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それぞれの正義

作者: TERU
掲載日:2026/02/09

夜は、音が遅れて届く。


先に光が走り、

次に地面が揺れ、

最後に音が鼓膜を叩く。


街が壊れていく順番を、

俺の身体は、もう覚えてしまっていた。


崩れた塀の陰で銃を抱え、息を整える。

寒いはずなのに、指先だけが熱い。

手袋の中で汗がにじみ、

引き金に触れるたび、体温が移る。


「動くな。出てくるな」


誰に向けた言葉でもない。

自分を止めるための声だった。


瓦礫が、わずかに動いた。

乾いた擦れる音。


照準を合わせる。

息を吐く。

止める。


影が、塀の向こうから滑り出た。


「止まれ!」


声が夜を裂く。


影は一瞬止まり、

次の瞬間、走った。


指が引き金を引く。


衝撃が腕から胸へ来る。

銃声は遅れて耳に刺さる。

火花が散り、

影が崩れて、地面に落ちる音。


俺はすぐには近づけなかった。

顔を見れば、次が遅れる。

遅れは、仲間の死につながる。


そう教えられてきた。


それでも、確認に行く。


倒れた人の手には、銃はなかった。

刃物も、爆薬もない。


小さな布の包み。


中にはパンが二つ。

乾いて、固そうなやつ。

それと、小さな薬瓶。


胸の奥が軋んだ。


ポケットから、紙が落ちる。

折られた紙。


家の絵。

太陽。

三人の棒人間。

その横に、小さな犬みたいなもの。


言葉は読めない。

それでも、意味だけは分かる。


――帰ってきて。


そのとき、

かすかに甘い匂いが鼻をかすめた。


パンの匂いじゃない。

誰かの体に残っていた、

ぬくもりの匂いだった。


遠くで、また光が走る。

遅れて、地面が揺れる。

最後に、音が追いつく。


俺は紙を握りつぶす。

ゴミにしたい。

意味を消したい。


だが、消えない。


俺は立ち上がり、

銃を抱え直す。


守るために撃った。

そう言えば、立っていられる。


でも、その言葉は、

もう前ほど強くなかった。


次の影が、動いた。


引き金の温度が、

また、上がる。



***




窓が割れてから、

時間の形が分からなくなった。


明るくても安心できず、

暗くても眠れない。

空の色は、危険の濃さを教えるだけ。


私は子どもの背中を抱き寄せる。

小さな背中。

熱がある。

呼吸が浅い。


「大丈夫。大丈夫」


意味があるかは分からない。

でも口を止めると、

何かが折れてしまいそうで。


避難所は、学校だった。

黒板。

机。

壁の絵。


壊れる前の世界の顔が、

そのまま残っている。


廊下を、列が埋めている。


パンが配られる日だ。


パンがあるだけで、

空気が少し軽くなる。

誰も笑っていないのに。


列に並びながら、

ふと、手が止まる。


教室の壁に、

子どもが描いた絵が残っていた。


青い空。

赤い屋根。

煙突から出る白い煙。

家の前に三人。


その横に、犬。


私は目を閉じる。


昔、朝の台所でパンを焼いた。

窓を開けると、隣の家からも同じ匂いがした。

子どもが椅子に立って、窓の外を見て、

「雪みたい」と言った。

粉砂糖が、指にくっついて笑った。


そのときの光は、柔らかかった。

音は、遅れてこなかった。


今は、匂いも光も、すぐ消える。


「ママ……お水」


現実が、服を引く。


「あるよ。あとでね」


列が進む。


子どもが、私の服を掴む。

その手が、小さい。


配給の机が近づく。


私の番が来た。


パン二つ。

小さな水の袋。


「薬は?」


一瞬、迷う。

それでも正直に言う。


「……少しだけ」


男は黙って、

小さな瓶を差し出した。


「半分。

 分けられるなら」


息が止まる。


見ず知らずの人が、

命を割る。


そのとき、

外で乾いた銃声がひとつ響いた。


胸の奥が、

理由もなく締めつけられる。


爆発。

揺れ。

埃。


瓶が床を転がる。

小さな音。


(落としたら終わる)


私は必死に瓶を掴む。


祈りの言葉は、持っていない。


だから、手を動かす。


水を少し含ませる。

パンを小さくちぎる。

薬を半分に割る。


それが、

今日を生きるための行為だった。



***




ぼくは、

音で今日を数える。


ドン。

ズン。

パパパパ。


ママの服をつかんでいる。

ママの手が動くと、安心する。


廊下は長い。

顔がいっぱい。


泣いてる顔。

怒ってる顔。

空っぽの顔。


こわいのは、人じゃない。

こわい顔になるしかない世界だ。


パンを見ると、

頭の中で音が鳴る。


カリ。

ガリ。


でも、その音でもいい。

口に入れば、

今日を越えられる。


外で、

パンッと音がした。


理由は分からない。

でも、誰かの顔が消えた気がする。


ママの手が震えながら、

パンをちぎる。


「だいすき」


ぼくが言うと、

ママの顔が、少しだけ変わる。


帰る顔になる。


外で、

光。

ゆれ。

おと。


ぼくはママの手をにぎる。

はなさない。


おねがいは、

ひとつだけ。


勝ち負けじゃない。


ただ、


今日が、

ここで終わらないでほしい。


夜は、音が遅れて届く。


先に光が走り、

次に地面が揺れ、

最後に音が追いつく。


その順番の中で、

今日も、誰かが生き残る。



終。

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