プロローグ
この物語のシナリオ・設定はフィクションであり、
実在する国家及び組織が頻出しますが、
それらを示唆するものではありません。
正義から見た悪、悪としての正義。
この世に絶対的な正義なんて存在するのだろうか――――
アメリカの閑かな高原に走る州間高速道路。
早朝の静寂を切り裂いて、地響きに似たエンジン音とけたたましいサイレンが空気を震わす。
銀行強盗の連続犯の乗ったヴェイロン16.4スーパースポーツをアメリカ・州警察のパトカー、シボレー・カブリスPPVが追う。どちらも速さを追及した究極のマシンである。
カーチェイスは映画のような生易しいものではない。下手をすれば死へ一直線だ。大概、奇跡は起きない。元々奇跡なんて信じていない。
スピードメーターを見ると、300km/hをゆうに越えている。しかし、追跡車両は一向に減らない。むしろ増えている気がする。
パパパパンッと後部座席から銃声が響く。相棒がパトカーのタイヤを狙って撃っているようだが、向こうもそうやすやすとは撃たせてくれない。
罵声がサイレンに混じって聞こえる。『止まれ!』と言われて止まるヤツなんていないよな、と思う。どうせ今車から降りたって許してはくれないだろう。走り続けるしかないのだ。少しでもスピードを落とせば、待ち構えているのは地獄のみである。
「マズいな、振り切られる……」
助手席の警部の思いがけない言葉に少なからず動揺してしまう。
ふいにボスッと鈍い音がして最前列を走っていたパトカーが横滑りしながら左へ外れる。左の前輪をパンクさせられたのであろう。ギリギリのタイミングで躱す。
事実、状況は悪化してきている。道路の封鎖が間に合わなく、一般車両がまだ走っているのだ。一瞬でも気を逸らすとぶつかってしまう。
「どうします、長官」
「今ヘリの出動を要請するところだ」
「早くしないと逃げられてしまいます!」
「わかっている、できるだけ早く――――」
その時だった。一瞬で事態が急転した。
「そろそろじゃないか?」と後部座席から声がする。
一般車両を避けるのに精一杯だったが、バックミラーをチラリと見ると、渋い顔をした警察官が無線で話していた。よし、これなら逃げ切れるかも知れない。
しばらくすると、開けた直線道路に入った。一気に加速しようと、アクセルに添えた右足に力を入れた時――――
ッッッドンッ!!!!
轟音とともに視界が急に広くなった。声を上げる暇も無い。思考より先に体が硬直する。
フロントグリルが吹き飛び、エンジンが根こそぎ無くなる。片端の無くなったクランクシャフトが路面に接触して細かい火花を散らす。衝撃で車がスリして、慣性で数回横回転して完全に静止する。その周りを次々にパトカーが取り囲む。
僅か10秒余りの出来事だった。
§
数分前、とあるマンションの空き部屋の窓際には一人の青年がいた。
普段は人気の無い寒々とした部屋に、乾いた風が吹き込み、白いカーテンを揺する。
手には対物ライフル、バレットM82A3。弾丸は徹甲炸裂焼夷弾HEIAPの一種のRaufoss Mk 211。弾丸の全長は14cm近くあり、マガジンはまるで大きな辞書のようである。
『ターゲット座標、α35・δ63、風速は北東に5メートル毎秒』
無線からの情報に合わせて、チキチキと目盛りを回す。
スコープを覗き込むと、2km程先の高速道路が視界いっぱいに広がる。息を止めると、スッと心臓の鼓動が小さくなる。凛と空気が張り詰める。
『目標接近!』
トリガーのスプリングが軋む。遠くから複数のサイレンが聞こえる。チャンスは一度きり。
カチッと引き金を引くと、ドンッという轟音と共に硝煙が広がる。秒速853メートルで飛び出した弾丸は右回りに回転しながら、一直線に進む。
数秒で目標に達する。タングステンの弾芯によって、車のボンネットに深々と突き刺さる。ジルコニウム粉末が高性能爆薬を起爆させ、エンジンもろとも吹き飛ばす。
時速300km以上で走る車のボンネットのみを、たった1発で破壊した青年の狙撃技術には、感服せざるを得ない。
青年はジャキッ、と金属質に光る銃を握りしめた。左手首には十字の傷。日本語で呟く。
「――――クソッタレが……」