁ、こうサプライズ的な感じで」
サプライズじゃねーよ!
「全く……てっきりどっかでノタレ死んでると思ってたわ……」
――――って、どんな夫婦だよ!
「……博志、」
「なんだよ、急に」
「日本防衛を、やらないか」
「――――……は?」
§
トンネル内の暗闇に黄色いナトリウムランプが次々と後ろに流れていく。
「って、ここどこ!?」
「『HIMMEL』。」
端的かつ冷淡に響く。ハッとして運転席の父さんを見ると、袖に銃と盾の描かれたエンブレムがついている。
「な、何? 何なんだよ……?」
「第四軍隊《the Fourth Force》って聞いたことないか?日本国陸上・海上・航空自衛隊に次ぐ第4の事実上戦力。自国防衛のための戦闘を唯一の目的とした組織。最新の兵器と少数精鋭の戦闘員を集めた最強の秘密部隊。主に空からの攻撃に特化している」
流れるように父さんの口から言葉が出てくる。
……軍隊? でもなぜ父さんが……?
ふと気が付くとさっきから長い左カーブが続いている。
「ここは元は放射性廃棄物の地層処分予定地だった。でも、工事の途中で市長がリコールされて、計画は破棄。残った地下掘削跡を改装したのがHIMMEL。まぁ、地下200mにある南北約3kmの要塞ってとこだな……」
車を停めて、建物内に入る。艶消しホワイトの壁とグレーの現代的なデザインの照明。近未来SF映画のワンシーンを思い出す。拘束されてないだけマシってか……
どのぐらい歩いただろうか。1つの部屋の前で立ち止まる
と、シュッと自動ドアが開いた。
いくつものモニターや電子機器に囲まれて、一人の初老の人が座っていた。
「うむ、よく来たな。君が如月博志君だな。さぁ、入ってくれ」
威厳を感じさせられるよく通る低い声。
「篤志君からいろいろとデータはもらっていたが、君ほど適合した人材はいないと言っても過言ではない。なにしろ最年少大尉の実の息子だからな」
そう言われて振り返ると、いつの間にか父さんの姿は無かった。
「私は海神雲雀だ。少将を務めている。以後宜しく。」
――――なんだか威厳がそのまんま名前になったようだ。
「さて、本題に入ろうか。君も知ってのとおり、この大規模軍事テロに対し、アメリカ政府は非常事態宣言を出した。この脅威は最早世界規模に広がる可能性は少ないとは到底言えない。日本本土が攻撃されるのも時間の問題だろう。
そこで、政府の秘密裏に開発されていた『SHIZIN(四神)』と呼ばれるバトルスーツに搭乗してほしい。私達には君が必要なのだよ。……手伝ってくれるかね?」
「ち、ちょっと待ってください!俺は戦争に巻き込まれるんですか?!」
「心配するな、一時的に従隊して訓練を受けてもらうだけだ。もちろん、外出も許可されている。緊急時に召集されるだけだ」
「いや、しかし……」
「吉岡上等兵、案内を頼む」
すると、自動ドアが開き、同年代ぐらいの少年が入って来た。
「上等兵、よろしく頼むぞ」
「了解しました。――こっちだ」
少年が手招きしている。
大佐に一礼して部屋を出ると、上等兵と呼ばれていた少年が心配そうに話しかけてきた。
「少将、怖かっただろ?」
「……へ?」
「あの人、怒るとヤバいらしいぞ……ウワサだと、片手で相手の拳を潰せるらしいぜ!」
――――そ、そうなんだ……
「おっと、俺は吉岡悠真。一応上等兵やってる。そっちは?」
「あぁ、如月博志です、よろしく……」
「んな堅苦しいのは抜きにしようぜ?確か同い年だろ?まぁ、俺の方が誕生日早いからセンパイなんだけどな」
「お、おぅ……」
「んじゃ、とりあえず案内頼まれたから……まずは格納庫だな」
「あ、あぁ」
「説明は歩きながらするから。ほら、行くぞ?」
「ちょ、ちょっと待てってば!」
§
長いエレベーターと何重もの生体認証を通り、着いた所はやや小さめな扉がついた部屋だった。
「さぁ、手のひらをそこに」
言われて、手の形にへこんだパネルに手を当てると、ピピッと音がして重い扉が左右にスライドしていく。
一歩踏み出すと、そこには見上げるほど高い天井と、壁一面に張りめぐらされた配管。そして空間の中央に、灰色をした人の形に似た機械があった。
「これがお前専用の機体だ」
「す、すげぇ……」
「高さ10m、全重量約50t!最先端技術の結晶だ!」
その巨体は、ハロゲンランプの強烈な照明に照らされて、金属の表面を後光のように輝かせていた。
大きい。そんな言葉しか出てこない。目の前の巨体の迫力に圧倒されて、声を出す事も忘れて、ただただ見上げていた。
ふと見ると、右手にこれまた巨大な銃を握っている。
「あぁ、あれは標準装備のアサルトライフル。弾薬は5.56mmNATO弾を模した形の装弾筒付徹甲弾APFSDSを使用、弾丸径は113.8mm、全長287.0mm、薬莢だけでも223.5mm!デカい!侵徹体は、日本では劣化ウラン合金の反対派が強くて、タングステン合金が使われてる。侵徹力は距離2000mだと、均質圧延装甲RHA換算で約500mmだってさ~」
なにやら悠真が興奮してうるさいが、気にしないでおく。
「――――おーい、聞いてんのか?」
悠真に肩を揺すられて、ようやく我に返った。
「ったく、せっかく人が説明してやってんのに……」
――――説明が細かすぎなんだよ!
「まぁいいや、あとは教官が教えてくれるだろ。あ、お前の機体番号は0-0075だからな、間違えんなよ?」
「はいはい」
「んじゃ、次は食堂だな!」
「え、ちょっと休ませてくれよ――――!
§
一通り施設を見学して、最後に自室に案内される途中。
「う~、もう歩き疲れた……」
「そんなんじゃすぐに除隊だぞ?」
「いや、俺は自ら希望して入ったわけじゃないから……」
「そっかぁ、このご時世なかなか入ってくる人少ないけど、無理矢理だったんだ」
「んまぁ、とりあえず夏休みだけっていう契約だからね……」
「いやぁ、絶対帰る時は寂しくなるって~」
そんな会話をしながら廊下を歩いていくと、
「悠真、どこに行ってたかと思ったら新兵の案内? つくづくアンタもお人よしねぇ」
聞き慣れた声がした。
「――咲季!?」
「はじめまして、そして久しぶり。同じく上等兵、篠原咲季よ」
§
2020年7月15日、国連の決議に基づくテロ対策を援助するために、アメリカ某空軍基地から輸送機とその護衛機が発進する。90人乗りの輸送機の約半分を物資などが占めていた。
大西洋海上上空に達した時、護衛機から突然無線が入った。
『?! 高速接近する機影3を確認!方位230、距離7000、速度2400!』
「に、2400!?」
緊張がはしる。こちらの護衛は2機しかいない。
『敵機、急速接近!』
無線で未確認機に警告するが、指示に従うどころか応答すら無い。
『交戦許可を!』
「了解した、射程に入り次第、即時戦闘行動に移れ」
編隊を組んでいた戦闘機が鋭いジェットエンジンの音を響かせて飛び去っていく。
彼我の距離は3000m。互いの戦闘機から赤外線誘導ミサイルが次々に発射される。計数十発のミサイルの白煙で満たされた空間を高熱の機銃弾が切り裂く。
バレルロールでなんとか切り抜けた護衛機の後ろには既に敵機が張りついていた。
「くそっ……!」
失速を利用した急旋回でミサイルのロックオンを外す。命拾いした……と思った瞬間、背後で爆発音がする。目標を失ったミサイルがもう一機の護衛機に当たったのだ。まるで、“そこまで計算のうちに入っていた”かのように。
さすがに1対3では分が悪い。2機に挟み撃ちにされた。赤外線欺瞞金属片チャフを散布しながら急旋回する。体にかかるGで意識が飛びそうになる。追ってきていたミサイルがチャフで爆発する。
ホッとした刹那、目を見張った。
真正面に敵機。
しかし、目の前にあったのは思いがけない光景だった。コックピットには誰もいなかったのだ。
「――――ッなっ……!?」
なすすべもなくミサイルと機銃弾を受ける。緊急脱出する間も無く燃料に引火した。
「む、無人機だと!? ――――お、おい、応答せよ!」
オレンジ色の火球が黒煙とともに墜ちていき、空中で爆発する。
輸送機には戦闘兵装は全く無い。護衛あっての輸送なのだ。護衛機がいなくなり、戦闘機の恰好の獲物となった。多少頑丈に出来ている機体もミサイルの直撃弾にはかなわない。
輸送機は攻撃を主翼と機体に食らい、地上の管制レーダーから輸送機の機影が消失した――――