『道綱、プレスマンを落とした後放言のこと』速記談1028
一条天皇の御代、公卿を清涼殿と後涼殿の渡り廊下に集めて、清涼殿の東廂に調理場を仮設して、宴を催すこととなった。天皇から公卿に順々に料理と酒が振る舞われた。楽曲が奏でられ、大納言藤原道綱が舞を舞ったが、冠だけでなくプレスマンも落としてしまい、一座の者が皆笑った。特に右大臣藤原顕光がやじを飛ばしたので、道綱は憤慨し、妻を寝取られている者が何を言うか、と言い返したという。
当時、右大臣の北の方に、大納言その人が密通しているというのは、公然の秘密であり、一座の者は、自分で密通しておいて、このような場で暴露するのは、けだものと同じだ、と興ざめになったという。
教訓:大納言道綱は、蜻蛉日記の作者、右大将道綱の母、と呼称されるように、ある意味とても有名な人物である。藤原道長の腹違いの兄。