16 結界の外と私
前世でも今世でも、異形たちは私にとって怖いものではなく、大抵はただそこにいるだけのものだった。
ごくまれに遭遇する怖いものは、先日の手の異形を別としてひたすらに避けておけばそれでよくて。
でもここ最近勉強をしてわかるようになったのは、おそらくはその怖いものが、市井さんたちの討伐対象なのだということ。
つまり私は今まで避けて逃げていたものと対峙しなくてはならなくなったわけだ。
とても怖いことだけど、それはもう覚悟を決めていたし、市井さんが言葉通りにこうして守ってくれるのもわかってる。
このトミエさんだった異形は怖いものだ。だけど。
「市井さん。あの石は怖くないです」
「んー? するとアレだな。傀儡の線は消えたか。じゃあ斬っちまってもいいか。お前もあの状態のアレなら耐えられるんじゃね」
「た、耐える⁉ たたた、耐え、いえ、はいっ頑張ります!」
「おう。斬るのは俺だからよ。耐えろ」
正直、相手にするのは怖い妖だけだと思っていたし、人間をどうこうなんてまるで考えていなかったから、そっちの覚悟とかそんなのはさっぱりできてない。
傀儡の線が消えたっていうのは、もっと怖い何かが裏にいる可能性が消えたってことだと思う。とり憑かれているってのとどう違うのかはまだ理解しきれていないけど。
今はまだピンと来てないから大丈夫な気がしているだけで、いざそうなったらどんな感情が待っているのかわからない。だって鐘守さんのように、死期がわかるだけで何もできない私と関係のないところで亡くなってしまうのとは訳が違う。
でも、斬るのは自分だからと、私とは関係のないことだと言葉にしてくれる市井さんの役に立つんだって決めたのだから。
「私は市井さんの助手ですから!」
「――は、ははっ! お前ほんとかっわいいなあ! ちゃんとそこでちっちゃくなってろよ」
「はい!」
両手をついて膝はつかずにしゃがみこみ、でも前だけはちゃんと見て。
練習した通りに縮こまれば市井さんが小さな勾玉を私の目の前の叩きつけた。
きぃんっと響く音とともに光の波紋が広がって、シャボン玉みたいな膜がドーム状に私を覆う。
「かわいい! かわいいのはトミエ! きれいなのはトミエ! きらい! きらい!」
譲れないポイントだったのか、トミエさんは手だか足だかを地面に突き刺しては抜きを繰り返しはじめた。正月番組でたまに見た、熱した砂利に手刀を突き入れる芸のようだ。
「笑わせやがる。憑かれたからというより、性根が増幅して顕在化したか。――戯言抜かすだけなら、ここに捨て置いてやったのにな」
ざくっざくっとえぐられて飛び散る砂利を、何本もの手でつかんでは投げつけてくる。
全て危なげなく市井さんの鞘が打ち返したのだけど、なんだかトミエさんの手が増えてきてる気がする。残像……?
ケムがするりと私を覆う結界の中に入ってきた。
「おまえ! おまえ! トミエのがかわいい! ばか!」
「私⁉」
「そのザマで張り合ってんじゃねぇよ! かけまくもかしこき――」
右手で鞘を振り回し、左手をホルスターの銃を押さえながらの高速詠唱がはじまった。
カンカンと小気味よい音を響かせながらも、息切れもせず淀みない。
私のところまで届いてないから気づかなかったけど、もしやこれは私を狙って石を投げている、のかもしれない。
「――うがちはつむるおほとこの――」
「やー! やー! やー! きれいきれいぎれいよこせよごせよごぜ」
きぃんきぃんと詠唱の抑揚に合わせて次々と生み出される歯車にも似た魔法陣は、回転しながら宙に浮かぶ。
トミエさんの甘く媚びた声がどんどん低くしわがれていく。
掘り返される砂利の音。
市井さんの張りのある低い声。
石を跳ね返す鞘の音。
何も見逃さないようにとずっと前を見ていたけれど、ふと視界の隅にひっかかるものがあった。
私の足元、結界のぎりぎり外側だ。
ぽこり、と手のひらほどの石がひっくり返る。
ぽこり。ぽこり。
「――かみたちともにきこしめせとかしこみかしこみまおすっだぁ!」
「ぎゃーははははっ」
すらりと赤く輝く刀を抜いて一歩大きく踏み出した市井さんの背中。
石の下から覗いたのは、ぬらりとした表面が緑と紫がまだらで、あのミミズにしては先が尖ってるなと思った。
だけど一気に天に向かって伸びたそれは根元にいくほど太く、結界の外周をくまなく埋めるように幾本も幾本も。
あ、これはミミズというよりいそぎんちゃく? だなんて呑気なことを思ったのは妙にスローモーションに見えたからだ。
見上げれば触手の先端がすべて、くるりと私のほうを向いている。
赤い刀身が横薙ぎに空を切ると同時に、魔法陣は回転を増してトミエさんに襲いかかった。
ミミズのサイズなら市井さんには見えない。
でもこれはどうだろう。
これは見える大きさだろうか。
これ、市井さんが背後をとられているのでは。
「市井さん! 後ろに来てます!」
私を真似るように体育すわりをしていたケムを抱え込む。
もう幼児ほども大きくなっていたから、手も足もはみ出ていて抱えきれないけど。
いそぎんちゃくの捕食のごとく、触手は結界ごと私を閉じ込めた。







