5 聞き込みと私
ゼラチン質のたまごは直径が一メートルは超えてると思う。半透明の膜の中で丸くなっている蛙はぴくりとも動かない。
中身が透けて見えるのは手前の分だけなのだけど、これ湖一面に広がってるすべてのたまごの中にいるのかと思うと少しばかりぞわっとする。
市井さんは思案顔で湖を見つめ続けていて、私は寒さで少し足踏みをしてしまっていた。
てっきりその手にしている魔水石を、元の位置に戻すなりなんなりするんだと思っていたんだけど、違うんだろうか。
手元を見つめていたら、上着のポケットに魔水石はしまわれた。おや?
「よし。聞き込み行くか」
「え」
「町のほう行くぞー」
「え、え、え」
私、運動着にモンペなんですけど⁉ これで町に行けと⁉ だから自分だけちゃんと軍服着てたってわけ⁉
私たちが泊まった宿は温泉街のなかでも一番湖よりの場所だった。湖が観光の要なのだから、やっぱり高級宿なだけのことはある。
それでも他の宿だって立派だ。石畳で整備された道の両脇には平格子の壁や、温泉と書かれた大きな行灯が立ち並んでいる。中には和洋折衷の新しめの建物まで。宿に挟まるように土産物屋もあって、建物と建物の間がほとんどない。
とても賑やかな町だったのだろうと思わせるけれど、町の中心部へと向かっていっても観光客らしき人間がほとんどいない。いつものウニモドキや鼠モドキなんかは普通にいるというか、異形の方が多いくらいだ。
軒先にぶら下がる秤やランプから魔法陣の小さな残滓が煙のように立ち昇っては消えていくのが、人影の少なさも相まってうらぶれた風情を増している。
私の感覚では運動着にモンペは少しもじもじしてしまうものだったけど、案外とそれほど浮いてない、と思う。旅行客ならおしゃれしてるだろうけど、地元の人なら普段着で歩いてるわけだし。むしろ軍服着てる市井さんのが浮いてた。
「ほれ」
「ありがとうございます!」
襟元もゆるめて休暇中ですよみたいな顔した市井さんが買ってくれたのは、玉こんにゃくがみっつ串に刺さったものだった。大きなみたらし団子かと思った。だししょうゆのいい匂いが漂ってくる。店先に据えられた四角いおでん鍋で、ぷかぷか浮いている玉こんにゃくはさっきまで見ていた湖のたまごを思い起こさせたけど美味しいものに罪はない。おでん鍋のふちで逆立ちしているケムを横目にかぶりつくと、ぷりぷりした歯ごたえと、しっかり沁み込んだだしが美味しい。
それからもずっとあちこち食べ歩きして、これは完全に観光ではないかとか、そろそろおなかきついとか思いはじめた頃に茶屋で腰を下ろすことができた。町と湖は高低差があって、どこもかしこも曲がりくねった石階段になっている。寄り道しながらでもずっと階段を上り続けてきたけれど、毎日の走り込みでかなり鍛えられたから、足はさほど疲れてはいない。でもあたたかいお茶で、ほっとひと息ついた。
「さて、二時間ほど聞き込みしたわけだが」
「え?」
「……聞き込みしたわけだが?」
だって市井さんは、ずっと温泉卵とか温泉まんじゅうとか買ってくれてるばかり、で……あ! 雑談じゃなかったんだ⁉
買い食いするたびに店の人と話してたの、あれが聞き込み⁉
「――はい、っふ、ふぐっ」
勿論わかってるって顔して返事してみたけど、鼻を一瞬ぎゅっとつまみあげられた。だって最近どうよとかそんなのばっかりだったもの……。
「お前ね、湖が干上がってるっつっただろうがよ」
「いいまひた」
「おかしいだろ? もっと騒ぎになってもいいはずなのに、この辺の奴ら誰も気づいちゃいねぇ」
「ふぁるほど!」
離してもらえた鼻をさすって、鼻水出てないのを確かめた。
言われてみればそうだ。昨日まではひどく汚れていて、眺めて気分がよくなるようなものとは程遠かったけど、湖自体はちゃんとあった。一晩で干上がっていれば、誰一人気づかないなんてことあるわけがない。だけどさっき湖畔に行った時だって、私たち以外に人っ子一人いなかった。
え、やだ。市井さんはそれに気がついて聞き込みに来たというわけで、事前に調査班が情報収集済みって聞いてたのにな? とかどれだけ私うすぼんやりしてるんだ。こんにゃく美味しいとか堪能してる場合じゃないのよ。
私は助手なんだからメモとったりとかしたほうがよかったんじゃない? だって前世で見た刑事ドラマとかそうだった気がする。
映っているのが異形なのかそうじゃないのかがわかりにくくて、テレビや映画は自分からあまり見なかったけど、居間でつけっぱなしになっているのを眺めてた記憶ではそうだ。多分。
「ごめんなさい。メモを宿までとりにいってもいいですか」
勉強用のノートがある。ちょっと大きいけどそれを使えばいいし、走ればすぐだと思う。
「おう、何がどうしてそうなったか知らんけど心意気は買った。あとメモはいらん。俺忘れねぇし」
「出来がいい!」
「そうなんだよ。敬うがいいぞ」
行くぞと促されて、茶屋からまた階段を少しあがったところに展望台があった。展望台と言っても古い木の欄干に囲まれた広場がある程度のものだ。ちょっと立派な物干し台っぽくもある。
湖を囲む山々はさほど高くないけれど、そこからは湖の全景が見渡せた。
高くても三階建てくらいまでの宿や家屋それぞれから大小の煙突が立っているけど、煙やそれに似た魔力残滓をたなびかせているのは半分もないだろうか。
干上がってるらしいのに、吹きつける風は湖面を渡ってきたかのように湿っぽくて冷たい。ささくれだった欄干にぶら下がるケムがぱたぱたと揺れている。
「どうも町の連中には、湖の水は相変わらずあるように見えるらしいぞ」
確かにどの店の人も、変わりないとかちょっと前まではきれいだったんだけどねと言っていた。そうか。昨日と違っていたらそういう返事にはならないんだ。これが大人の話術……。
「ここからは俺にも水があるように見えるなぁ。お前は?」
「たまごはいっぱいありますけど、それだけじゃなくて大きな蛇もいます。たまごの海を泳いでる、みたいな?」
「ってこたぁ、近くに境目があるのか」
「さかいめ、ですか」
「あの白い手の町で、入り口がわからなかっただろ――ふむ」
「ああ……って、え?」
つまり湖の近くと、こちら側がちがう世界になってるってことなのかと理解した私の手が、いきなり握られた。
しかも指が! 指が! これは前世で言うところの恋人なんとか!
なんですかこれどういうアレですかって慌てて見上げたけど、市井さんの視線は湖から離れることはなく。
「見える! 見えるぞ! 確かに蛙のたまごだな! やるなお前!」
ご機嫌な声をあげられたけど、そういうアレなら前置きくらいしてくれてもいいと思う。







