14 おしゃれと私
とめどなくあふれる涙と鼻水にしゃくりあげている私の背中を、遠慮がちにさする大きな手。
「おま……えずいてんじゃねぇよ」
違うと首を振ったら本当にえずいた。顔に押し付けた袂はもうしわくちゃだ。
竹箒だったりドラム缶だったりと雑多な色々が今にも雪崩れそうに積み上げられている裏路地で、市井さんは私を大きな木箱に座らせてくれていた。
市井さんはもう一回り小さい木箱に腰かけているけど、足が余ってる感強い。荒げていた息はもうすっかり整ったようだ。意外とぴしっとした大きなハンカチで汗をぬぐっている。
「使うか?」
すごく自然に差し出されたけど遠慮した。いくらイケメンでも多分それはない。
毛むくじゃらはさっきからずっと木箱の角の釘を片手でつかみ、揃えた両足を側面につっぱらせてバランスをとっている。高々とあげているもう片手がなんかいらついた。
釘をつかんでる手を指ではじけば、ぼてっと落ちるんだけどまたのそのそと上がってきてポーズをとっている。
「さつき。お前……こいつが何やってんのかわかるんか」
「いえ?」
「意味はもしかしてない……?」
「おそ、らく」
「そっかー」
毛むくじゃらを凝視する市井さんには、もう靄ではなくちゃんと毛むくじゃらに見えているらしい。
向こう側ではっきり視認したことがでかかったかもしれんなって言うけど、おそらく彼にもよくわからないんじゃないかと思う。首かしげてたし。語尾上がってたし。
ひくっと最後のしゃっくりをしてからしばらくして、よし、と市井さんが立ち上がった。
「服買いに行くぞ服」
平木のような富裕層であっても和裁洋裁は花嫁修業のひとつで、家族の普段着は妻がまかなって当たり前だと母は妹の美代子に教えていた。私は前世での家庭科の授業の記憶と、繕い物やおさがりの着物の仕立て直しである程度はできるようになった。私には一応許嫁がいたのにそれでいいのかとなりそうなものだが、あの家ではそれでよかったのだろう。
一般家庭では古着を買ってくるというし、勿論新品の既製服を扱う店だってある。らしい。私は行ったことがないけど。
「その、な。うん、買ってやるから。な?」
何かを言いにくそうな市井さんの視線が、私とどこか後ろの方にさまよう……待って!?
慌てて後ろ襟に手を伸ばすと、襟と後ろ身頃の境目あたりの入っちゃいけないところに指四本が入っていく。
「ああああ! ゆうべ繕ったのに! 繕ったのに!」
「わーったって! 買ってやるっつてんだろ! 泣くなって!」
連れて来てもらったのは、商店街ではなくて本部近くの大きな洋品店だった。自転車を先に本部へ戻してから、十分ほど歩いただろうか。
軍に所属する人やその家族がよく使うというその店のラインナップは見事なもので、ずらりと吊るされた服は男物も女物も色とりどりだ。前世での格安量販店ほどではないにしろ、古着だけじゃなくて新品らしき服まで並んでた。
ショートボブを押し込んだ釣鐘帽子に白のツーピースを合わせた店員が、朗らかに次々洋服を合わせてくれる。
馴染みなのか気安い口調のままで「なんか取っ手ついた服とかねぇの」って聞く市井さんはあしらわれてた。つかむ前提で選ばないで欲しい。
服を買うだなんて転生後初めてだ。フリルやレース、刺繍で飾られたそれらは私の目にはレトロにも映るけれど、そこが可愛い。
取っ手を却下された市井さんは、すぐに飽きそうなものなのにちょいちょい口出しをしながら急かすことなく待っていてくれた。
「ん。いいんじゃね」
店員がイチオシしてくれたのが、スカラップレースがフリルでついたスタンドカラーの白ブラウス。細めのプリーツスカート風の袴は紺地で、裾には赤い実が生る草模様の刺繍が入ってる。朱色が差し色で入ったダイヤ柄の袷羽織が温かい。黒のハイソックスと革の短靴まで! いくら世間知らずの私でもこれはなかなかの出費ではないかと思うのに、市井さんはひとつ頷いてからさらに運動着もそろえてくれた。セーラー襟のシャツと裾が絞られた袴だ。
「制服ができてくるまで、まだかかるからよ。演習場三周忘れんじゃねえぞ」
「はい! ありがとうございます!」
乱れまくったおさげも店員さんが編みなおしてくれた。なんでゆるふわな感じになったんだろう。同じ三つ編みなのに。
ぶら下がろうとした毛むくじゃらは素早くつまんで落とす。
運動着と今まで着ていた袷の着物は、おまけしてくれた風呂敷に包んでもらえた。
市井さんがまた持ってくれようとしたのを、自分で胸に抱えて持ちたくて断った。浮かれた心臓を押さえるものが必要だから。
うれしくて、すごくうれしくて今なら高速スキップで市井さんの歩調についていけると思ったけど、普通にゆっくり歩いてくれた。
「……さつきさん?」
「姉さま?」
だから本部のゲート前で立ち往生している二人がいるのとか全然視界に入っていなかったし、振り返った二人が元許嫁と妹だとわかっても特に何も思わなかった。私は今とっても無敵だ。