15 宝物殿と私
石川さんを引きずっていくおばさんのインパクトが強すぎて、呆然と見送ってしまった。
「生臭いって?」
自分の手を嗅いだ市井さんにはわからなかったみたいだ。石川さんに触れられてないはずの腕もさりげなく嗅いでた。
「えっと、腐ったような?」
「ほほぉ……、これか」
「いやぁ!」
縁側にこぼれ落ちていた泥を指ですくった市井さんは、その指を私に突き出した。くっさ!
予告とかしてほしい! 本当に! 切実に! 鼻にきた!
「あー、お前、見えるだけじゃないんか」
「……つまりこの匂いは市井さんたちにわからない?」
「だなー」
「今までそういったことはなかったんですけど」
「こういうのに遭遇していなかったか、お前が進化したか。どっちだろうな」
「進化て。この泥が一体……あれ?」
縁側に点々と落ちていたはずの泥がきれいになくなっていた。
代わりにケムが大の字になって寝ている。
「まさかケムがまた役に立つなんて」
「モップとしてかよ。期待はそっちじゃねぇんだよな」
意味の分からない動きしかしないのがケムなのにな……。なんだか置いていかれた感があって悔しい。
「とりあえず二往復やるぞ。着替えて来い」
「するんですね!?」
「ったりめぇだろ」
もうすっかりないものだと思い込んでいたのに!
なんだか今日は一日がすごく長い気がする。
信じられる? まだお昼前なの。
石川さんが何をしに山まで行っていたかといえば、おかっぱのせいらしい。
市井一族は妖討伐の大家だ。他家ならば、妖を使役することに長けたところもあるらしいし、そこでは妖の扱いも違う。だけど市井家の、それもよりにもよって本拠地で、得体のしれないものがその辺にうろついているのは看過できない。とかなんとか。
確かに鳥居をはじめとした祓いや魔除けの類いがあれほどあるのだから、それは少しばかり面目が立たないに違いない。
というかそうなるのが面倒だから、鳥居の上にいた双頭のカラスみたいな雑魚のことは黙っておけって話だったのだけど。
「いきなり狭間に連れ込まれるとなると、さすがに雑魚とは言い切れないだろうよ」
「――っなる、ほりょ」
きっちり古道の石階段を二往復して、休むこともなく屋敷を通り過ぎて神社まで上り、本殿を回り込んだ裏口から山へ入った。
ちゃんと運動着と歩きやすいブーツだから、昨日ほど体力は消耗していない。でも寝てないし。もうすぐお昼だし。確かに巡回も兼ねてるとは言ってたけど、兼ねてるというより、二往復はただの前座でこっちが本番だった。
臭い。すごく辺り一帯が臭い。
並んで歩くこともできない細道は、木の根も横切っているし、霜が溶けたのか少しぬかるんでいる。
ただでさえ足元が不安定なのに、両手で鼻を抑えずにはいられない。
「元々な、こっち側には魔水石に近いものができあがってることがある。まあ、場所が場所だし、色々やってっからってのもあるんじゃねぇか。知らんけど」
だから面白いものが落ちてるかもしれないと、石川さんはこの辺りに来た時は必ず見回っているそうだ。今回はそれに加えて、おかっぱによる異変がないかどうかを見てこいと、ご当主に命じられたんだとか。ついでだろって。
「んで、おかっぱのある宝物殿がここだ。伊織はこの周辺をうろついた時に足をとられて転んだんだと」
宝物殿っていうから本殿みたいに立派な建物を想像していたのに、飾り気のない石造りの倉庫だった。
重そうな観音開きの扉の横に、なぜか本坪鈴がある。賽銭箱の上に吊るされているアレ。鈴からぶら下がっている鈴緒に、ケムもポーズをつけてぶら下がっている。ポールダンスか。
そして臭い。どう考えても臭いの元はここだ。
「ウチではこれ、祓いと清めの鈴だからな。宝っつっても、いわくつきのもんもしまいこまれてるし」
ケムにはお構いなしで、市井さんは鈴緒をひねるように揺する。
大きさの割に軽やかな音が、鬱蒼とした森の中にこだました。
そのこだまに答えるように、木々の隙間からおかっぱがぴょこぴょこ覗きだす。
「えっと」
「……来たか?」
扉の取っ手を握った姿勢のままで振り返った市井さんに、視線で周囲一帯を示して答えた。
鼻を押さえつつ、口から息を吸わないようにというのはなかなかに難しい。あきらめて口呼吸することにする。
「木いっぽんあたりに一体いる勢いでいます。みんな木の後ろから顔だけ出してこっち見てるんですけど」
「多いな!?」
隠れている意味のない隠れ方というか。
「でも臭いのはアレじゃないと思うんです」
最初からずっと臭かったことないし。そもそもこいつらはよく見かける異形とは、ちょっと違うって思ってたし。
「だからその」
「おう」
「そこ、開けるのやめませんか「ここかぁ!」ああいやあああ! くっさ!」
重そうな扉をすごい勢いで開けられて、中の空気が一気に噴き出してきた。
痛い痛い痛い! 鼻痛い! 鼻っていうかおでこが痛い! ガンってきた!
ちかちかと火花が散る視界。
倉庫の奥の暗がりから、ふるりふるりと表面を揺らす濃密な泡状の何かがのったりと這い寄ってくる。
「おっ!? おっ、おっ」
倉庫から外に出てしまえば、それは意思を持つモノの動きではないのがわかる。
洗濯洗剤が泡立った盥をゆっくり傾けたような、高きから低きに流れるだけのそれだ。
市井さんは飛び跳ねながら、薄墨色の泡の進路から横に避けた。
「あっ」
棒高跳びの助走みたいに枝を掲げて、繁みから突進してくるおかっぱが一体。
地べたに体育座りをしていたケムの背中を、その棒で突いて押し出して。
「やだー! モップじゃない!」
「またお前は!」
泡に突っ込まれようとしているケムに四つん這いで飛びついて拾い上げて、泡に飲み込まれる寸前で後ろに跳び退って。
この動きは私完璧だったと思う。
その跳んだ先がちょっとした崖というか、急こう配の坂になっていなければ、もっと完璧だった。
「あぁぁー!」
「ばっかじゃねぇのお前!」
伸ばされた手をつかむこともできずに転がり落ちた。







