25 反撃と私
客観的に見て、私は前世からずっと変わることなく家族に恵まれていないと思う。
でも小学校に上がる前の数年だけど、私にはじいちゃんとの思い出がある。だから他のなんてなくても平気。
親兄弟の愛情なんて最初から知らないから、ないのと同じ。知らないままでもいい。
こうして生まれ変わってもそれは同じ。平気。
そんなことより、前世より悪くなった生活環境のほうがつらかった。
私に興味をもたない家族でも、衣食住に不足はなかったんだ。
いつだってあたたかい部屋で眠れたし、お風呂だって毎日はいれた。
洗いたての服や下着を当たり前に身に着けていられた。
それは多分前世では標準で当たり前のことだったと思う。少なくとも私の身の回りではそうだった。
だけど今世では違う。
私は名家の長女にもかかわらず、扱いは家の下女と変わらなかったというか、下女以下だったかもしれない。
それでも下女というのは、奉公で預かった子に花嫁修業をさせて縁談も世話をするのが一般的で、待遇だって悪くない。
平木のような家で躾けられたとなれば、かなりの良家に嫁ぐことだってできる。
だから標準よりいい生活をさせてもらえてるのだと、ちょいちょい下女たちが話してたのを聞いていた。
セントラルヒーティングだから寒くこそないが、お風呂に入れるのは週に一度。下着事情はしらないけど毎日着ている着物の洗濯は月に一度するかどうか。それが普通。恵まれているとかではなく、それでかまわないという習慣だ。
だけど私にとっては、普通のレベルが落ちたとしか感じられない。
受け入れざるを得ないから受け入れているだけで、受け入れたくなんかない。
ましてや、妹の美代子は毎日お風呂に入れて、毎日洗いたてのきれいな服を着ているのを目の前で見ているわけで。
「お前……それはないわ……」
「佐吉くん……君ちょっとそれは」
「なっ、だって、そういうことじゃないですか!」
市井さんも石川さんも引いてるのに、伊賀さんはむきになってる。そういうこともなにもそこじゃない。
なんで知ってるの。私が買い物したことばかりか、何を買ったかまでなんで知ってるの。
「……んで」
「なんだよ」
「な、なんで私の買い物まで知ってるんですか」
「はん! お前と違って俺は有能だからな! お前の下心なんてお見通しなんだよ!」
「お前ほんといい加減にしろ。そんなことに式神つかってんじゃねぇよ」
「だって兄さん、こいつおとなしそうな顔して」
式神は主に調査班が使う魔道具だ。前世でいうならドローンみたいなものだろうか。勿論魔力で操作するから、使い手の技術で性能は左右される。……任務でもないのにわざわざ私にそんなものをつけていたってこと?
市井さんの声がさらに低くなっているのに、伊賀さんは引き下がらない。
私がどれだけ身の程知らずなのかを語りたくてしょうがないらしい。
――たかがパンツを買ったくらいのことで。
手の中でケムが両腕を突き上げている。
ノックのような仕草に包んでいた手を緩めると、やっぱりまだ魔水石を掲げ持っていた。
それはケムがよくたくあんとかを持ち上げているときと同じ動作だ。
魔水石はきらきらとした砂粒を含んでいるかのようにきらめいて、どんどんその色味が濃くなっていく。
市井さんはうんざり顔で伊賀さんを窘めようとしていて、石川さんはもう飽きたようでまんじゅうの最後のひとつを手にしていた。
たかがパンツだ。そんなことで何故つけあがらないようにとか言われなきゃいけないの。
新品でおろしたてのパンツを身に着けて、背すじまで伸びた気持ちでうれしかったのに。
「私は」
ささやかなことだと思う。
前世の価値観を引きずっていることを差し引いたとしてもそこまで分不相応ってわけじゃないはずだ。
そんな私が夜這いをたくらんでいただなんて。
あのトミエさんと同じことを?
「ああ、さつき。もうこいつ帰すから「私は!」お、おう……お?」
「パンツ二枚しか持ってなかったんです! 洗い替えがなかなか乾かなくて! だから買いに行きました!」
そもそも既製品のパンツが売ってるなんて知らなかったし、市井さんから借りた当座の支度金はいつか少しずつでも返していくつもりでいたから、タオルとか石鹸とか差し迫って必要な最低限のものに使っていた。
それでも最初のお給料で、少しだけいい木綿を買って新しく縫うんだって思ってたんだ。
寮では、毎日お風呂にはいれて、ごはんだって美味しいし、部屋だって明るくてあたたかいから洗濯物もすぐ乾く。
やっと誰の目を気にすることなく、身ぎれいでいられるって、幸せすら感じていたのに。
「に、にまい?」
「私は清潔でいたいんです!」
伊賀さんが目を瞬かせるけど、私にとっては最低限の当たり前のことだ。
それなのにずっとこちらの普通に合わせなきゃいけなかった。
清潔な生活は私の目の前で美代子だけが享受するものだった。
あの子のほつれひとつない下着まで私が洗濯してたのに。
手の中で魔水石の輝きが強くなっていく。ケムはひたすらに高々と魔水石を掲げたまま微動だにしない。
「そんなにパンツ買いに行くのがおかしいですか! 身の程知らずなわけですか! 仕事でもないのに女性を監視する方がよっぽどおかしいんじゃないですか!」
どうせじいちゃんはとっく死んでしまってるから、前世に戻りたいなんて思わない。
だけどその前世の記憶があるから、相変わらずあんまり家族に恵まれてなかったなんて思いつつも私は私のままでいられた。
こちらの生活習慣とか価値観に合わせて忘れてしまっちゃうほうが楽なことは多くても、どうしたって合わせられないことはある。
「伊賀さんは市井さん市井さんっていうけど、市井さんのこと全然見てないじゃないですか! 寝落ちしてるのだって気づいてなかったし! 大体市井さんが誰とおつきあいしようと、よっ夜這いされようと伊賀さんに関係ないし! 市井さんは女の人をもてあそぶことはあってもその逆はないって武勇伝を知らないんですか! そんなことすら知らないんですか! 私は知ってますけど!」
「なんでそんなの知ってんだ⁉」
市井さんが驚いてるけど、食堂で噂話を耳にすることぐらい私にだってできる。参加は無理だけど。
「ちゃんと市井さんを見てもいないくせに、兄さん兄さんって、伊賀さんのいう悪女ってどんなのか知りませんけど! 正直はるかに伊賀さんのほうが気持ち悪いです! 他人のパンツ事情とかほっといてください! なんでそんなことでいちいち勘ぐられなきゃいけないんですか! 気持ち悪い! 本当に気持ち悪い!」
一気にまくしたてて大きく息を吐きだしたら、魔水石もその輪郭が見えなくなるほどの閃光を放った。