第三章② 妹ってのはロクなことを言わない
最初は反応がなかった。
俺は何度も叩いた。音を警戒するので、普通はすぐに住人がスッ飛んでくる。しかし気づいた。当然だ、店の扉を叩いていたのだから
俺は裏に回って、住居部のドアを叩いた。
すぐにおっちゃんが陰鬱な顔を出した。普段のハゲが輝いていない。元気だとテラテラと輝いているのに。騎士の息子を持つ父として、緊急時は心労が襲うのだろう。
「アズールじゃねえか」おっちゃんの目が限界まで見開いた。
「おっちゃん、これ──」
俺はオイルを差し出そうとした。その手をおっちゃんはグッと握った。
「いいから入れ!」
俺はおっちゃんの家に引きずり込まれた。勢いで床に転がる俺。左肩を打って痛かった。オイルは無事だった。右手に持っていて本当によかった。
そんな俺を無視して、おっちゃんはドアに錠を下した。
「馬鹿野郎、こんな危ない時にウロチョロするんじゃねえ!」
「ご、ごめん」
俺は素直に謝った。父という存在がいないので、年長男性に対してどう接していいかわからないのだ。
「で、何しに来たんだ? お袋さんはどうした?」
「母さんは家にいるよ。俺は仕事の帰りで」
「仕事?」
俺はオイルを差し出した。
受け取ったおっちゃんはしばらく呆然としていたが、急に笑い出した。
「こんなもんのために命はりやがって。まったくお前は馬鹿だよ」
なぜこうも親父たちは馬鹿馬鹿言うのだろうか。でも目が潤んでいるおっちゃんを見ていると、責める気にはなれなかった。
「じゃあ俺は帰るよ。おばちゃんとハインツによろしく」
帰ろうとした俺の腕を、おっちゃんはまたも強く握った。
「まあ、いいじゃねえか。家に閉じこもってたって暇だろ? 少し遊んでいけや」
おっちゃんの言うことはもっともだ。俺だって誰かとお喋りしたい。
それが戦死した幼馴染の家でなければ。
そんな俺の思いとは裏腹に、おっちゃんは二階からおばちゃんとハインツの妹を召喚した。
突然の来客に驚く二人だったが、歓迎して食事を用意してくれた。
これで俺はますます帰りづらくなった。
こうなりゃ自棄だ。俺は先の騒動とハインツのことを徹底的に口にしないと覚悟を決めた。
テーブルの上には四人前の食事。質素なものだが、貴重な食糧を家族以外に与えてくれることがとても嬉しかった。そうだ、俺とハインツの家は、こうして家族のように付き合ってきたのだから。
御礼として、俺はジャンからもらったパンを出した。すっかり冷えていたが、当日焼いた柔らかいパンだ。三人は目を輝かせて喜んだ。四等分し、みんなで食べた。
母さんの分も食べちゃったけど、まあいいだろう。祭り当日に一人だけジェラートを食べた罰だ。
俺たちは楽しい食事の時間を過ごした。といっても、魔物が寄ってくるかもしれないので、会話は声を押し殺しながらだが。
話題はもっぱら引きこもり生活について。春光祭での出来事は、母さんから聞いた内容とほぼ同じだった。だが湿っぽい話は長くは続かない。やれ食料が足りないだのこのままでは瘠せてしまうだの、そんな話ばかりだ。「栄養が足りないから、俺は毛根から瘦せちまった」というおっちゃんのギャグには全員で笑った。
俺も久々に母さん以外と話せて楽しかった。誰もハインツの話もしないし、先の騒動も知らないようだ。だから俺もついつい警戒するのを忘れてしまった。
「お兄ちゃんもパン食べれたらよかったのにね」
俺のパンを食べながら、妹がぼそっと言った。
温かい場が一瞬で凍り付いた。おっちゃんからもおばちゃんからも笑顔が消えた。多分俺からも笑顔が消えていただろう。
「ねえ、なんでお兄ちゃんは食べないの?」
妹がおばちゃんの腕を引っ張る。俺は聞こえないふりをしてパンに食らいついた。
「お城にいれば食べられるからね」
「どうして今は食べないの?」
「おい、いい加減にしなさい」
おっちゃんが強めに言い聞かせた。妹は残念そうにパンをかじった。
その後の空気は地獄である。おっちゃんもおばちゃんも黙ったままだ。俺はさっさと食べて帰ろうと思った。
おっちゃんは深くため息をつくと、座り直した。
「アズールなら言ってもいいだろう」