エピローグ
辺境伯と妹がはじめて会ったとき、彼からテディベアをプレゼントされた。
それはとてもセンスがいいものだった。
テディベアの目は妹のものと同じ色だった。服も着させられていたが今の流行や子供向けのデザインではなく、一昔前のドレスを模したものだ。
妹は本を読むのが好きだった。自分の家のお金では買えないドレスを本を通して楽しんでいた。
そして、そのデザインがちょうど辺境伯が自分と同い歳くらいの年代のものだと気がついた。
そのテディベアは人任せにして選ばれたものではない気がした。
まだ貴族の婉曲したやりとりが未熟だった妹は辺境伯にお礼を言った。
「素敵なものを選んでくださってありがとうございます」
辺境伯は少し驚いて聞いた。
「・・・・・・なぜ自分が選んだと?」
妹は前述のことを言うと、辺境伯は黙って屋敷に戻ってしまった。
一人ぽつんと座っていると、老年の執事が現れて今日は帰るように促される。
妹は焦った。自分の言動に何か落ち度があったのかと。
だが、次の会合に辺境伯はいた。
前よりも明るい色を着て、テーブルにはたくさんのお菓子が並んでいた。
妹はまた失言してはと言葉少なになっていたが、それのせいで気がついたことがあった。
辺境伯は聞いていた話だと醜悪で横暴な男だと聞いていた。
だが、見かけはおいておいて彼は物静かで、気遣いの出来る男だった。
こうしてお茶会をしていても、妹が選んだお菓子をさりげなくこちらに寄せてくれていた。
そして、妹よりお菓子を楽しんでいることも気がついた。
ただ闇雲に食べているわけではなく、あっさりしたもの、ジャムの乗った甘酸っぱいものを秩序たてて食べている。
実はそこまで妹は甘いものが好きではなかった。だが、辺境伯のまねをして食べて見ると、自然とお菓子を楽しんでいた。
「この前は突然帰ってすまなかった」
一言謝られたことも、妹は驚いた。
自分は家格の低い男爵家の者で、女で、子供。貴族のヒエラルキーの中では最下層と言っていい。なのに、目の前の人は私をちゃんと扱ってくれている。
感動しつつ、自分の考えを改める。
彼を偏見では見てはいけないとまっすぐに見つめた。
「いえ、私が何か不躾なことを言ってしまったのでしょうか」
妹の問いかけに、辺境伯は迷いながらも口を開いた。
「『私』がテディベアを選んだと見透かされたのに驚いてね。こんな男が気持ち悪いだろう?」
辺境伯は自分の見た目の評価を正しく理解していた。
「いいえ。かわいいものに造形が深いこと、甘いものを嗜まれること、どれも人生を楽しむのに大事なことだと思います」
辺境伯は笑い出した。
「君はずいぶん大人びているな。男爵家はいい教育をしているのだな」
「家ではそういった教育をほどこされているわけではありません。書物を読んで新しいことを学んで、自分に取り込むことが好きなのです」
以来、二人の仲は徐々に近づいていった。
何年も二人の会話は積み重なれ、それを通して二人の人柄、そして生まれ持った気質を正しく互いに理解し合えていた。
それは恋とか愛だとかではなく、友情のようなものだった。
妹の思慮深さと、口の堅さを評価していた辺境伯は、ある日自分の秘密を打ち明けた。
自分は本当は男性が性的対象なのだと。
それを打ち明けられた妹は「そうですか」とうなずいただけだった。
「驚かないのか?」
「誰にでも秘密はあるでしょう。別に秘密にする必要はない気がしますが、保守的なこの国ではその方が過ごしやすいですしね。前の奥様はご存知だったのですか」
「いいや。結婚して、子供が出来てからだ。貴族にとって結婚とは仕事の一つ。性的嗜好だとかそんなことを意識する暇もなかった。辺境伯を継承して落ち着いた後、ふと、夫として、親としての自分がすべて違和感を感じてね。それからさ」
本当はかわいいものが好きで、男性が好き。
出来れば美しく若い男が好き。
妹はそれを静かに聞いていた。
「つまり、辺境伯様は年頃の少女のような趣向ということですね」
「まぁ、そうなるな。同姓を好きであり、かわいいものと甘いものが好き。・・・・・・はぁ。はじめて口に出した」
「いくらでも話してください。私は井戸だとでも思って。男爵家の者にも言いませんし、気になるようでしたら後から殺していただいてもかまいません」
「せっかく秘密を共有できた友人を殺すなんてことはしない」
二人はくすくすと笑いあった。
「それにしても、今日はイヤに自暴自棄だな。・・・・・・何かあったのか?」
辺境伯は静かに尋ねると、妹は静かに笑った。
「男爵家での教育を満足に受けられなくなりました。うっかり兄より優秀になってしまって」
あえてふざけて答えて、肩をすくめる。
辺境伯は静かに笑う。
「君は年齢関わらず優秀だよ。この前提案してくれた運送業の展開方法はすばらしかった。ちょうど隣国で大きな家が亡命する事件があってね。その仕事がうまくいったおかげで、これからも取引が見込めそうだ」
「それはよかったです。辺境伯様が子供の戯れ言をすくい取ってくださったからこそです。あ、今度は別のことを思いついたんですが・・・・・・」
「それは自分のものとして取っておきなさい。いつか自分で新しいことを始める時のために」
「・・・・・・と言われましても、女で子供の私には実現する機会はありません」
「君の勉強については私が引き継ごう。国の中でも優秀な者たちを集めるよ」
妹は思わぬ提案に目を輝かせた。
「いいのですか?」
「もちろん。せっかくの才能が育たないのはもったいないしね。それに、貴族はお金をきちんと管理しないといけない。つまり、君のアイデアで得た利益はちゃんと君に渡さないといけないということだ。そのお金と僕のコネを使って存分に学ぶといい」
それは妹が今まで生きてきた中で一番うれしい言葉だった。
今までは辺境伯に嫁ぐために育てられ、なにも期待されなかった。
自分の知識や学びたいという気持ちは、女や子供という自分のカテゴリーには合わないと排除されていた。
けれど、自分の能力とそして学習意欲を評価してくれたのだ。
はじめて、息が出来る気がした。
自然な笑顔が漏れていたのだろう。辺境伯が微笑む。
「友人の助けになったようでよかったよ」
「ありがとうございます。・・・・・・私ばかり受け取っていますね。何かお渡しできるものがあればいいんですけれど」
辺境伯はそれに静かに首を振った。国王の次に権力があるといってもいい辺境伯に手に入らないものはない。一介の男爵家の娘に与えられるものなど彼なら一声使用人に声をかければ半日以内に手にはいるだろう。
自分とはそもぞも身分の差がありすぎるのだ。自分が渡せる物は何かと考えていたとき、妹はふと一つの疑問が浮かぶ。
なぜ、私だったのだろうか。
私は辺境伯様にとって何の旨味もない人間なのに。
本来の嗜好の対象からも外れている。
辺境伯の後妻にはいろいろな家が手をあげたのだという。
娘を政略結婚の駒にしか考えていないのは自分の家だけではない。辺境伯とつながりをもてるならといろんな家が名乗りを上げたらしい。
その中でなぜ、うちが?
静かな空気が流れる中、ある一つの仮説が浮かんだ。
自分はよく突拍子がないと言われる。思考が飛んで、そして時にそれが『正解』にたどり着いてしまうことがある。
先に出た仕事のアイデアもそれだった。
ふと浮かんだその考えは不思議と確信に近かった。
今までの会話の積み重ねの果てに導き出された答え。
それが自然に口に出る。
「辺境伯様、もしかしてお兄さまがタイプ?だから顔が似ている私を選んだの?」
妹の言葉に、辺境伯の顔が赤くなった。
テディベアが好きだとわかったとき以来の動揺を見せた。
「変だろう」
うつむく辺境伯に、妹は微笑む。
「男だとか、女だとか、甘い物が好きだとか、同姓が好きだとか・・・・・・カテゴリー外の属性がつくことに違和感なんて抱きません。私も、そうですから」
その言葉に安心する辺境伯を見て、妹は更にアイデアを閃かせた。
自分にも辺境伯様にプレゼント出来る物が出来た、と妹は満足そうに笑った。