15 海水浴場と私
「兄さん……すみません。間に合わなかった」
「いや、これは無理だろ。むしろよく反応できた」
伊賀さんは式神を飛ばしていたらしい。眉を下げた伊賀さんのお椀にした両手には、端が焦げついた白い歯車や金属片がいくつか載っている。飛ばしはしたけど壊れて落ちてきたというそれは、元の形は蝶だったり鳥だったりするそうだ。勿論、稼働時には当然人間の目には映らないと習った。
普段は情報収集に使っている式神だけれど、いざという時に救援要請を出すこともできる。結果として間に合わなかったとはいえ、周囲の異変を感じてすかさず式神を飛ばして備えようとしたのだから、自分で有能だと言うだけのことはあるんだろう。
「さーて、これは想像以上に壮観だぞ」
「聞いてた以上に気持ち悪いねー」
「ここから蛙が……え、でっか……」
全員たまごが見えるようになったっぽい。ちゃんと直径一メートルほどって言ってあったのに、伊賀さんが大きさにドン引きしていた。
「ねえ! これがケム!?」
「え、 でっか……」
「いつもじゃないです」
目を爛々とさせた石川さんがケムに気がついて歓声をあげると、伊賀さんの困惑が続く。
ケムが私の身長ほどに大きくなっていたし、さっきと変わらずにまだ回って……いや、両手にウニモドキのヨーヨーを持って回っている。
今まで黒い靄に見えていた二人にとって初対面ともいえるのに、いつものサイズ感じゃないのがなんだか惜しい。普段はすごく小さいのに。こんな小さいのに怖がってたんだと思わせたかった。
「最初は住宅街、二回目は夜祭、今度はなんだ? 海水浴か?」
海じゃなくて湖だけど、市井さんにそう言われてみると何かテーマ的なものがあるんだろうか。
異形たちはたまごの湖から少し距離をとって、気ままにうろついている。
胴が縦に長いカニは寝そべるタイプのビーチチェアで寛いでるし、双頭のフラミンゴはそれぞれの首に浮き輪をかけていた。
確かに海水浴かもしれない。
逆立ちした緑色のエビが尻尾ではためかせているのは、ふんどしのような気がする。
「あ」
いまだぐるぐる回っていたケムが、ハンマー投げの要領でウニモドキをたまごの湖に放り込んだ。
昨日ケムがそうなっていたように、ウニモドキはたまごでバウンドしてケムの手元に戻ってくる。
「……」
「…………」
「え、何。どうしたの兄さん」
伊賀さん以外は固唾をのんでたまごを見つめていたけど、ぷるぷると反動で震えるだけで孵化はしなかった。
「ふぅ……。ここでどれだけ防げるかわからんが、安全地帯だけはつくっておくか。伊織」
「あー、ねえ、あいつらも警戒対象?」
「いや、あっちは考えなくていい。だろ? さつき」
「あ、はい。ああいうのはいつもその辺にいるんで」
伊織さんが指し示したのはカニモドキとかエビモドキとかがいる方角だ。あいつらとたまごとの間、ちょうど中間地点に私たちはいる。
まるで私たちとたまごの攻防の観客のようだ。
そっかー、と伊織さんは親指と人差し指を立ててかざし、距離を目測しはじめた。結界の魔道具の配置を考えているのだと思う。
私は私で行李を下ろして、妖の場所を指示する魔道具を出そうとして。
「あれ……市井さん。見えてるならもしかしてコレ要らないです?」
「おう。そうだな。お前はケムつかまえてろ」
私の見えてるものがみんなにも見えてくれるのはうれしいけれど、出番がなくなるのはちょっと残念な気持ちもある。せっかく練習して役に立てることが増えたのに。右のポケットに念のため魔道具をしまい、左に魔水石がちゃんと入ってるのを確かめた。ある。それからケムを……いや今大きいんだけど……。え、手をつなげばいいの……? えぇ……?
市井さんを窺っても、彼は両手を腰にあてた仁王立ちで大蛇モドキを眺めてる。睨んでる? あれ神様だっていうのにいいのかな。
「おい。もたもたすんな。――こっち側だ。伊織さんが魔道具を配置しはじめてるんだからわかれ」
苦々しい顔で伊賀さんが自分の隣を指差した。えぇ……?
「戦闘員の邪魔にならない場所で固まるのは基本だろ」
「は、はいっ」
それは習っているし、市井さんにもちっちゃくなってろって言われてるけど、まさか伊賀さんが教えてくれるとは思わなかった。
何か起こった場合に備えての設置なはずだから、稼働させるかどうかは状況次第のはずだけど、場所と範囲自体は覚えておく必要がある。
慌てて行李を背負い直してケムの手をとると、意外にちゃんと引っ張られてついてきた。お前そんなことできたのか。もしかしてやっぱりケムって、私を認識できてるんじゃない……?
「そいつも連れてくんのかって、いや兄さんがそう言ったか……」
そうです。そんな嫌そうに顎を引かれても、市井さんの指示です。
「別にケムを守るためではなくて、余計なことをさせないようにってことです」
「余計なことって……もしかしてさっきの変なのを投げ込んでたの、とかか?」
「それです」
「あれの意味は」
「私にはちょっと……。あとこうしてても、多分いつのまにかどっか行きます。やらないよりマシかもしれないってだけで」
「なんなんだそれほんとに」
なんなんだと言われても……手をつないだまま真横のケムを見ると、ウニモドキを口らしきところに突っ込んだところだった。食べちゃうんだと思いきや、後頭部あたりからウニモドキを引っ張り出してくる。こういう手品見たことある……。
「こんなもんかなー。彬くーん。準備はできたよー。いつでも発動はさせられる。この辺りね」
「おう。了解」
石川さんがひとつ手を叩くと、頭上の高い位置で灯りの魔道具が点いた。市井さんは一瞥してまた視線を大蛇モドキに戻す。
前に市井さんが使っていた宙を浮くカンテラとは少し形が違っていて、スポットライトのように私たちを中心とした半径三メートルほどを赤く照らした。やだ、なんかムーディ。
「さて、安全地帯は確保したから、出口を探さなきゃねぇ。佐吉くん、式神の在庫はまだあるかい」
「勿論」
「一機でいいから貸して。僕の端末につないでから飛ばしてみよう。また壊れるかもだけど、境目の当たりはつけられるかも」
手のひらに載せて出された式神は、蜂の形だ。よく見ると目が歯車の形をしている。
親指の爪ほどしかないそれに、あぐらをかいた石川さんが細い針状のペンで何やら書き込みはじめた。ちり、ちり、とペン先から散る小さな花火が、スポットライトの赤い空気に溶けていく。
中腰でのぞき込んでいた伊賀さんが、時折ちらちらこっちを見てくるのはなんだろう。働けってことか? それは私もそう思う。何かできるもんならしたい気持ちでいっぱいなんだけど。
行李を足元に置き周囲を見回して、出口になるかもしれないところがないか探す。
でもやっぱり、こちらの世界は何もかもが、遠近感すらもおかしなとこばかりだから見当もつか、な、い?
「市井さん!」
「おお?――伊織! 結界!」
突然ざわりと背すじに強く走った悪寒を振り切って、赤い光の外にいる市井さんの背に飛びついて引っ張った。
それまでずっと大蛇モドキはゆったり悠々と泳いでるだけだったのに。
突然鎌首をもたげたと思ったら、次の瞬間には目前に大きく開いた顎があった。







