2 山道と私
この一か月、しっかり毎朝ランニングもしていたし、そうでなくとも私はそこそこ足腰強くて体力もあると自負していた。
でも山道はちょっと勝手が違うものだったらしい。思えば登山なんて前世で小学校の遠足でしたっきりだ。
人がすれ違えるかどうかくらいの幅しかない道は当然平坦なものじゃなくて、小石どころかちょっと大きめの岩ともいえるサイズの石も転がってるし、太い木の根が這って段差をつくっていた。ケムは跳び箱を跳ぶみたいにぽんぽんと越えてどんどん先へと進んでいっては戻ってくる。
「さつきは弱音を吐かないのがえらいなー」
ケムほどではなくとも軽やかな足取りで前を進む市井さんが振り向きもしないまま褒めてくれたけれど、息切れの熱で喉が焼けそうなだけだ。
柳で編まれている蓋つきの四角い行李は、ひもでくくって背負ってみると案外と軽い。ふもとでは確かにそう思った。
でも今はひもが肩に食い込んできてるの! 褒めてくれるのなら中にある魔道具をいくつか持ってくれてもいいんですよ! 彼の背負ってる背嚢のが大きいから言えないけど!
「……その中身、揺れないようにきっちり詰めてあっからなー。減らすと隙間あくからお高い魔道具が壊「頑張ります!」ふはっ! おう、頑張りな」
私は前世の頃から何を考えてるのかわからないって言われ続けてきてるのに、なんで市井さんにはわかっちゃうんだろう。
いやこっちを見てもいないんだから、私の問題ではないのでは?
私も一応軍組織というものを勉強しているところだけれど、大佐っていうのはすごく偉いんだと教わった。
私たちが所属している異常現象対策部の特殊班は市井家所縁の人で占められていて、みんな市井さんに結構気安い態度だから、教わるまでそうとは知らなかったし教わった今でもぴんとはこない。でも市井さんはすごく強いし魔法だってすごいんだと食堂で顔を合わせる班の人が力説してたからきっとすごいんだろう。班の人たちすごいとしか言わないけど。
だからこう、なんか魔法的なアレで市井さんはそういうのがわかるのかもしれない。顔に出てるとかそういうんじゃなくて。
息切れで口が開いたまま自分の頬をつまんだ瞬間に、振り向いた市井さんと目が合った。鼻で笑うのやめてほしい。
「よし。このへんでいっか」
「てっぺんまで行くんじゃないんですか」
「大体ここらあたりに設置しときゃ、地蔵のある範囲はほとんどおさえられんだろ」
リュックの中から一抱えほどの四角い魔道具を出した市井さんは、道沿いにそれを置いた。
慣れた手つきで陶製のスイッチボタンをぽんぽんと押していくと、金属音とともにアンテナっぽい鉄棒や細い筒が背面から突き出す。ケムはおもむろに寝転がり、天に向かって伸びる筒を見上げだした。
宿舎を出発するときにはもう魔道具の荷造りは終わっていたから、中に何が入ってるのか詳しくは知らなかったのだけど、これは教えてもらったことがある。これを中心とした一定の範囲内で妖が動けば、それを遠くからでも探知できるし記録までできる優れものだ。もちろん気が遠くなるほどのお値段がする。
底光りのするよくわからない素材でできたつまみを回すと、ぴぃぃんっと、弦を弾くような音。
小石を水面に落としたような光の波紋がアンテナから広がる。
波打ちながら描かれる魔法陣は、この山を覆うように薄く伸びていった。
わずか数秒ほどで光も音も消えて、残るのは鳥のさえずりと葉擦れのざわめきだけ。魔道具はすんとも言わなくなった。
「こっ壊れ「こういうもんだっつの」」
一瞬息を呑んでしまった。だって動かしたのを見たのは初めてだったから……。
前世で言えばタブレットみたいな端末の画面を、市井さんはすいすいと指でなぞりだす。前世のものよりずっと分厚くて石板のようでもあった。
電気もない世界なのに、こうしてところどころ前世を思い出させるアイテムを見るといつも不思議な心地になる。
魔法と科学という方向性が違っていても、似たような形に落ち着いていくものなんだろうか。
「それ、妖を感知したら画面でわかるんですよね?」
魔道具を前にしゃがみこんだ市井さんの背中側から端末をのぞき込むと、画面には十字と円の線が引かれている。レーダー? 前世では映画で見たことがある。この十字の線が交差しているのが魔道具の位置だろう。たぶん。
習ったところによれば、妖がいる場所のあたりに光る点が浮かぶらしい、んだけど。
周囲の草むらからは、妙に長めの蛙の手が伸びて小石を拾っては戻り、伸びて拾ってまた戻りを繰り返してるのに。
日差しを遮る頭上の枝に二本のしっぽを絡めてぶら下がるイモリっぽいのがゆらゆらしてるのに。
「……何も映ってないんですが」
「俺に見えないような雑魚はひっかかんないんだろ。今までお前がいなきゃいるのも知らなかったんだしよ」
確かに本部のゲートどころか敷地内すべてで小さな異形たちは闊歩していたのに、全く把握されていなかった。ないはずのものが魔道具に映らないのは当然なのだから気づかなくて当たり前だ。
今まさにケムがコマみたいに魔道具の横でぐるぐる回ってるのを、市井さんはひどく嫌そうに見つめてからそっと目を逸らした。
「でも市井さんはケムが強いって」
だったらケムはこの魔道具に映っていてもいいのでは?
「よし! とっとと山ぁ下りて飯にすんぞ」
「でも」
「さあ動け動け。今日は早く寝て夜中に動くんだからな」
「それはいいんですけど、でも」
「壊れてない。壊れてないぞー俺はちゃんと運んだしなー! ほら! 早く荷物荷物!」
「えっ、あっ、はい」
急き立てられるままに行李を背負いなおして、来た道をまた戻った。
私の荷物は一切使わなかったことに気がついたのはふもとについてからだ。
え。私なんでこれ運んでたの⁉ 蓋すら開けなかったんだけど!