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5 子どもと私

 ひしめき合うように建てられた木造や石造りの建物の隙間は、昼前にもかかわらずどこも薄暗い。よくわからない液体に濡れた路地を、ねずみのようでそうではない何かがいくつか走っていく。多分尻尾が三本あった。

 まずは男から身を隠そうと飛び込んだ小道には、表通りに並ぶ店のものであろう木箱やドラム缶が乱雑に積まれている。体を横にしてすり抜けようとする私の手首を、小さな手が掴んだ。


「こっち」


 引っ張りこまれたのはさらに細い路地。

 壁を這う古びた配管やらゴミバケツに肩や腰を打ち付けながらも、とぐろを巻いたぼろぼろのロープを飛び越えて。

 小さな背中が後ろ手に私の手を掴んで離さないから、右に左にともうどこを走っているのかわからないほど中腰のままその後を追う。

 坊ちゃん刈りの後頭部とセーラー襟のシャツの間に覗く細くて白い首。七歳とかそのくらいだろうか。身近に子どもがいないからよくわからない。わからないけど、この子っ、疲れないの……っ!?


 ひぃひぃと喉がかすれるほどになったころ、やっと手が離された。どくどくと耳の中の鼓動がうるさい。

 その手をそのまま膝について、息を整えながらずっと胸元で握っていた左手を開くと毛むくじゃらがいなかった。

 確かにすくい上げたと思ったのに――重い頭を持ち上げて視界を広げたら足元で反復横跳びしてるのが見えた。なんだそれ。

 弾みつづける息をやっと飲み込めた頃合いを見計らったように、子どもは私の顔を覗き込んできた。


「お姉さん、悪いことしたの?」

「え」

「おっきな男の人から逃げてたでしょ」

「……何も、してない」

「ふうん。もう追っかけてきてないよ」

「う、うん。ありがとう?」


 白いシャツに半ズボン、ショートブーツ。セーラー襟のシャツは子ども着のロングセラーだ。身ぎれいでなかなか裕福なおうちの子に見える。けど。


「お姉さん、おうちがない子でしょ」

「ええ? そんな、ことは」


 ないと言いかけるけど、あそこは私のおうちかと問われたら微妙だととっさに思ってしまって言葉がつまった。

 別に初対面のしかも子どもに答えるようなことじゃないのに。

 私はどうもアドリブがきかない。これは前世からだから治る気もしない。


「ここ、ぼくのうち。おいでよ」


 また手をとられて、今度は指を絡められた。細くて骨ばった小さな冷たい指。

 やっと腰を伸ばして前を見ると、そこにはありふれた木の門。左右には私の背丈ほどの塀が続いている。

 門から五メートルほど先に両引き戸の玄関。そこまで飛び石が続いていて、両側に据えられた立蔀(たてしとみ)が視線を遮っていた。

 板に細い木の格子を張りつけた立蔀の向こう側は、家の造りからいっておそらく庭であろうと思うのだけど。


 男の子はぐいぐいと私の手を引く。


「ねえ、おいでよ」


 からからに乾いた喉でありもしない唾をのむ。

 やたらめったらと暗がりを走り回ってきたけれど、おそらく商店街からそれほど離れてはいない住宅街。庭付き一戸建ての敷地はそれなりに広くとも、塀を隔てて家屋はずっと立ち並んでいる。なのにやけに辺りは静かだ。

 前世と違って、核家族が多数派ではけしてない。平日の真昼間であっても一軒家には大抵人がいるものだ。

 けれどこの通りに人影はなく、周囲の家から生活音すらしない。


「ねえ、おかあさんがおかしあるよって」

「あの、わた、私、階段磨かなきゃいけないから」


 ごめんねと絡められた指をそっとほどいてつまむ。意識して口角を上げてみせると、男の子は不思議そうに首を傾げる。

 私の手首に跨った毛むくじゃらも体を傾けた。


 異形はいつでもどこにでもいるのだけれど、大抵のものは怖いと感じない。

 私にとってみれば前世物心ついてから今世この時にいたるまで、ずっと一匹くらいは常に視界のどこかにいる程度のものだからだ。

 まだこれが他の人間には見えないとわからなかったころ、他人に見えるものなのか私にだけ見えるものなのかの区別すらつかなかったころは、両親や兄にその存在を指差し教えていた。その都度何もいないと訂正され、そのうち叱りつけられ、いつしか私ごといないものとして扱われるようになった。

 特に怖いものなわけでもなし、私に悪さをするわけじゃない。

 何か語りかけて来てるようなそぶりをされても、声が聞こえるわけじゃない。

 人間の病に憑りつくようなものからは、その宿主の死期を察せたりとかするけれど、私に何ができるわけでもない。

 大抵の異形はそこにいるだけのもの。


 ただ本当にごくまれに、ひどく怖いものがいる。

 必ずしも醜いというわけでなく、それぞれの外見に共通点はない。

 なんなら美術品のように美しい造形なことすらあるそれらが、何故怖く感じるのかはわからない。

 理由などなく、胃の奥が竦むのだ。

 近寄ってはいけない。私が見ていることに気づかれてはいけない。


 おかしがあるよと男の子が指差す立蔀の向こう側。


「階段磨きかぁ。それはしなきゃいけない? しないと叩かれる?」

「うんうん、だ、だからごめん、ね」


 私が気づいていることに気づかれてはいけない。

 自然に、そっと、触れていた指先を離す。その指先は冷たくとも確かにこの子は人間だと思う、けど。


「いいよ。今度遊びにきてね」

「あ、助けてくれて、ありがとう、ね」


 約束はしちゃいけない。

 板に張り付けられた格子の穴は向こうへと空いていないのに、こちらを何かが覗いている。


 何を含むことのない笑顔の男の子に見送られてその場を後にできたけど、ずっと視線から外れていないのが背中でわかる。

 どっちが家かもわからないまま一丁先の角を曲がって、やっと詰まり続けてた息を吐けた。


 もうやだー。私が何をしたっていうの。


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