11 レンコンと私
「鐘守氏がお待ちだ。行きましょうか、さつきさん?」
優し気だったのはひと撫でだけで、ぱっと手を離した市井さんはよそ行きの顔のまま圧をかけるという技を見せつけた。
ですよね。お仕事終わってないですもんね。
朝食はやっぱりゆうべと同じ広間に用意されていた。配膳に出入りする女中さんをよけて敷居を跨げば、お誕生日席にいる鐘守さんがまっすぐこちらを向いて座っている。うん。たぶん鐘守さんだ。あのミミズが全身を覆って蠢いているけど、このくらいなら平常心を保っていられる。なんならトミエさんのほうが怖い。
でも昨日は確かに一匹だけだったのに、ずいぶんと増えるのが早い。
お膳の朝食はお味噌汁にさといもの煮物、紅白なますにレンコンのぬか漬けと鮭の切り身だ。
お櫃からよそわれたほかほかの白米が、ことんと置かれる。目に優しくない鐘守さんを視界に入れないようにご飯に集中した。美味しそう……。
ケムはお膳の下にもぐっていて、伸びた足と尻だけがはみ出ている。またひと回り大きくなったけど、お膳の高さにぎりぎり間に合っていた。
「明け方お帰りだったとか。いやあ、お疲れ様でございました」
こほんと空咳をしてから話す鐘守さんの声は少ししわがれている。箸も進んでないようだった。
つやつやとしたさといもは、ねっとりとしていて美味しい。
「さきほど山へ人をやりましたが、頂上から半分までしか地蔵は逆立ちしていなかったそうで。さすがに仕事が早い」
終わってないのに、すっかり終わった気になってるらしい。え。どうするんだろう。
鮭の切り身はふっくらとした焼き加減が最高……っ。塩っ辛くなった口の中をごはんでやわらげた。
堪能しながら横目で市井さんを見上げると、やっぱりしれーっとしたすまし顔でお味噌汁の椀に口をつけていた。それから、ふむ、と頷いておもむろに。
「さつき。報告を」
「えっ」
なにいってんのこのひと⁉ えっ、鐘守さんこっち見た! えっやだ見ないで!
「なんと。お若い女性なのに、さすが市井家の方ということでしょうか」
「あ、あああの」
口に運びかけてたレンコンに食いつくわけにもいかなくて、小皿に戻してみたけれど。
報告? 何を? 市井家の者じゃないけど⁉
「じっ地蔵は丈夫でした!」
「石ですからな」
それはそうだけど! すっごく勢いつけて逆立ちさせられても壊れなかったからっ!
「ふっ――ええ、いい石をお使いになってますね。昔から魔水石といえば鐘守と言われているだけのことがある」
今笑った! 鼻で笑った! いきなり無茶ぶりしたのは市井さんなのに!
魔水石は魔道具の核というか動力源になるものだ。前世でいえば電池と同じに魔力を蓄えることができる。私は詳しく知らなかったけど、平木の父や兄はこれに魔力を充填する仕事をしているらしい。勿論市場に出回っている洗濯機とかに入っているようなものではなく、もっと国で管理しているような大きな装置だと教わった。
採掘できる場所は秘匿されているって習ったのもつい最近だ。なるほど。ここで。
……あれ? それ、私が聞いちゃってよかったの? 昔からって言っても知る人ぞ知るってやつじゃないの?
つい後ずさりたくなるのをこらえて、再度レンコンを箸でつまむ。市井さんを見習って。しれっと。だって舐められるなって言われたし。
「――魔道具の登場以前からも守り石として重宝されてましたからなぁ。とはいえ、野ざらしの地蔵に魔水石など使うわけがない。いつからあるものかも定かでは……」
顔面いっぱいに不遜と書いているかのような市井さんに対して、鐘守さんの顔面にはみっちりとミミズが這っているから私にはよくわからないけれど、少し表情が硬いように思える。目元から一匹落ちたのは瞼がぴくぴくと震えてるからじゃないだろうか。
レンコンの歯触りがしゃきっとしていて美味しい。ケムはお膳の下で動かない。でもさっき見た時とは裏返しになっている気がする。
「それなのに逆立ちするのを放っておくことはできなかったと?」
「放っておくなど、そんな罰当たりなこと」
何故だか妙に空気がぴりぴりしているから、あまり音がしないようにレンコンをゆっくり噛んだ。それでも美味しいのは変わらない。
「地蔵をひっくり返しているのは妖の仕業で間違いありません」
「では」
「ただうちが出るほどのものでもありませんね。討伐は不要です。放っておいたところで一日おきに逆立ちするだけですから」
えー。それ私が先に言ったのに……。
「で、ですが、あの地蔵は村の者も大事にしておりまして「そうですわ! まだ討伐は終わっていないのでしょう⁉」」
広間に入ってからはゆるりと微笑んだまま静かにしていたトミエさんが甲高い声で食いついた。びっくりした……。鐘守さんも若干びくってした。
市井さんの赤い目は魔力を強く開放した時に顕れるものなんだと、それは理解した。
さっきからトミエさんの目がぎらついているのも、きっとそれだ。だけど市井さんのとは違う。彼の光は強く深い赤なのに透明感がある血赤珊瑚の色。平木の母が大切にしていた帯留めだったから見たことがある。着替えを手伝っていたから片付けようと手を伸ばしたら叩かれた。
トミエさんのは、もっとどろりと淀んでざらつきのある、そう、底なし沼の水面が鈍く光っているような――緑と紫の。
「名だたる帝国軍第五師団異常現象対策部隊特殊班ですものぜひそのお力をふるっていただけませんかトミエは勇ましいお姿をぜひ拝見しとうございます!」
早い! 早いのに噛んでない! えええ⁉