6 竹箒と私
昨日は散々な一日だった。
私は商店街へのお使い以外に外へ出ることがほとんどない。
あの家は屋敷から商店街を挟んで向こう側にあったらしい。散々さ迷い歩いてやっと屋敷へたどり着いたけれど、昼ご飯にはありつけなかった。
裕福な家庭は一日五食が普通らしい。といってもうち二回はおやつだし、一食あたりの量も控えめだ。
使用人にも十時と三時にふかした芋とかがあたる。でもそれは私以外ってこと。一応この家の娘であって使用人じゃないから。かといって兄妹と同じおやつをもらえるわけでもない。これぞダブスタ!
夜まで抜かれてはたまらないから階段は必死に磨き上げた。玄関ホールへ降りるカーブ階段は、おしゃれ空間を演出するオープン手すりで死角もあまりないから手を抜きづらい。それでも女中頭の言いつけ通りの時間に間に合わせられたのは、何年も重ねた経験からである。段鼻の陰を磨くのは三回に一回くらいでもばれない。
木枯らしは落ち葉を巻き上げるのをやめない。延々と竹箒で玄関前を掃き続けているのは、無心になれて悪くない仕事のうちのひとつだ。寒くさえなければ。
毛むくじゃらは竹箒の短い穂先部分にぶら下がって揺れているし、ワニモドキが門の外からじっとそれを見つめている。あいつはよく毛むくじゃらを見ているけど、その目はガラス玉のようで何らかの意思があるようには感じられない。門からこっちに入ってくることもな――。
「……あの平木家の長女って聞いたんだがな」
昨日の不審者がワニモドキの後ろからこっちを見てた。え。何。逮捕? 逮捕される? 連行? そりゃ家は出たいけどそういうんじゃない。
「こんにちは」
「初めましてみたいな顔してんなよ」
礼儀正しくお辞儀しただけなのに!
竹箒を胸元でぎゅっと両手に握りしめた。これでこうなんとか……いやでもあの刀すごく切れ味良さそうだった。
のけぞって脇へとどけたワニモドキに目もくれず、軍服の不審者は悠々と敷地に足を踏み入れてきた。――昨日は毛むくじゃらを狙ったようだったけどワニモドキは見えないのだろうか。でも空振りばかりだったから、しっかり見えてはいないのかもしれない。
「うーん。痩せこけちゃいるが、やっぱり健康そうだな?」
私は多分食生活のせいで平均より少しばかり背が低いし痩せている。それでも風邪ひとつひかないから確かに健康優良児だと思う。それはそうなんだけど、何故不審者がそこを気にするのか。
昨日と違い、どうやら私を捕まえるつもりもなさそうな気配に恐る恐る俯いた顔をあげた。
男は見上げる首が痛いくらいに背が高く、広い肩幅に胸板も厚くて軍服がよくお似合いだ。目線をあげた私に対して、彼は逆に目を伏せている。別に私が低いからではなく、視線の先は竹箒のようだった。
「お前それ見えてるだろう」
それとは。いやわかる。でもほんとに? それとはこの竹箒の穂に足を突っ込んで逆さまにぶら下がっている毛むくじゃらで合ってる?
見えてるだろうも何も私があなたにそれを聞きたい。ような気がする。ああ、だけど、この人は毛むくじゃらを斬ろうとしたんだった。
「な、なんのことだか」
「今お前めちゃくちゃそれ見てたっつの」
そう言われるともうどこを見ていいのかわからなくなった。ワニモドキ、門、ワニモドキ、玄関ポーチ脇の西洋柊の赤い実。
「ああ、平木の名は柊が所以だったな。昔は鬼除けの家で名を馳せていたって話だが」
私のさまよう視線を追って、赤い実に目をとめた男は少し残念そうだ。ですよねー。柊は魔よけの木で西洋柊もそれは同じだけど木としては別物だ。父はことあるごとに過去の栄光を持ち出すけれど、その違いに気づいていないのか屋敷のシンボルツリーとばかりに西洋柊を植えている。
過去と言っても平木家が今も由緒ある家で裕福であることに変わりはない。血族はそれに見合った魔力量を誇り、国の仕事だのなんだので重宝されていると聞く。ただ鬼除けみたいな能力が実際にあったものなのかとか、どんなものなのかとかは知らない。私には関係ないことだから。
この世界に魔力や魔法はあるけれど、前世で読んだ小説みたいな魔物とか鬼とかそういうのはいない。異形は私しか知らないわけだし。
男は、ふむと頷くと後ろ手を組んで背を伸ばした。目を眇めつつ片眉を上げて。
「帝国軍第五師団……まあ詳しい所属はいいだろう。市井彬仁、階級は大佐だ。怪しいもんじゃねぇ。――っと、逃げんな」
ほんとに権力もったアレ! 思わず後ずさると竹箒を掴まれて、引っ張り合っているみたいな格好になった。
真横になった柄の空いてるところで、毛むくじゃらはぐるぐる逆上がりを繰り返しはじめる。
「お前、こんなもんまとわりつかせて平気でいられるってなぁ、さすが平木の血筋ってことか」
柄を離そうとした手を上から握りこまれた。
「ち」
「元気そうではあるが体にはよくねぇはずだ。悪いこと言わねぇから祓って」
「痴漢ですううう! おまわりさん! このひとですうううう! いやあああああああああ!」