第4話 日常のざわめき
──あの発表から、一ヶ月。
ライフポイント制度の実施まで、あと二ヶ月。
東エリア三番区の街並みは、鮮やかな光に包まれていた。
ビルの壁面を流れる広告はAR演出で変幻し、歩道を歩く人々の姿も、まるでゲームや映画の世界の登場人物のようだった。
「先輩、聞きました? 和式術がやってる格闘ARゲームで、体力ゲージゼロまで殴り合ったやつ、搬送されたらしいっすよ」
リナが隣で端末を操作しながら、苦笑混じりに声をかけてくる。
「体力ゲージ……ただの演出のはずだろ」
「ですよねぇ。でも、相手がもう立てないのに、“まだゲージ残ってる”って攻撃し続けたらしいっす。精神ショックと過呼吸で救急搬送。実質、重症」
ラクトは無言で歩き続けた。
靴裏が地面を叩く音が、妙に遠く聞こえる。
(AR企業が設定できる権限は、AR上の演出における受け手側の五感と連動している数値から導かれる範囲でしか、ダメージの概念は作れない。
物理的な接触も、五感データからある程度計算はできるだろうが、精神ダメージと現実の物理的ダメージを正確に換算することなんて、不可能だ。
だからこそ、国と企業は責任を分けている──)
視線を上げると、夜空にはAR演出の満天の星がまたたいていた。
だが、ラクトの目に映るのは、その奥に横たわる現実の、色を失った世界だった。
「……最近、その境目、ほんと怪しいっすよね」
リナの呟きが、夜風に溶けて消えた
東3区の巡回を終えて次の区画に向かう道中にある繁華街を歩く二人の耳には様々な声を聞く。
中年の男たちが外にたむろし、煙草の煙を吐き出す。
「ライフポイント? 冗談じゃねぇ、何でゲームみたいな数字で生き方縛られなきゃなんねぇんだよ……」
その背後を、ARスーツを着た若者たちが笑いながら駆け抜けていく。
「おい、見ろ見ろ! オレ、もうHPゲージ赤だぜ!」
「ゼロになったら罰ゲームな、ははは!」
カフェではカップルが、互いのARアバターのステータスを見比べ、楽しそうに笑い合っている。
そして、街角では母親が小さな子を連れて立ち止まっていた。
「……ほんとに大丈夫なのかしら、ライフポイントの導入。怖くて、うちの子にARやらせたくないわ……」
友人が寄り添い、心配そうに肩に手を置く。
ラクトは、その全てを静かに見つめながら歩いていた。
人々は、期待と不安と恐怖を抱えたまま、笑い、怯え、見て見ぬふりをして生きていた。
(数字が、人を狂わせる)
心の奥で、冷たい何かが疼いていた