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第一章


 太陽はなせ東から登るのかと問われれば、それは地球が西から東に自転しているからであり、由緒正しい地動説で裏付けられる。

 カーテンの隙間から朝日が射し込み、部屋の中の埃がチンダル現象で煌めく。その光は棚の上の写真立てで小さな陽だまりを作っていた。数年前の物だろうか、軽く色褪せた写真には子供とその両親が写っていた。おそらく花見に来ていたと思われる、背景には桜が一面に咲いている。

 唯一不自然なのは、父親であろう男性が、左手首にリストバンドをしていることだ。何かを隠すかのような違和感を感じる。

 

 部屋の主である少年は一向に起きる気配は無く、時刻は非情にも刻まれていく。鳥の声で起きる、なんて贅沢な物はなく、向かいのゴミ集積場にたかるカラスぐらいだ。

 ほのぼのとした空気に反して残酷なアラームが部屋中に鳴り響く。反射的に手を伸ばし、叩きつけるようにアラームを止める。枕元に置かれた目覚まし時計は無念そうに黙りこむ。

 

(うあぁ……寝起き悪ゥ……)

 俺は、朝は一年中苦手だ。別に低血圧とかいう訳ではない。主な原因はゲームだと自覚している。まあこれでも一応、容姿は気にする方だが、中学校時代は周囲からオタク扱いされ、全くモテなく恋愛経験は皆無だ。

(でも、それも昨日まで……)

 そう、今日は入学式、今日から高校生!

 

  §

 

 俺たちは2020年度入学生。『如月博志』と書かれた靴箱に靴をしまう。期待に胸を膨らませながら階段を駆け上がる。

 一年生は最上階の5階で息が切れてしまった。これは遅刻したら大変だろう、登校時刻は余裕を持とうと心に留めておく。

 携帯電話の時計で確認すると、まだ着席時刻にはかなりあった。どうやら来るのが早すぎたようだ。

 ガラリと教室の扉を開ける。目に入ってくるのは空席ばかり。

(しまった、入学初日から待ちぼうけかよ……)そう思って目を上げると、朝日が差し込む窓際に

 

 ――一人の女の子が立っていた。

 

 印象的な逆光の中に佇む彼女は、腰のあたりまで伸びた髪と整った顔がかなりの可愛いさだ。『実はモデルだ』と言われても誰も疑わないだろう。少し開いた窓から朝の風が吹き込む。少女の長い髪を揺らし、心地よい香りがふわっと広がる。

「きさらぎ……ひろし君、って読むのかな?これ」

 ふいに声をかけられた。

「あ、あぁ」

「これから、よろしくねっ」

 ――……か、かわえぇ……!

「あ、うん、こっちこそ」

 配布された座席名簿を見ると、篠原咲季しのはらさきと書いてある。

「『博志』、か……ねぇ、ヒロって呼んでいい?」

「ん?あ、あぁ」

 恋愛経験ゼロの俺が目の前の美少女にぼーっと見惚れていると突然、咲季が話しかけられた。

「お、なんか賑やかだねェ、入学早々から逆ナンですかァ?」

「バ、バカっ、そんなんじゃないわよっ!」

 親しげに話しかけてきた女の子に咲季は真っ赤な顔をして反論する。

「あたしは中学で咲季とおんなじクラスだった水嶋愛みずしまあい。よろしくね」

「そうなんだ。こちらこそよろしくな」

 この元気な女の子もかなりの美少女。身長は篠原さんより少し高いぐらいか。ポニーテールが特徴的だ。

 

 銀色のサッシに切り取られた外の風景は、くらくらするほど光に満ちていた。少しでも太陽にあたろうとする若葉の緑とずっと見ていると吸い込まれてしまいそうな空の青が頭の中で混ざりそうになる。

 最近、校舎を建て替えたらしく、学校は綺麗な雰囲気だ。

 ここ、県立海陽高校は名前のとおり海の近くにあり、環境がいいと人気の高校だ。

(まぁ、近くと言ってもすぐ隣なわけでもなく、5階の窓から遠くに見える程度なんだがな……)

 こうして俺の波瀾万丈の高校生活が始まった。

 

   §

 

「はぁ、疲れた……」

 今日は実をいうと早く家に帰りたかった。父さんから入学祝いのeメールが来るからだ。俺の父さんはアメリカでコンピュータ関連の仕事をしているらしい。らしい、というのは、年に数回、eメールでやりとりするだけだからだ。俺が物心ついた頃にはもういなかったから、もちろん、顔など覚えているわけがない。

「ただいま~」と部屋に入り、早速パソコンをチェックしてみる。

「お、来てる!」

『入学おめでとう。』から始まるメール。

 ニューヨーク市街の夜景の写真が添付されていた。オフィスから撮ったものだろうか。夜空に浮かぶ幾億もの恒星をかき消して、それぞれの照明が存在を主張している。その一つひとつの灯りの下に、またいろいろな人が集っていることをしみじみと感じる。

 返信画面に切り替える。

『ありがとう。こっちは元気です。もちろん母さんも。』

 さすがにこれだけは寂しいか、と思って、数行書く。

『送信』をクリックする。初日は緊張でムダに疲れちまったなぁ、と長い溜め息をつく。

 あー、宿題やんなきゃ……と机に向かうが、なかなかやる気が出ない。いや、やろうと思うからやる気が出ないんだ。ということは寝ればいいんじゃないか……?

 そんな馬鹿な事を考えながら、ドカッとベッドに倒れこむ。ボーッと宙を眺める。

(……………――――)

 そうしているうちに、いつの間にか本当に眠ってしまっていた。

 

   §

 

 バスを降りると、そこは喧騒に満ちていた。車のエンジン音、クラクション、人々の話し声――――

 しかし、いつもは気になるそれらも、今はあまり耳に入ってこなかった。緊張で手汗をかいているのがわかる。これは普通の任務とは全く違う。なにしろ報酬が10倍以上だ。

(司令部が何をしたいのかなんて知ったこっちゃねーが……)

 歩道は行き交う歩行者で溢れている。これならすれ違う人の顔なんて覚えていないだろう。

 スマートフォンを取り出す。しかし、中身はただのスマートフォンではない。携帯電話回線ではなく、あえて無線LANのサーチをかける。と、すぐに目当ての無線LANのルータがヒットした。――――米軍の軍事ネットワークの最下端。

 すぐにアプリケーションを起動させる。WEPキーのクラッキングソフトだ。街灯に寄りかかって待つこと数十秒、間の抜けた音がして解析結果が表示される。文字列をコピーして認証パスワードに入力すると、簡単に侵入できた。

 もう一つのアプリケーションも立ち上げる。かなりメモリを使用している。ただ重いのは中身だけらしく、起動は速い。

 5日前、司令部から渡されたこのスマートフォンには音楽もビデオも無く、ただこのアプリケーションが2つあるだけであった。

(おそらく、このアプリケーションは俺のあずかり知らない誰かさんが作ったんだろうな……)

 デザイン性は皆無で、ただ『Enter』と書かれたボタンだけ。それを指先で軽くタップする。

 サーッと黒地に緑色の字が目にも留まらぬ速さで流れていく。その時、無線LANには大量のデータが送信されていた。一つ一つでは全く意味を持たない文字が、文字列となってほぼ光速で広まっていく。

 ネットワーク上にある全ての端末に自らのコピーを置いていき、そこでじっと待つ。タイムアウト性の『トロイの木馬』型のコンピュータウイルス。指定された時間までプログラムの中に潜み、時間になるとそこから一気にコンピュータに攻撃をかける。大規模な混乱を起こすにはぴったりだ。

 画面にはデータ転送量と所要残り時間が表示されていた。百分の一秒の所がめまぐるしく変わっていく。

 辛抱強く待っていると、『ピッ』という音とともに残り時間が0:00:00になる。残った任務はその場から立ち去るだけだった。

 道路を渡ると、タイミングよく帰りのバスが来た。

(こんなことも計算に入っていたのか)

 深く座席に腰掛け、大きく深呼吸をする。ドアが閉まると、喧騒も少しはマシになった。

 周りを見回す。おしゃべりをする女子高生、つり革につかまっているサラリーマン。

 急に普通の青年に戻った自分がなんだか皮肉に思えて、思わず窓の外を向いて微笑んでしまった。

 


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