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救世と破滅の円舞曲(ダンス・マカブル)  作者: epsilon
第一章 終焉に咲く,黒き契約(オブリヴィオン・ブロッサム)
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第二話 常闇契約(トワイライト・コントラクト)

「姉……アナスタシア……?」


暗い地下の石床に、膝をついた。

痛みが遅れて押し寄せる。脇腹を裂かれ、腿にまで刃が届いていた。けれど、それ以上に胸が、痛かった。


先ほどまで、共に逃げていた。

血を流しながらも、必死に手を引いてくれた姉は、最後の瞬間、自らを囮にして術式を放った。転移の光が視界を包み込んだその刹那、姉の喉元に赤黒い爪が食い込む光景が、確かに見えた。


「なんで……」


呆然と呟く声は、自分のものではないようだった。

立ち上がる気力も出ない。

気付けば涙が頬を伝っていた。張り裂けるほどに胸が苦しくて、呼吸すら上手くできない。


――父さん、母さん、姉さん……どうして、みんな……。


家族を、全部奪われた。

守ると誓ったものを、何一つ守れなかった。


焼け落ちた家の記憶が脳裏を過る。

立ち尽くした瓦礫の中、誰もいなかった。父ジンも、母アリスも、姉アナスタシアも――誰一人、残されていなかった。唯一無事だったのは、父の書斎と、その奥にあるという隠された部屋の扉だけだった。


「こんな場所で……死ねるかよ」


虚ろな声で呟き、ユリウスは立ち上がった。

傷口が開き、血が滴る。だがそれでも、進まねばならないと思った。


――なぜ転移術式の座標がここだったのか。

――父の書斎の奥、その地下の先にあるこの部屋に、何があるのか。


ふらつく足を引きずるように、ユリウスは奥へと進む。

壁に刻まれた古い術式陣、埃をかぶった書棚、そして――その最奥。


重厚な扉を押し開けた先に、それはあった。


無音。

空気すら凍り付いたような、沈黙の空間。


正面の祭壇に、浮かんでいた。

漆黒の剣。台座から数センチ宙に浮かび、淡く揺らめく影を纏っている。


「……剣?」


近づくにつれて、空間が軋む音がした。

剣が、呼んでいる――そんな錯覚に囚われる。


指先が、柄に触れた。


 


――その瞬間、世界が、反転した。


 


目の前が暗転し、何もかもが塗り潰される。

重力が反転し、意識が深淵に引きずり込まれていく。

重苦しい気配。だがその中心に、ひとつの“声”が現れた。


「汝に問う。正義を貫くか、復讐を選ぶか」


静かな声音。

男とも女ともつかない、中性的でありながら、澄んだ力を帯びた声。


「……誰だ……?」


返答はない。

声は再び問いを重ねる。


「選べ。お前の魂が、本当に望むものを。怒りか、悲しみか。それとも――裁きか」


ユリウスの頭に、アナスタシアの最期の顔が蘇った。

笑っていた。自分を庇いながら、あの人は微笑んでいた。

そしてその背後に、何故か“時計”が揺れる映像が交錯する。


(なぜ、あの記憶に……時計が?)


思考が掻き乱される。


だが――。


「……復讐だ。俺は、あいつらを絶対に許さない」


言葉は自然と口を突いていた。


すると、剣が震え、光を放つ。

ユリウスの左手に、焼けつくような痺れが走る。

気付けば、その腕に“刻印”が浮かび上がっていた。


……いや、“二重の”刻印。


同心円のように重なる二重構造の紋章。

見たこともないその異形の印に、声が静かに告げる。


「選ばれし者よ。汝の意志は刻まれた。

いずれ、“彼”が目覚めるとき――お前は裁く者となる」


“彼”。

その言葉に、胸の奥がざわついた。

誰のことを言っているのか。なぜ、自分が裁くのか。


声の主は、なおもその名を明かさない。

ただ、剣の影が空間を覆い、世界が再び現実へと戻る。


次の瞬間、ユリウスの目の前に、悪魔の気配が迫る――。


闇が揺れる。


それは地下室に広がる影ではない。

契約によってその身に刻まれた、得体の知れぬ闇が、ユリウスの内奥で蠢いていた。


左手に浮かぶ“印”を見つめながら、ユリウスはかすかに息を飲む。

禍々しい刻印。円環に交差する二重の魔紋。父の遺した文献には、契約によって刻まれる“神器の印”は一つのはずだった。


それが、彼には“ふたつ”ある。


「……これは……なんなんだ……?」


疑問は答えられることなく、ただ印の奥から脈動する何かが、ゆっくりと意識に染み込んでいく。


そのとき――


「見つけたぞ……神器の気配が……まさか、この地に顕現するとはな」


地の底を揺らすような声。

扉のないはずの祭壇の奥――空間が黒く引き裂かれ、禍々しい気配が滲み出る。


ユリウスが身構える前に、影の中から何かが姿を現した。


それは人ではなかった。

皮膚の下に赤黒い筋が蠢き、片方の腕は異形の刃と化している。口は縦に裂け、無数の眼が体の各所に浮かぶ――悪魔。


「……っ、なんだ……あれは……!」


悪魔は嬉々としたように、ユリウスを見据えた。


「その剣……“常闇ノ理”……。なるほど、久しぶりに見たな。かつて多くの我らを葬った“終焉の鍵”。まさか、まだこの世に残っていたとは」


「……常闇、ノ理……?」


その名前に、ユリウスの眉が動く。

黒鉄の剣。その名さえ知らなかった彼にとって、それは初めて聞く名だった。


「知らぬか。そうだな、契約したばかりか……だが貴様が持つには過ぎた代物よ、人間」


次の瞬間、悪魔が突撃する。


黒い爪が振り下ろされ、石床を抉る。ユリウスは身を翻して回避し、即座に剣を構えた。

その瞬間、剣の中から“声”が脳裏に響く。


――刻印が揃った。命令を。意志を。告げよ。


「……行ける……やれるのか……?」


指が、自然と黒鉄の刃を走る。

契約の印が光り、闇が剣に集束する。


「《常闇斬葬》ッ……!」


その言葉と共に、黒い光が奔る。


空気を裂いて放たれた斬撃波が、悪魔の左腕を抉り、断面から濁った血液が吹き出した。

だが、悪魔は怯まない。むしろ快楽のように笑った。


「その力だ……それこそが“常闇ノ理”。そしてその印……貴様、“双重契約者”か」


「双重……? どういう意味だ、それは……!」


「貴様のような“器”は、いずれ狂う。力に呑まれ、正気を保てまい……」


言葉と同時に、悪魔の体から煙のような影が溢れ出す。


一瞬、ユリウスの視界が歪んだ。周囲の影が蠢き、目が眩む。だが――


(落ち着け。おれは……この力を、呑まれはしない……!)


その意志が、剣を導く。


ユリウスは影の奔流に踏み込み、剣を振り下ろす。


「《虚影断層》……!」


刹那、悪魔の影が裂かれ、肉体が切り裂かれた。

剣が闇を断ち、形骸化していた体を“存在”ごと切り刻む。


ぐらり、と悪魔がよろめいた。

血の代わりに、黒い霧が噴き出す。


「ク、ククク……それでこそ、“彼”の友よ……」


「……は?」


死に際の悪魔が、かすれた声で嗤う。


「我が主は……ノア・フィル=ヴァイス……虚無を統べる者……いずれ貴様の前に現れるだろう……」


「……ノア……?」


ユリウスの意識が、そこで凍りついた。

足元が崩れるような感覚。


「ノア……ノアって……おまえ、今……なんて……?」


問い返す声に応えることなく、悪魔は影と共に崩れ去った。


一人残された祭壇の中央。

ユリウスは剣を握りしめたまま、動けなかった。


ノア。

死んだはずの親友。

五年前に、命を落としたはずの――。


「ノア……お前が……“あの側”に……?」


信じられなかった。

否定したかった。


けれど、その名前を口にした悪魔の表情が――確かに、真実を知る者のものだった。


握り締めた拳に、力が入る。


「ノア……お前が生きてるなら……俺は、お前を……この手で……!」


地下の闇に、震える声が響いた。

その剣が、復讐のためではなく、誰かを救うために振るわれると決めるまで――あとわずかだった。


「ノア……」


その名を呟いた瞬間、全身から力が抜けた。

剣を握る手は震え、膝が砕け落ちる。


祭壇の中央で、ユリウスはただその場に崩れ落ちた。

心臓が脈打つたび、焼き付いた過去が脳裏に甦る。

幼き日々。笑い合った日々。血を分けたわけでもないのに、兄弟のように過ごした時間。


その全てが、いま――黒に塗りつぶされようとしていた。


「ノアが……敵に?」


信じられるはずがなかった。

けれど、悪魔の口から紡がれた“あの声”には、確かな真実の響きがあった。


「ユリウス」


静かに、どこか優しい声が降ってきた。

剣の奥から、低く、落ち着いた響き。

まるで、すぐそばで囁くような声だった。


「――我が名は、アズリエル。かつて汝の先祖と契りを結びし、天の理を司る者」


「……アズ、リエル……」


その名を繰り返すと、胸の奥に不思議な感覚が広がった。

懐かしさにも似た感覚。それは、どこか遠い記憶を撫でるような温かさだった。


「お前は、この“常闇ノ理”と契約した。それは選び取った意志の証。復讐を選び、剣を抜いたお前は、いずれ“裁く者”となるだろう」


「裁く……?」


「いずれ、“彼”が目覚めるとき――お前は、選ばねばならぬ。友を討つか、救うか。正義を貫くか、あるいは――すべてを壊すか」


ユリウスは息を呑んだ。


「ノアが、“彼”だというのか……?」


アズリエルは、肯定も否定もしなかった。ただ、続ける。


「お前の契約は、他の者とは異なる。“双重の刻印”――それは、ひとつの器にふたつの意志が宿っている証」


「ふたつの意志……?」


「今はまだ、そのすべてを知るには早すぎる。だが、お前はもう選んだ。ならば進め、ユリウス・アルヴェイン。憎しみの先に、何を見るか」


静寂が落ちる。

ユリウスは、改めて剣を見つめた。

黒く、禍々しく、それでいて美しい刃。


その剣がもたらす未来が、希望か破滅かはまだわからない。


だが、それでも――


「……ノアを……取り戻す」


小さく呟く。


「何があったのか知らない。けれど、あいつが生きているなら……今度こそ、俺が助ける。たとえ、世界を敵に回しても」


その決意に、アズリエルの声が静かに響いた。


「ならば――汝に力を。その選択が、悔いなきものであることを、祈ろう」


祭壇の灯が、ゆっくりと消えていく。

黒い剣を携えた少年は、暗がりの中に立ち上がった。


その瞳には、確かな炎が宿っていた。


これは、ただの復讐ではない。

過去と向き合い、未来を選ぶための――戦いの始まり。


そしてその手にあるのは、常闇を切り裂く“理”の剣。


闇が深くなるほど、光は鮮烈に輝く。


その運命が、誰かの希望となるのか、それとも終焉を招く鍵となるのか――

まだ、誰にもわからない。


だが、ユリウスは歩き始めた。


失われた家族を胸に。

奪われた親友を取り戻すために。


その一歩が、世界の運命を変える。

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