第十二章② 故郷を歩けば
俺はルルを懐に入れた。ルルも何かを悟ったのか、俺の胸板に爪を立てた。
俺は部屋を出ると、クレディのもとへ向かった。病床で助手たちを看護するクレディだったが、快く俺を迎えてくれた。
「アズールさん、どうしたんです?」
「お願いがあるんだ」
俺は早口で、次のことを告げた。今すぐ船を出ること。落ち着いたらポートへ行くので、それまで原住民たちとの連絡を代行してほしいこと。俺が取りに行くまで、仕入れた薬草を預かってほしいこと。
クレディは了承してくれたが、怪訝な顔をしていた。
「それはいいんですが、どうやってこの船を出るつもりです? 船長から小舟でも借りたんですか?」
「もっと便利なものだよ」
俺は笑ってみせたが、クレディはなおも怪訝そうな顔をしていた。だから俺が甲板に出るまで、見送りと称してついてきた。道々でクレディが言うから、俺の旅立ちを知ったホーシーやヒギンズたちが甲板に出てきた。こっそり行くはずだったのに、ちょっとしたお見送り団が結成されてしまった。
気まずさを感じながらも、俺は最後の身支度を整えた。トランクと剣を背中に縛り付け、ルルに飛び出さないよう注意した。
一呼吸してから、俺は甲板の手すりに手をかけ、水面に飛び出した。
あっ!
甲板からは悲鳴が起こった。みんなパニックになっただろうな。いくら陸付近とはいえ、人が泳げる距離じゃない。浅瀬でもないから、あっさりと大海に飲まれてしまうだろう。ルルだって恐怖のあまり、人語で悲鳴をあげていた。
だけど俺は着水する直前、足裏から魔力を放出した。水面から十センチほど浮いた状態で安定し、そして氷の上を滑るように、水面を滑った。
俺がスイスイと水面を滑走する様子を見て、甲板から歓声があがった。俺は彼らに見えるよう、一度ターンしてから手を振り、また陸地に向かって水上を滑った。
「な、大丈夫だったろ」
服の上からルルを撫でると、ルルは俺の胸板に嚙みついた。
「馬鹿! 死ぬかと思ったぞ!」
水上には誰もいない。俺とルルは気兼ねなく喋りながら、旅路を楽しんだ。
× × ×
近いように見えて、船から陸地まではかなりの距離がある。魔力の放出自体は問題ないけど、意外と荷物が重くて。あと胸元にルルがいるせいで、暑い。島ほどではないが、この一帯も熱帯に近い気候だった。
せめて飲み物は持って来ればよかったと本気で後悔しはじめた頃、ようやく陸地が目前へと迫ってきた。
初代の記憶から、俺は小さな漁村を想像していた。しかし見えてきたのは、立派な港町だった。クルスよりも大きい。素朴な寒村をイメージしていたから、なんだか裏切られた気分になった。
今日の漁を終えたのか、港には無数の漁船が停泊している。このまま港に行ったら人目につく。俺は岩場へ向かい、こっそりと上陸した。靴裏から魔力を放出するこの術は本当に便利で、切り立った崖もスイスイ登れる。難なく上陸すると、旅人を装って町の中心地へと向かった。
町には多くの人がごった返し、寒村のイメージは完全に崩れた。労働者は別として、商人は豪奢な衣服をまとい、婦人はゴテゴテとした装飾品をつけている。貧しいどころか、今まで見た町の中で一番リッチな町だと思った。
後になって知ったが、百年ほど前に、近くの山で金脈が見つかったらしい。一攫千金を夢見る者が世界中から押し寄せた。この村は金脈に最も近い村であり、また船で来るのに絶好の場所だった。金脈への玄関口として、労働者の受け入れ場所として、この村は急速に栄えていったのだ。
初代がいた頃は人口数百人。ただ滅びるのを待つだけの村だったのに、今では大陸屈指の主要都市へと成長したらしい。まったく何が起こるかわからないものだ。
劇的な変化に驚きながら、俺は町を歩いた。知らない道を歩いているのに、ふと記憶が蘇ってくる。
ここには学校があった。幼なじみが住んでいた。あそこの婆さんにはよくしてもらったな……。
知らないはずなのに、強い郷愁が俺を襲う。俺の中で、初代が。短い時を過ごした二世が、それぞれ懐かしがっているのがわかった。泣きたいのに泣けない。涙腺が引き絞られ、目頭が終始痛かった。
俺にはどうしても見たいものがあった。初代家の墓である。生家は残っていなくても、墓を取り壊すことは稀だろう。墓地に行くことで、先祖供養と、俺のルーツを知れればいいと思ったのだ。
慣れない町並みに戸惑いながらも、初代の記憶を頼りに墓地を探した。予想通りの場所に墓地公園があった時は、なぜか俺も興奮した。なぜかわからないけど、もうすぐ会えると思ったんだ。
初代家の墓がある、あの場所へと向かった。そして愕然とした。初代の記憶と違う墓石があったからだ。もしかしたら、新しい墓石に変えたのかもしれない。しかし真新しい墓石には、まったく知らない名前が刻まれていた。