16 殺意と私
市井さんを引っ張り込んだつもりだったけど、気がつけば彼の小脇に抱えられていた。
「ひゅー……びっくりした。ぎりぎりだったねー」
「おう。よく気づいたな。さつき」
確かに気づいて引っ張ったけど、本当に引っ張っただけで。
市井さんが動いてくれたから間に合ったのだ。私、もうちょっと鍛えなきゃいけないかも。腕立て伏せとかだろうか。三回しかできない。
石川さんが並べた魔道具からそれぞれ立ち上がった結界は、キリキリと音を立てて回る歯車文様の魔法陣だ。それがいくつも連なって、レースカーテンのように私たちと大蛇モドキの間で淡い光を放っている。
わずか一メートル先に、結界に噛みついたまま開き切った大蛇モドキの口がある。市井さんをひと飲みできてしまいそうだ。
鋭いのこぎり歯がらせん状に喉奥まで並んでいて、歯と歯の間にはいくつもの目玉がぎょろついていた。
「佐吉。立て」
「は、はい!」
振り向きもしていない市井さんの声に、慌てた声で伊賀さんが応えた。
横目でその声の方を追うと、伊賀さんがふらつきつつ立ち上がるところだった。わかる。私も小脇に抱えられてなかったら立っていられなかった。かろうじて足は地についているけど、まだ力が入っていない。
けれど遅れをとってたまるものか。大きく息を吸ってから、市井さんの腕を叩いて下ろしてもらった。ぷるぷるするけどちょっとだからセーフ!
だって大蛇モドキ自体はそれほど怖いわけじゃない。すごくびっくりはしたけど。
「市井さん」
「わかってる。伊織、俺が出たら結界範囲を狭めて時間を稼げ」
「無茶いうねー」
「今ので耐久時間が落ちたはずだ。いくつか回収して直せばなんとか回せるだろ」
「無茶いうよねー!」
軽口のようでいて、石川さんはカバンの中を検めている。いくつか部品らしきものを地に並べだした。伊賀さんに魔道具回収の段取りも指示しながらだ。
たまごの湖が大きく波打ち続けている。
寄せては返す都度、たまごの中で蛙の目が開いていく。
結界に噛みついていた大蛇モドキは、やっとそれに気がついたのかのように首をかしげた。
その仕草は、ひどく人間臭く思える。
たまごがひとつどろりと崩れたのを皮切りに、次々と孵化がはじまった。
後頭部にある目はひとつだったりふたつだったりと個体差があるようだけど、どの蛙も空を見上げてぼんやり棒立ちになっている。
「なにあれなにあれなにあれ」
「佐吉くんがんばれー」
伊賀さんが呪文のようにつぶやき続けていて、石川さんは棒読みで励ましている。それでも二人とも作業の手は止まらない。
石川さんはともかく、伊賀さんは討伐の現場に出ることがほとんどないとか言っていた気がするし、妖が視えるといっても黒い靄でしかなかったはず。
今はたまごが見えてたんだから、きっと蛙も見えてるだろう。
そりゃあ気持ち悪いと思う。だってもう蛙はきっと百を超えている。数えてないけど。
私はといえば、怖くて仕方がない。一匹でもすごく怖かったのだから、ちゃんと立っている自分を褒め称えたいくらいだ。
「さつき、蛇の方は相変わらず怖くないか?」
「はい」
「じゃあ討伐対象は今のところ蛙だけだ。あの神を鎮めるのは俺の手に余る。わかるな?」
「は、はい!」
私の仕事は出口を探すこと。
どこもかしこもおかしいのが当たり前のこの世界だけど、それでも何かを見つけてみせる。
場合によっては魔水石の栓を戻そうと話していたから、まずはそこからはじめるということだ。今がその場合以外のなんだという話。
「行ってくらぁ」
「いい行ってらっしゃい!」
はっと短く笑った市井さんが、結界の外へと一歩踏み出すと蛙たちが一斉にこちらを向いた。怖。
いや、後頭部にある目でこちらを見ているのだから、向いているというのだろうか。わからない。
ただ圧がすごい。一匹だけだった昨日の比じゃない。怖くて膝が笑いそうになるのをこらえた。
ケムも結界の外へと出て行った。石川さんが「自信なくすんだけど……なんで抜けるの……」とつぶやく。ケムが結界に阻まれたことはないから今更だと思う。
「おうおう。さすがに雑魚でも数があればなかなかの殺意だな」
手りゅう弾に似た形の魔道具をふたつ、片手で遊ばせる市井さんの背中は真っすぐで力強い。
殺意。
ああ、そうなのか。この怖いのは殺意というものなんだ。
蛙たちが一糸乱れず後ろ向きダッシュで市井さんめがけて駆け出した。
市井さんの短い詠唱と、伊賀さんの背後で息を飲む音が被る。
横薙いだ手から放たれたいくつもの魔道具が、蛙の群れへと吸い込まれていく。
さっき持ってたのはふたつだけだったのに。
ケムも同じ仕草でウニモドキを放り投げている。お前何匹隠してたんだ。
「かけまくもかしこき――」
魔道具が落ちたあたりを中心にして、赤く輝く魔法陣が水平にいくつも浮かび上がる。
それは蛙たちの胸元あたりで赤い縄を打ったかのような横一文字を描いて止まった。
「――かみたちともにきこしめせとかしこみかしこみまおすっ」
だんっと大きく踏み込み、低くなった体勢からの抜刀と横薙ぎ。
振られた刀の切っ先から伸びた光が残像をはためかせ。
魔法陣で足止めされていた蛙が、左から順に上下に分かたれていく。
蛙は泥となってぼたぼたと地に落ち、後続の蛙がまた魔法陣の中に自ら進んでとらわれた。
市井さんの振るう刀の間合いは広い。
双方の距離は五メートル、そして幅十メートルほどの範囲内にいる蛙はその先に進めない。
けれど数えきれないほど蛙の波は、左右からあふれ、私たちを飲み込まんと押し寄せてくる。
「やきがまのとがま」
左右に振られた刀から斬撃が飛んで地を削る。
足止めの結界で蛙たちはたたらを踏んだ。
左側の蛙にはいつの間にか抜かれた銃で光弾が撃ち込まれていく。
「ほんっと気持ちわりぃんだわ! 群れやがって! どけや雑魚ども!」
右側には市井さん本人が蛙を切り飛ばしながら突っ込んでいった。
蛙は襲い掛かるように両手を伸ばすけれど、なにせ後ろ向きだ。
市井さんへ背中を押しつけんばかりに寄っていく。
「どっち向いてんだ! 舐めてんのか!」
振り上げる刀、流れるように軸足は替わり、手りゅう弾と光弾が四方に飛んでいく。
一振りで泥となって崩れ落ちる蛙は、雑魚は雑魚なのだろう。
それでもこの数なのに、市井さんが飲まれることはない。
大蛇モドキはゆっくりと首をまわしながら、その様子を眺め下ろしている。
「うぉおお! 兄さんすげえええ!」
「おうよ! もっと崇めろ!」
市井さんが向かっているのは祠のあった場所だ。
私は緊張でポケットの中で魔水石を握りしめているというのに、伊賀さんがうるさい。
市井さんにとっては簡単なお仕事だ。
足止めと攻撃を巧みに使い分けて、道は確実に拓かれていく。
道が祠まで続いたら。
「さつき! 来い!」
「はいぃいい――ぇええ!?」
震えそうになる足を叩きつけるように駆け出したら、それまで蛙に埋もれていた大蛇モドキの尻尾がぐるりと私に巻きついた。







