9 寮と私
商店街を抜けてからは少し速度をあげて三十分ほど。
軍服を着た人が開閉するゲートの向こうは、前世の小学校よりも広そうなグラウンドと校舎みたいな大きな建物。中央に玄関らしき入り口があって、左右に白い下見板張りの壁が続いてる。薄緑の瓦屋根には物見塔みたいな切妻造りの塔とか出窓っぽいのがいくつもあって、洋風なのか寺風なのかよくわからないけど、全体的に洋風が勝ってる感じ。新しめに見える大きな建物ってみんな大体こんなだ。平木家もそうだし。
正面の玄関前につけるのかと思いきや、車はぐるりとグラウンドを回って高い外塀と建物の間にある雑木林の前に止まった。正面から見るとよくわからなかったけど、この建物、奥行きもかなりあってなんだか複雑そうな造りの気配がある。
毛むくじゃらが車の開けたドア枠から飛び降りたのに続き、脇にどけてから振り向くと市井さんが妙なものを見るような表情で降りて来た。
「車には乗り慣れてるのか?」
「初めて乗りました」
今世では。
「ドアの開け方から何からためらいも戸惑いもねぇなあ?」
妙なものって私か! 生まれて初めて車乗った時のリアクションってどんなの。あからさまに取っ手があったら引っ張るじゃない。どうしたらそれっぽく見えたんだろう……。
市井さんは疑問形で聞いたのに、私の答えを待つ素振りでもなく運転手さんへ向けて「ご苦労。戻っていいぞ」って指示してた。私に訊いたわけじゃなかったの……?
何か釈然としない気持ちのまま、林道ぽく下草が踏み分けられた場所へ走り出す毛むくじゃらの後に続く。
「ぐぇ」
「お前方向音痴? 何故自信満々なんだよ」
市井さんに襟首をつままれて方向を変えられた。何故と言われてもと答えを考えていたら、雑木林のほうを見やった彼は「ああ」と頷いた。
「アレが行ったからか。呼び戻さなくていいのか」
「ほっといてもいつの間にか戻ってくるので」
毛むくじゃらにどこに行けとか言ったこともないし、あいつはあいつで勝手にしているだけだから――って……ああああ!
「へぇー」
するっと言っちゃった! うっかり! だって何故って聞かれてたから! いや市井さんはあいつが見えてるのとかもうわかってることはわかってるんだけどでも!
「ふはっ、なるほどな。コツがわかってきたぞ。まあ、こっち来な。まずはお前が住む部屋だ」
こらえきれないように大きく口を開けて笑った市井さんは、もしかして思ったより若いのかもしれない。でもコツってなに。
玄関入ってすぐにあった守衛室らしきところで、市井さんは二言、三言かわして鍵を受け取っていた。板張りの廊下を土足でそのまま進む。
窓の外、遠くからくぐもった掛け声が聞こえる。軍人さんたちが列をつくってランニングしているのがちらりと見えた。紛れて両手を地につけつつ一緒に走る猿っぽいのもいた。下半身は蛇だけど六割がた猿。
しゅー、こんこんと廊下に小さく響く蒸気とノック音が静けさを際立たせる。館内の空気はほっとするような暖かさだ。壁の下部にはセントラル・ヒーティングの通気口が一定の間隔で並んでいる。通気口にはまってるのは青海波柄の鋳物で、隙間から六本足のイモリみたいのが何匹も忙しなく出入りしていた。
平木の家もセントラル・ヒーティングで同じように通気口には鱗文様の鋳物がはまってたけど、主人家族が使う部屋や客室にしかないし私の部屋には勿論ない。
「うわあ、うわあ、暖房が通ってる!」
お前の部屋だと案内されたのは、四畳半ほどの洋室だった。通気口に駆け寄って手をかざすと、ほかほかの空気がゆったり流れだしてくるのがわかる。あったかい! 毛むくじゃらもぬるりとそこから出てきた。ベッドも! 布団だってある! 小さな書き物机と椅子に、据え付けの箪笥まで!
「……ヒラの新入りなら本来相部屋だが、お前はそうもいかねぇし俺の助手ってことでここだ。荷物片づけんのは後にして昼メシにすんぞ」
戸口に寄りかかった市井さんは、また眉を寄せているけど毛むくじゃらのせいだと思う。
「あと、それ。官舎内であんま自由にうろつかせんな。襲われっから」
「え」
「それ、かなり強ぇからうちの奴らでも敵わないかもしんねぇし、俺からも討伐対象から外すよう通達しといたけどよ」
……つよい? あれ? 毛むくじゃらの話だよね。今通気口に上半身だけだしてだらんとしてるこの毛むくじゃらの話だよね。通達って、ここに着いてからずっと市井さん一緒だけどいつの間にそんなことしてたんだろう。あれ? もしかしてこいつ通気口につっかえてる?
「討伐、ですか」
毛むくじゃらの首だか背中だかわからない部分をつまんでひっぱりだした。今まで触らないようにしてたけど、どうせ昨日もしっかり握っちゃったし。
「おう。帝国軍第五師団異常現象対策部隊特殊班。俺はその班長で、ここは俺らの班の居住棟な」
「……特殊班」
「おいおい覚えればいい……」
「あ、はい」
特殊というからには特殊なんだろうけど、それは討伐ってのとつながるんだよね? 多分話の流れからいって。
「そう。そいつみたいな妖の類いを討伐するのが俺の班の仕事。だから勝手にうろつかれると戦闘態勢はいっちまうだろ」
「はいっちゃう……」
ちょうど窓からこっちを覗いてる双頭のカラスがいるんだけど、あれはいいんだろうか……。
「待て。何見てる」
「いえ、なに、みょっ!?」
「あっちか? あ? 窓の外か?」
なんで! なんで顎ごとほっぺまでつかむの!?