Ep.5 過去と未来の狭間で
長かった梅雨もようやく明けて、いよいよ夏の入り口に差し掛かった。制服も半袖の夏服に衣替えし、7月中旬には期末テストも行われた。前話の一幕からも想像がつく通り、知波は圧倒的な知識量と突出した記憶力、そして頭の回転の早さで学年総合1位を獲得した。そんな知波は、現代文だけは学年1位を取ることができなかった
「惜しかったね、97点で2位って。」
「まあしょうがないよ、長谷川さんには去年も勝てなかった気がする。」
現代文は長谷川凛緒が98点で1位だった。彼女は現代文だけは毎回1位を取るのだ。休み時間にはいつも1人で本を読んでおり、いわゆる「文学少女」である。凛緒は幼い頃から喘息の持病があり、知波ほどではないが学校を休んでしまう日も多かった。運動もあまりできず、病院のベッドで読書ばかりしていた結果、現代文では常勝といっても過言ではないくらいの読解力を身に付けたのだ。
「えぇー、今回は全体的に好成績だった。平均点は87.7点だ。さて、夏休みの課題についてだが、事前の連絡の通り自由作文だ。400字詰の原稿用紙10枚から15枚程度で書いてきてくれ。出来の良いものはコンクールに出すつもりなので、是非とも頑張ってくれ。」
担当の槌屋先生は、定期的に作文課題を出してくることでも有名であり、その採点もまた厳しいことで恐れられている。しかし矢代高校は県内随一の進学校であるがゆえ、国立大学を目指す生徒も多い。また私大でも入試に小論文などの筆記試験を導入しているところは少なくないので、槌屋メソッドの恩恵を受けているとも言える。現実に前年度の国公立及び難関私大への進学率は6割を越えており、30年以上にわたり県内1位を誇っている。
そして2年生ともなれば、各々で大学のOCに出向く者も多い。知波と涼々夏もその内だった。
「ねえ、すずちゃん、私のバスケ部の先輩が興恵大学に通ってるんだけど、8月にあるOCにおいでって呼んでくれてるの。もし良ければ一緒に行かない?」
「興恵大か、うちもちょっと興味あるから行きたい!何日にあるの?」
「12日と13日の2日間!どちらかで行けたら良いな!」
迎えた8月13日、2人は歟宮線に乗って興恵大学がある津川駅に降り立った。改札を出ると、知波はある人を見つけ声をかける。
「あ、日奈野先輩!」
「おー知波ちゃん!いらっしゃい!お友達も連れてきてくれてありがとう!」
「いえいえ!こちらこそ呼んでくれてありがとうございます!高校で仲良くなった塚本涼々夏ちゃんです!あ、こちらが中学時代のバスケ部の先輩だった森日奈野さん!実は4年前の県大会決勝で対決してるんですよ。」
「え、じゃあチーム手塚の富倉?」
「はい、そうです。」
「そうなんだ!じゃあ対決してる!すごい友達ができたね、知波ちゃん!」
日奈野は知波の2学年先輩で、知波が入部した当初はマネージャー兼任のプレーヤーだった。中学を卒業してからも定期的に知波と連絡を取り合い、時には相談に乗ったりするなど、知波にとって実に大切な存在であった。
大学まで歩きながら雑談をする。
「え、じゃあ最近は学校行けてるんだ?」
「はい、それも全部すずちゃんのおかげです。」
「そっかー。でも安心したよ、去年なんて模試の前日にメール送ってきたりしてさ!」
「あれは本当にごめんなさい!」
「え、ちーちゃん、模試の前日にメール送ったの?」
「うん、確か去年の11月だったかな、ちょっと相談したいことがあってメールしたら、それが模試の前日だったの。本当にたまたまなんだけどね!でも模試終わったあと会ってくれたんだよー。」
「あのときは相当落ち込んでたもんね、すぐ会わなきゃって思ったもん。」
「でもそのおかげで立ち直れたんです。」
「あははは、そうじゃなきゃ私も困るよ(笑)」
やがて興恵大学に着くと、日奈野は構内について説明し始めた。
「えっと、ここがキャンパスの正門で、まず左に見える総合館の受付で名前を記入する。そこで構内の地図と今日1日のイベントスケジュールが書かれたチラシを貰えるはずだから、それ見ながら行きたいところ行ってね。私は10時40分から本館2階でやる説明会に登壇する予定だから、ぜひ来てね。12時過ぎには片付け終えて知波ちゃんたちと合流できると思うから、そしたら食堂でごはん食べようか。」
「ありがとうございます、またあとで会いましょう!」
説明会が始まるまで1時間ほどあったので、2人は受付で貰ったチラシを基に構内を見学することにした。
「日奈野さん、めっちゃ可愛いね。」
「でしょ?私、日奈野先輩のこと大好きなんだ。可愛いのも勿論なんだけど、優しくて心強くて、無性に甘えたくなっちゃうんだ。それでも模試前日にメールしちゃったのは申し訳ないけど…」
「なんだか分かる気がする。マネージャーもやってたって言ってたよね。うちもキャプテン務めたことあるから思ったけど、周りに気を配れる人って常に余裕があるし、遠くから見てるだけでも勇気を貰える。」
「え、すずちゃんもそういう人だって私思ってるよ?」
「えへへ、ありがとう。…ん?あの人なんだろう?」
「え、誰?」
「ほら、自販機の前でビラ配ってる青い服の…」
「あー、なんかすごい派手な衣装というか…アイドルみたいな…」
「ちょっと行ってみる?」
知波たちが恐る恐る近づくと、そのアイドルのような女性も気付き近寄ってきた。
「こんにちは!興恵大学へようこそ!興恵大学コピーダンスユニット『K.K.DiARY』の特別ライブが14時からあるので、ぜひ来てください!」
「コピーダンスユニット…?」
「アイドルとは違うの…?」
「私たちは『ユニドル』っていう、普通の大学生が一夜限りのアイドルとしてステージに立つってコンセプトの活動をしていて、アイドルグループの曲に合わせてダンスをするんだ。」
「え、じゃあ自分たちで曲を作ったり歌ったりはしないんですか?」
「うん、しないよ~。でもダンスの完成度は高いし、振り付けの一部や衣装は自分たちで考えて作ったりするんだ!この衣装も自分たちの手作り!」
そう言うと、着ていた青い衣装のフリルを振って見せた。
「これが手作りなんて凄すぎる…」
「なんか、Grandirの衣装に似てる…?」
「え、その通り!これはグランディールをベースに作ったんだ!もしかしてアイドル好きなの?」
「はい、グランディールだけですけど、ライブにも行ったことあります!」
「じゃあきっと楽しめると思う!グランディールの曲もやる予定だから!あ、私はK.K.DiARYの『かなりん』こと星原要っていいます。14時から西館併設の道場体育館でライブするから、ぜひ来てね!」
「かなめ…さん…?」
「うん、男の子みたいでかっこいい名前でしょ。でも気に入ってるんだ。扇子とかもそうだけど、扇の中心のことを要っていうの。人々の中心になってみんなをまとめる人になってほしいって付けてくれたんだ。」
「すごく素敵な名前…なんか私、このステージ観たいかも。」
「うちも観たい!」
要と別れた2人は、日奈野が登壇した説明会を聴いた後、3人で昼食を食べに学生食堂へと向かった。
「あ、バラバラに買うと面倒だから、とりあえず先に2,000円入れておくね。後で精算しよう。」
「学食ってこんなに種類があるんだ!しかもめっちゃ安い!この天丼美味しそう!」
「ね、みんな美味しそうだよね!あ、私はラーメンにしよ。」
「私は2日連続の唐揚げ定食にしよっと。昨日が明太マヨソースだったから、今日は和風ポン酢にしようかな。」
「え、昨日もここで食べてたんですか?」
「そうだよー。昨日はね、木間ちゃんが来てくれたんだ。」
「え、バスケ部で一緒だった有香先輩ですか?」
「そう、あと仲良かった香奈美ちゃんも来てくれたの。」
「え、松浦先輩ですか!?久しぶりに名前聞いた…!お2人とも元気にしてました?」
「めっちゃ元気だった!木間ちゃんは高3だから受験生だけど、香奈美ちゃんは私と同い年だから高校卒業してホテルに就職したんだって!」
「そうだったんですか!どこのホテルだろう、泊まってみたいな…」
「木間ちゃんは何年か前に泊まったことあるらしいけど、隣の県にあるらしいよ!湖の畔にあって、時期によっては魚釣りやアイススケートもできるんだって!」
小さな同窓会のような雰囲気に包まれた時間はあっという間に過ぎた。日奈野は午後の部でも裏方作業があるため、1時半には解散することになった。
「この後はどこか見る予定?」
「はい、K.K.DiARYのライブを観に行きます!」
「おー、良いじゃん!全国大会出場チームだから大迫力だよー、楽しんできてね!」
急いで道場体育館に向かうと、入り口に要たちがいた。
「あー!さっきの!来てくれたんだ!」
「はい!楽しみにしてます!」
「りーおん、この子たちがさっき話した未来のエース達!」
「おー!待ってるぞぉー!」
「いえいえ、そんなエースだなんて…」
「ふふっ、とにかく楽しんでってね!」
パイプ椅子を並べて作られたアリーナ席は、既に7割ほどが埋まっていた。なんとか2席並んで空いている場所を見つけて座った。開演までは15分ほどある。振り返って入り口を見ると、そこに要たちの姿はもう無かった。
──開演までの待ち時間を使って、ユニドルについての説明をしようと思う。ユニドルとは『大学対抗女子学生コピーダンス大会』であり、その名の由来は『University-Idol』である。先ほど要からも説明があった通り「一夜限りのアイドルとしてステージに立つ」というコンセプトのもと、近年のアイドルブームを引っ提げ2012年に関東地方で第1回大会が行われ、その後全国に規模を拡大し、2016年度には20,000人を動員した。特に最近では、大阪のとあるグループのメンバーの脚の向きがプラモデルのようになっているとして話題になるなど、各方面への知名度も年々上がっている。なお、あくまでも「コピーダンス」をするグループのみを指すため、「アイドルとして活動する女子大生」はユニドルとは呼ばない──
やがて定刻になり、K.K.DiARYのライブが始まった。日奈野が言った通り全国レベルのダンスは、一糸乱れぬ美しいものであった。歌うことを考えなくて良いとはいえ、ここまでの完成度に仕上げるには並大抵の努力では足りない。地区大会では優勝し6月の全国大会で2位になったこのチームは、12月の大会での初制覇を懸け奮起していることが窺えた。
「あ、これ、グランディールの曲だ。」
「『最後のfist』って、最高難度のダンスって言われてるやつ…こんなに揃えて踊れるなんて…」
その完成度に終始圧倒された2人は、ライブが終わっても興奮と放心の狭間にいたまま、しばらく立ち上がれなかった。我に帰り立ち上がると、再び出口にはメンバーがお見送りしているのが見えた。
「あ、観てくれてありがとう!ねえねえ、もし良かったらさ、この後さっきの場所で話さない?」
「ありがとうございました!めっちゃかっこよかったです!話したいです!」
「ライブの感想とかたくさん言いたい!」
2人が要と最初に出逢った場所で待っていると、体育館から見覚えのある衣装の2人組が小走りでやって来た。
「おまたせ!これあげる!」
そう言って要は、自販機で買ったであろうお茶が入った350mlのペットボトル2本を差し出した。
「あ、ありがとうございます。ステージめっちゃ楽しかったです!」
「ふふっ、ありがとうー!あぁ、こちらは『りーおん』こと野崎梨央那。私とはいわゆるシンメの子で、このコンビの通称を『かなりーおん』っていうの!」
「すごい、本当のアイドルみたい。K.K.DiARYって全員で何人いるんですか?」
「うーんと、うちら1年生が7人、2年生が9人、6月で引退した3年生が5人だったかな。」
「そのあと1年生が2人加入しなかったっけ?」
「あ、そうだったわ。今日は来てないけどね。だから今は全員で18人かな!」
「じゃあ曲ごとにメンバー変わるんですか?」
「そそ、まあグループによって人数も違うし。ところで2人は何年生?」
「高校2年生です。いろんな大学のOC訪問してます。」
「なるほど、じゃあ私たちが3年になる頃か。興恵大は本当に楽しいところだから是非おいで!そしてK.K.DiARYおいで!一緒に踊ろうよ!」
「ダンスとか苦手だけど、好きなアイドルの曲を踊れるのはすごく魅力的だし、すごく興味あります!」
「ほんと!?やったね!じゃあさ、LINEとか交換しない?またイベントとかでライブするとき連絡するよ!コピーダンス体験会とかもあるから、声かけるね!」
「えぇ、良いんですか!?」
「やったあ!ありがとうございます!」
要と連絡先を交換した知波たちは、帰り際に日奈野に声をかけることにした。
「あ、日奈野先輩~!」
「お、知波ちゃん!」
「そろそろ帰りますね!今日は呼んでくれてありがとうございました!」
「こちらこそ来てくれてありがとう!K.K.DiARYのライブは楽しめた?」
「めっちゃ楽しかったです!メンバーの方とも連絡先を交換までしてもらったんですよ!」
「えー、凄いじゃん!これで知波ちゃんたちもユニドルの仲間入りかな?」
「えー、まだ分からないですよ~!でもまた来たいなって思いました!」
「ふふ、秋にも見学会とかあると思うから、また連絡するね!」
「ありがとうございます!」
大学を後にした知波と涼々夏は、津川駅から歟宮線に乗ると、早速この日の出来事を回顧していた。
「かなりんさん、めっちゃ可愛かったね。」
「うん、可愛すぎて抱きつきそうになった!」
「抱きつきそうって(笑)」
「ユニドルっていうか、完全にアイドルみたいだったよね。」
「何ならグランディールにいてもおかしくないし、いたら推し変してるかも…」
「おっと、るきてぃーが悲しむぞ~?」
「あはは、冗談だよー。でも本当に素敵すぎて、また来たいって思った。」
「ね、体験会もあるって言ってたし、時間あれば行きたいよね。」
その時ふと、知波は車内の中吊り広告を見て涼々夏に訊いた。
「ねえ、旧かみや線脱線事故追悼式典ってなに?」
「あー、もうそんな時期か…20年くらい前なんだけど、浄善寺駅と木津谷駅の間に槻ケ丘っていう小高い丘陵があるじゃん?あそこの線路沿いって今はコンクリートの壁になってるけど、当時は『土手崖』って言われるくらいの急斜面の土の山だったんだって。その土が線路に流入して、運悪くその瞬間に走ってた列車を飲み込んで脱線事故が起こったの。たくさんの人が亡くなって、その中には日本史担当の滝宮先生のお友達も含まれていたみたいなんだよね。」
「え、そうなの?」
「うん、去年の始業式に話してた。あと有名なところだと、サッカーの栢山シェルビーズの藤野嗣久監督の妹さんも巻き込まれてたらしいよ。」
「そうだったんだ…不慮の事故で亡くなるのは辛いよね。友達にせよ、家族にせよ、当たり前の明日を一緒に迎えられないその悲しさは他人には計り知れないもん。」
「ちーちゃんも誰か亡くしてるの?」
「うん、5年くらい前だけどね。芋川沙織って同級生の子がいたんだけど、その人のお姉さんが自殺しちゃったんだよね。すごく年の離れたお姉さんだったんだけど、当時付き合っていた彼氏さんとの間でいろいろあったみたいで。」
「そっかぁ、ちーちゃんも仲良かった人なの?」
「うん、めっちゃ遊んでもらった記憶がある。私のお父さんが離婚してたこともあったし、大事な人を失う苦しさの絶頂にいたと思う。」
その経験のひとつひとつが、知波の優しさや真の強さを形成しているのかもしれない。自分が経験したような苦しい思いを他の人には経験してほしくない、その一心で何事にも全力で尽くす知波の行動に、これまで楓や優花たちも救われてきていることは言うまでもない。人の笑顔こそが知波にとっての活力である。そしてまた知波たちの笑顔が、誰かにとっての活力となり、笑顔は連鎖していくのだった。
杵前駅に到着した知波は、ここで桐家線に乗り換える。車内で1人、何かを見つめるかのようにドア付近に立っていた。窓の外を鳥が横切っていく。彼らは迷うことなくどこを目指しているのか、そして自分は何を目指すべきなのか。案外その答えは、既に出ているのかもしれない──