23 むこうがわと私
本日二話同時更新しています。ご注意をー!
私の初仕事は何の問題もなく完了したと報告されたらしい。
改めてよく聞いてみると、私は正規の軍人扱いではなくてあくまでも市井さん権限で雇われた専属の助手だった。それもあって調査部からは、さらっとしか聴取されてない。横で市井さんが楽勝に決まってんだろーって笑顔で威嚇していたせいもあるはずだ。
ほんとにこの人ごまかした……って思いながら見上げてたら顔を鷲掴みにされた。
あれから一か月ほど経つ。
時折ちらほらと漏れ聞くに、市井さんは偉そうなんじゃなくて偉いで間違いないのだという。市井家の権力ももちろんそうなのだけど、それだけではなく、市井さん自身がちょっと特殊で十三のころからこの現場で叩き上げた実力派なんだそうだ。他にも旧家らしく諸事情はあるらしいけど、まだそこまで知らない。多分彼は聞けばさらっと教えてくれると思うけど。
そんなことより今日の晩ごはんはカレーだ。
朝のランニングを含めた体力をつけるための基礎訓練が午前中にあり、午後は魔道具学をはじめとした勉強を図書室でしている。基本ここにいる人たちは家で座学は習得済みなので、ほぼ独学なのだけどちょいちょい市井さんが顔を出してつきあってくれる。今日も夕方に来て、わからないところを教えてくれてた。でももうそのときには換気扇からなのか匂いがどこからともなく漂ってきていて、待ち遠しくてたまらなかったのだ。
「お前ほんと食うの好きだな」
「だってカレーじゃないですか!」
「ふはっ、肉づきもよくなってきていて何よりだ」
前世ではセクハラとか言われそうな言葉でも、ここにそんな概念はないし、市井さんから言われるのは嫌じゃない。ちょっとそわそわはするけど。
気をとりなおして、スプーンを構えた。
丸皿の真ん中にもられた白米の少しへこませたてっぺんには卵黄が載っていて、ルーはぐるりと囲むようによそわれている。芋も人参も肉も角切りのごろごろだ。玉ねぎは見えない。
スプーンに米とルーと具が同じくらいになるようにすくって、まず一口。熱かった! はふはふしながらも鼻いっぱいにふくらむ懐かしいカレーの匂いを堪能した。美味しい……。あんまり辛くなくて、多分牛乳を入れているまろやかさは、これはあれだ。小学校の給食で食べた味! 優しいカレー! 前世での小学校ぶり! 二口目は崩した卵黄もちょっと混ぜて、さらに増した風味にうっとりした。
市井さんはりんごのコンポート二切れを、私の皿とケムの皿にそれぞれ分けてくれている。皿の周りで側転を続けてるケムも気が済んだら食べるだろう。ぐるぐる回るケムの進路を邪魔しないように、タイミングをとってりんごを載せる市井さんがちょっと面白かった。
ペット感覚なのかと前に聞いたら、こんだけ強いやつに祟られたくねぇしって言ってた。お供え感覚らしい。
「あ、そうだ。明日遠出するぞ」
「えっ」
「なんかよー、山によく地蔵並んでるだろ」
「はい」
「あれがなー、戻しても戻しても毎日朝には逆立ちしてんだってよ。八十七体全部」
「はあ」
「くっだらねぇよなー。でも国のえらいさんの本家がある村らしくてなー」
「それほっといたら二日後に戻るんじゃないでしょうか」
「……お前、時々真顔で斬新だよな。一日おきに逆立ちするだけだからいいでしょうってか」
駄目らしい。
遠いのかな。泊りがけだろうか。パンツの予備はいるのかな……洗う場所はあるだろうか。
市井さんは偉いから、あんまり遠出をすることはないって言ってたことがある。だから遠出を依頼する偉い人はもっと偉い人なんだろう。
討伐というけれど、あの立蔀の妖は向こう側へ帰っただけだとなんとなくわかる。
それは市井さんも多分そうだろうなってわかっていた。基本そういうことが多くて、手ごたえで判別できるらしい。
『滅せることもあっけどなー、押し返せるほどに弱らせてっから、俺らが生きてる間くれぇは戻っちゃこねぇよ。その後は知らねー。でも討伐したことにしとかねぇとうっせーのがいっからよ。お前も黙っとけよ』
鼻先がくっつきそうな距離でにやりとされたから、勿論必死に頷いた。
異形のすむ世界で人間が生きていられるかどうかわからない。行ったことがないし。
でもあの男の子は少なくともこちらに戻ってこれることはないだろうことはわかる。
私のまわりにあるうすかわいちまいほどの隔たりが世界を分けているのはずっと感じていて。
じいちゃんはそこを越えるなと常々言っていたわけだけれど、あの男の子は笑顔でむこうへ行ってしまった。
前世でも、今世でも、ふらりと向こうへ行ってしまいたくなる危うい衝動を、全く感じたことがなかったとは言わない。
あの奇妙な街並みの空間は、あちらとこちらが重なっているようなそんなあやふやなところだったと思う。あの妖は確かに怖かったけど、空間そのものの居心地は正直悪くなかった。だって異形も人間も私に構わないのは同じだから。
泊まりになるっていうし、パンツの替えはちゃんとかばんにいれた。でも一枚しかないし明日には帰ってこれるように頑張ろう。
市井さんは当座の生活必需品を用意しろってお金を貸してくれたけど、足りないものはそこそこあったから後回しにしていた。
今度初めてのお給料をもらえたら新品の木綿を買って作りたい。可愛い柄のだって買えるかもしれない。
「市井さんて運転できるんですか」
「ああ? できないわけねぇだろ。上手いぞ俺」
寮の裏口前に横付けされた車は、初日に乗ったのよりまた一回り小さい二人乗りだった。
制服はパンツスタイルだから、今度こそ自転車に乗れるところを見せられると気合をいれていたのに。
「自転車て。どんだけの距離走る気だったんだよ」
「ケム、行くよ」
声をかけたけど、ケムは椎の木の枝で大車輪をやめない。
「……いつも通り勝手に戻ってくるだろ。ん」
助手席のドアを開けた市井さんが差し出してくれた手に、今度はちゃんと手を乗せた。
しっかりと包んでくれる大きな手は少しばかりごつごつしていて温かい。てのひらの温度と同じに首の後ろが熱くなる。
タイミングよくひきあげてもらえて、高い座席にもすとんと座れた。
ぐるりと後ろを回った市井さんが運転席に戻ったときには、ハンドルの上でケムが体育座りをしていたから、つかんで膝に乗せた。ちょっと震えちゃってる手はきっとごまかせてる。
四つの車輪をそれぞれ軸にして薄白い光とともに浮かび上がる魔法陣に、市井さんの横顔が照らされる。
キーンと汽笛のような金属音とカシャカシャ軋んで噛み合うギミックの作動音。
私は市井さんの助手で、私は市井さんの役に立てる。市井さんはそう言ってくれた。
だから私がうっかり向こう側へ踏み出してしまいそうになっても、彼がその大きな手でつかんでくれるんじゃないかと思う。多分。おそらく。
きっと市井さんとケムと私は、同じ側にいられるんじゃないかとなんとなく思うのだ。いやわかんないけど。
「あ、そういや二泊すっからな」
「えっ」
マジで!? パンツ一枚しかないのに!? なんで早く言ってくれないのかなー!
「だってお前、せっかく遠出すんだしよー。休みつけといたからな。休み」
「やすみ。ややややすみ」
「おう。まだ手は出さねぇから落ち着けー」
「はははははいっはい」
まだって言った! この人まだって言った! どういうまだ!? 聞いとく!? いや無理!
もうちょっとだけでいいから順序良く簡単明瞭に話してくれないだろうかと思うのに、市井さんはげらげら笑うだけだった。
もしかして前世より今世のほうが難易度高いのかもしれない。だってこんなに息切れと動機がひどいから。
続編は書くかもしれないし、書けないかもしれないし、なのできりのいいとこでこれにて一旦完結となります。
3万字は5万3千字ほどとなりました。でもまだ短編です。セーフ!
なので?どうぞブクマはそのままで!完結つけるんでご祝儀評価もくれたらとてもうれしいです!ありがとうございます!