第6話 邂逅
──気づけば、ラクトの足は東3区へ向かっていた。
約一カ月前、あの事件が起きた。
あれほどの死者を出した出来事だったというのに、
あの時のセレモニーの題材だったファンタジーのAR区画は、今もなお、何事もなかったかのように稼働を続けていた。
街路樹は光るクリスタルに、歩道は魔法陣のような文様に上書きされ、
ビルの壁面には巨大な剣士や竜のホログラムが踊る。
屋内の構造は現実そのままでも、店の看板や内装は幻想的に彩られ、
歩く人々の姿もまた、騎士、魔法使い、異世界の住人たちに変わっている。
「すっかり、元通りか」
ラクトは、口の中で小さく呟いた。
事件後、警察とA.R.Mは徹底的に調査を行った。
だが、現実世界にもARシステムにも異常は見当たらず、
結局「原因不明の事故」として処理されるしかなかった。
そして──生命力の制度が発表されてから一カ月。
街は何事もなかったかのように動き続けている。
人々は笑い、語らい、AR空間での娯楽に興じていた。
だがラクトには、その奥にわずかに軋む何かが見えていた。
(何かが……わずかに、軋んでいる)
耳鳴りのような感覚。
視界の端で、光が一瞬滲む。
皮膚の奥で、ざらつくような感触が走った。
──路地裏。
人混みの先、視界の端に影が立っていた。
長いローブ。微笑む口元。揺れる光。
胸の奥に、冷たい何かが走る。
(──あの時と、同じ……)
理由も説明もつかない。
ただ、あのセレモニーで感じた“何か”が、目の前に立っている。
そう確信せざるを得ない感覚が、理屈を超えてラクトを貫いていた。
空気が張り詰める。
周囲の音がすっと遠のき、時間が引き延ばされるような感覚。
影がゆっくりと振り返った。
視線が絡む。
笑みを浮かべるその顔に、性別も年齢も感情も見えない。
「間も無く始まるよ。世界は、根底から変わる」
声ではなかった。
脳に直接響くような感覚だった。
ラクトが息を呑み、わずかに足を踏み出した、その刹那。
影は光の粒となって霧散した。
まるで、そこに最初から誰もいなかったかのように。
(……今のは、何だ)
心臓が、痛いほど打ち鳴っている。
呼吸が浅くなり、視界が震えている。
掌に爪が食い込むほど、拳を握り締めていたことに気づいた。
──世界は、もう元には戻らない。
そんな言葉が、誰のものともなく胸の奥で響いていた。
夜の街は、光の海のように輝いていた。
美しく、恐ろしく、抗いがたく。
その下で人々は笑い、遊び、すれ違い、立ち止まり、誰も彼もが幻の中に生きていた。
ラクトは、ただその中に立ち尽くしていた。




