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3 妹と私

 とんとんとんと包丁がまな板を小気味よく叩く音。煮物がくつくつと煮立つ音。水道から勢いよく出る水音が鍋底を鳴らす音。

 着物の擦り切れた裾とエプロンを膝にたくし込んで勝手口横にしゃがみ、大根とにんじんの泥を盥の水でごしごしと落としていく。

 七輪の上ではぱちぱち爆ぜながらししゃもが煙を上げている。ふんわりと漂う朝餉の匂いにお腹が鳴ったけれど、これはこの屋敷の主人家族のものだ。配膳の準備をしていた女中がぱたぱたと駆け寄ってししゃもを裏返した。

 用意されたお膳は四つ。それが運び出されて使用人たちの賄飯の支度が始まる。その給仕をして、洗い物を片付けて、それからが私の朝食だ。

 前世であれば文化財指定されてそうなこの屋敷は、基本洋館でところどころに和の趣を残している。例えばこの使用人が食事するところは土間に面した小上がりで板張りにちゃぶ台がみっつ。その隅っこで味噌汁とたくあんの尻尾を白飯でかき込む。

 今日は主人家族――両親と兄と妹が全員出かける日だから、彼らがいなくなったらすぐに階段と廊下を磨き上げなきゃいけない。

 米の最後の一口分をちゃぶ台の下にそっと置くと、毛むくじゃらがやっぱり高々と持ち上げて走り回ってから一口で平らげる。いまだに口がどこにあるのかよくわからない。今日は頭のてっぺんで米が消えた。ゆうべは右膝のあたりだったと思う。


「お前にもこのくらいはできるでしょう?」


 女学校へ通う妹の美代子が家を出る間際に、ひらりと見せびらかすように手渡してきた手紙。

 アイロンがきいてぱりっとした袴に鮮やかな朱の矢絣柄を合わせて、艶のある髪をひらっひらのレースリボンでまとめているのに、その笑みは腹黒そうに歪んでる。姉さまなんて呼ぶのは外の人間がいるときだけで、普段はこんな感じだ。


「お嫁入りしたキヨちゃんに婚約のお知らせをしなくちゃいけないから」


 手毬模様の切手はなかなか高価なもの。おそば三杯分くらい? 勿論お店に行ったことなんてないけど、女中頭が言っていた。

 銀行家だとかいう結構年上の男性と結婚したキヨちゃんに、妹はかなり張り合っていたと思う。きっと若くてそこそこイケメンな勝さんを自慢するんだろう。


 玄関前のロータリーに横付けられた魔動力車は、お値段もさることながら動かすための必要魔力を貯蔵できることでステータスを示す。それはもう一度動かすのなら一家勢ぞろいで得意げに乗らなければならない。すました顔してるけど、彼らは数日かけてあの車に魔力を充填してるのだ。

 運転手がキーをひねれば、四つの車輪をそれぞれ軸にして薄白い光とともに歯車みたいな魔法陣が浮かび上がった。

 キーンと汽笛のように鳴き、カシャカシャと内部のギミックが軋んで噛み合う音が響く。

 門を出た途端に車の屋根に飛びついたのは極彩色のワニモドキ。あいつはいつも妹が出てくるのを外で待ち構えている。

 排気ガスの代わりにきらきらと光る砂みたいな魔力の残滓を散らしながら走り去るワニ付き車を、女中たちと一緒にお辞儀して見送った。


 階段磨きを後回しにして向かうのは、商店街にあるポストだ。

 代わりを誰かがしてくれるわけでもなければ、磨き終わりの時間を繰り下げてもらえるわけでもないので小走りに人波を抜けていく。

 毛むくじゃらも素早い後転で前を進んでいる。先導しているようでもあるけど、多分たまたま方向が合ってるだけ。

 冷たい風で鼻の奥が痛い。

 八百屋の売り込みの声や魚屋と客の値引き合戦で賑わう光景は、前世とさほど変わらない。

 けれどよくよく見れば、秤や時計にまとわりつく魔力残滓。そこら中に魔道具があふれている。

 普通の人にとっては、よけなくてもぶつからない程度の人出に見えているだろう。

 八百屋の頭には立派な尾羽をたらした蛙モドキが乗ってるし、魚屋の腰に巻き付いている海栗みたいにとげのある頭をした蛇。

 客の後ろから肩に顎を乗せているのは人の形をしているけど、シャツは前後ろ逆でボタンもずれている。

 私に見える世界は、多分人より何割か増しでにぎやかだ。


 手紙はスコンと音を立ててポストに呑み込まれた。毛むくじゃらはひたすら真っすぐ後転しながらどこかに行った。

 あれは放っておいてもいつの間にかまた戻ってくるから、家路を急ぐべくそのまま踵を返した瞬間。

 さぁっと幕が引いたように空気が明るくなった。

 多分それは錯覚で、実際はそこら中に蠢いている異形たちがいなくなっただけだとすぐに思い当たる。だから明るく感じたのは私だけのはず。

 戸惑いで立ちすくんだ私の背中に、誰かが軽くぶつかっていった。


「つったってんじゃねぇよっ」

「……っすみま」


 その誰かは私の声など拾いもせず走り去る。

 勢いで踏み出された右足から視線を前に戻すと、人波から頭ひとつ分飛び出た男性と目が合った。

 それなりに距離があるし、普通に考えて目の色なんて見えやしない。

 それに前世と同じく黒髪黒目が大多数のこの国なのに、何故か瞳の色が赤だとわかった。

 きりりと形よく整った眉は不機嫌そうに寄せられていて、すっきりと高い鼻と薄い唇、おそらくはイケメンという部類の人だから、きっと目が合ったと思ったのは気のせいだろう。そのはずなのに、強い視線が刺さってきてる気がする。気のせいだと思うのにすっごくこっち見てる。え。怖い。

 ずかずかとこっち来る!


「ひぇえええ」


 小さく小さくこぼれ出た自分の悲鳴に押されるように逆方向へ駆けだした。

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