12 みかんと私
「いいぞいいぞー。やられたら順次やり返していけよ。俺が許す」
市井さんは散々笑ってから、そう言ってくれた。順次て。別に伊賀さんがちょっかいかけてこなきゃそれでいいのに。
食堂には私たちだけしかいない。一応カウンターの向こうには仲居さんがいるようだけど、こちらからは見えない位置だ。
白くつやつやしたご飯のひとくち分を味海苔でくるむ。ぱりぱりした海苔の塩気と白米の優しい甘さがたまらない。ケム用の小皿に煮物のいんげんをひとつ置くと、市井さんはその横にサラダのトマトを載せた。
「……彩りってやつだ」
「あ、はい」
確かにトマトは彩りのために添えられることが多いよね。私は何も言ってないのに、市井さんが説明するのはいつものことだ。苦手なことをどうしてかたくなに否定するのか。
伊賀さんは鐘守での仕事を終えてすぐに本部を経由してこちらへ向かい、明け方に到着したらしい。結構な強行軍だと思ったら、魔動二輪車を飛ばしてきたからそうでもないという話だった。そう言われても見当はつかない。乗ったことないし。
魔道具は確かに要請したけど、別に伊賀さんを指名したわけでもなく、なんなら出張明けの休みだったとかなんとか。市井さんへの愛がすごいっていうのだけはわかった。
「しばらく別の仕事しとけって言ってたんだがな」
「俺は負けません!」
「負けてただろうがよ」
六人掛けのテーブルで伊賀さんは、私の斜め向かいのすっごい端っこで大盛のご飯をかきこんだ。そんなに怖がっていても食欲は落ちないんだなと少し感心する。そしてまだ何か言いたいことでもあるのか、時折ちらちらとこちらを見てくるのがわからない。さっきのごめんなさいに、いいですよとか答えなかったからだろうか。でもなんかそれ偉そうな言い方だなって気が引けて、わかりましたとしか言えなかった。なんて返したらよかったんだろう。許したいとも思わないし、こちらから言い直したりとかする気もないのだけど。
昨日宿に戻ってから市井さんは、町長に面会をと宿の人に使いを頼んでいた。
『ほほ本当に、急な出張で! 隣町まで行っておりまして!』
わざわざやってきた秘書だという人は、この寒いのに汗だくでぺこぺこ頭を下げていて、きっとこれは大人の事情なのだと私でも察せられた。秘書を見送る市井さんはきれいめモードの笑顔のまま毒づいてたから、多分あっている。
『ちょっと飲み屋行ってくるわ』
私は連れて行ってもらえなくて、石川さんは部屋にこもっちゃったし、夜ご飯は自分の部屋で食べた。思えばひとりでの夜ご飯は久しぶりだった。宿舎の食堂にはいつも誰かがいて、同じ席についていなくても声をかけてもらえたりしてたから。
たったひと月ほどをそう過ごしていただけなのに、ご馳走が妙に味気なく感じて、人間は堕落に慣れるのが早いのだと聞いたことあるなって思い出した。
「さて昨日の情報収集の結果だが」
「じょうほうしゅうしゅう」
私が最後のたくあんをぽりぽりしているところで、市井さんが切り出した。もうみんな食後のお茶まで飲み終わりそうな雰囲気だ。私もたくあんをお茶で流し込む。
「そうだぞ! 兄さんはお前が寝てる間にしごっ、とぁー……」
「いちいちうっさいわお前」
またすごいドヤ顔で語ろうとしはじめた伊賀さんの顔に、市井さんの裏拳がヒットした。
でもこれは確かに私がぼんやりだったと思う。このあたりの飲み屋と言えば女の子が接待してくれるようなお店だと、私たちを夫婦に間違えた仲居さんが言っていたからてっきり。そう、てっきり。
んんっと咳ばらいをして、市井さんは話を続けた。
まだお盆には小さなみかんが残っている。私のお盆にもだ。まだ食べる時間はありそうだから、皮をむきはじめた。
観光客向けなお店ではなく地元の人間が通うようなお店では、やっぱり店の人間も地元出身が多いらしい。
それこそみんなそれぞれ子どもの頃から知っているような、そこら中親戚だらけのようなもの。どこぞの誰はどこで働いているだとか、誰と誰が何年付き合って別れたのだとか、あそこの子どもは陰気で本ばかり読んでいるだとか、おそらくは毎晩変わり映えのしない話を繰り返しあっているような店だ。
「酒が入れば口も軽くなる。そこにこんないい男がいればな? そりゃあもうよくさえずってくれるってもんなわけ」
「あ、はい」
それでもなんだろう。なにかサイテーな感じがする。わかんないけど。
みかんは皮が薄くてむきやすかった。白い筋もするするととれて、口に含めば果汁がはじける。甘酸っぱくて美味しい。
いくらずっと栄えていた温泉街とはいえ、都会とはいえない。普通こういった温泉は山の中にあって、都会の人間が休暇や湯治で来るところだ。交通の便だって悪いから、若い者は都会へと流れていくことが多いもの。
そういう前提から話がはじまったのは、私の世間知らずがばれているからだろう。ありがとうございます。市井さんはこれでなかなか教え上手なのだ。勉強もよくみてもらっているから知っている。もっともその現象は前世で社会科の時間に習ったのを覚えていた。過疎化というアレのことのはず。
ケムが市井さんのみかんに乗った。両手を広げてバランスをとったところをつまみあげてテーブルの端に落とし、みかんの皮をむいてあげることにする。
「ここも例にもれず、昔から若い者が出て行くのは当たり前にあった。ところがちょっとよそと違うのは、いなくなるのは評判の悪いろくでなしばかりでな。店の姉ちゃんも客の親父たちも口をそろえていうわけだよ。ここはいい人間ばかりが残るからいい町なんだってな」
「あははっ。自分たちで言っちゃうんだー」
明るい声なのに、石川さんの表情は冷ややかだ。そうだよねぇ。その店にいたのは残ってる人たちなんだもの。
当初の情報では、行方不明者が最近になって増加したとのことだった。確かに増えたのは最近ではあったけど、以前から年にひとりふたりは行方知れずになっていた。
そりゃ町を出て行く人間は一定数いるだろう。
だけど暴力的だったり、手癖が悪かったりと、そういう悪い人間ばかりが、ある日突然何も言わずにいなくなる。
町民がお互い知らない人はいないような、みんな親戚みたいな地域なのに、彼らがいなくなることに何の疑問も持たない。
ろくでもない奴らだから、何の挨拶もなくいなくなると。
それは普通とは言えない。
「景気が悪くなって若い連中が流出するのが問題だとか、あの町長は抜かしてたがよ。そいつらはいい人間だから惜しいんだろうな。結局、人的被害が出ていなければ異常現象対策部は動かないってことを知って、それならと行方不明者の話を持ち出してきたんだろう。たいしたいい人間っぷりだあなぁ?」
市井さんは楽しげに、すっごい悪い人みたいに笑う。
むいたみかんの半分を市井さんのお盆に、もう半分をケムの小皿においたら、「俺にもお供えかよ」って、また笑われた。







