第一章③ 長い一日がようやく終わりました
ルルは口に何かをくわえている。てっきり夕食かと思ったが、手のひらにすっぽり入るほどの、白い石と黒い石だった。
「魔獣って石を食うのか?」
「違う。私はもう食べてきた。これはお前にだ」
「俺だって石なんか食わねえぞ」
「違う!」
ルルは俺に石をぶつけてきた。白い石はボロリと崩れ、俺の服を白く汚した。柔らかい石灰岩だった。もう一方の黒いのは固い泥岩だ。
「白い石で、黒い石に術式を書け」
ルルは前足で地面に術式を書き始めた。あまりに器用に書くから、俺はしばらく黙ってみていた。書き上げて誇らしげなルルだったが、俺には何もかもさっぱりわからない。
「なんで書くんだ?」
「魔力封じだ」
「何のために? 便利だし、別にこのままでもいいだろ」
「ダメだ。君はこれまで、魔力を封じて生きてきた。だから魔力を使うことはできても、抑えることは習得できていない。今でさえ、身体から膨大な魔力が漏れ出ていることに気づいているか?」
俺は自分の魔力に意識を向けた。するとどうだろう。ルルの言う通り、本当に魔力が体外へどんどん流れ出ているのが感じられた。しかも相当量。先ほど火を起こしたのとは比べ物にならない、何百倍もの魔力が刻々と流れ出ていたのだ!
俺は自力で、流出する魔力を止めようとした。しかしまったく止まらない。右足から出る魔力を止めようとすれば、別の部位から倍の魔力が放出される。放出される部位を変えることはできても、流れ出る魔力の総量は変えられなかった。
「普通だったら、生まれた時から魔力のコントロールを学ぶ。身体が成長していない時は使える魔力も少ないから、自然と折り合いを付けられる。しかし君は別だ。最初から魔力を抑えて育ち、自覚した時には膨大な魔力を持っているのだから。しかも放出について学んだせいで、身体が魔力を出す状態が当然だと思い込んでいる。このままでは先祖同様、若くして死んでしまうだろう」
「ど、どうすればいいんだ?」
「だから魔力が使えないよう、封印するのだ」
俺は尻に術式があったことを思い出した。尻でなくても、同じことをすればいいのか。
「でも封印したら、二度と魔力が使えなくなるんだろ?」
「本当はそれがいいのだが、今は緊急事態だしな。ひとまず術式を施したアイテムで、魔力を抑えるしかない。今はそれしか用意できなかったが、急場しのぎにはなるだろう」
俺は早速、術式を書いた。白い石でなぞると、黒い石に術式が浮かんだ。複雑な術式ではないので、三分ほどで完成した。
書き終えた瞬間、ズンと身体が重くなる。体内の密度が増えたような、重力が強くなったような。とにかく地面に繋ぎ留められている気分だ。
「できれば肌に触れるようにしたいが、今はポケットにでも入れておけ」
ルルに促されるまま、ポケットに石をいれた。石から手を放した瞬間、身体の重さが軽減された。
「なんか急に身体が軽くなったんだけど」
「もともと術式は人体に直接施すからな。布一枚でも身体から離れると、効果は薄れる。試しに魔力の流れを追ってみろ」
俺が意識を向けた。ポケットに石がある時は、ほのかに魔力が流れ出ている。それでも石がない場合に比べたら、十分の一にまで減っていた。石に触れると、魔力の放出は完全に止まる。しかしまた石から手を離すと、料理から湯気が湧きたつように、わっと魔力があふれていた。
「これで本当に大丈夫なのか? 術式があっても結構出てるんだけど」
「今はそれしかあるまい。街に出たら、ブレスレットやペンダントを買うといいだろう」
「もしかしてアレか。魔力をコントロールできない子供がつけるやつ」
「よく知ってるな」
「学校で付けてる奴がいたからな」
四歳で入学して、一二年生の時はブレスレットをつけている奴がいた。本来は就学までに魔力のコントロールを学ぶが、間に合わなかった生徒たちが付けるのだ。
俺は対象外だから、てっきり劣等生の目印だと思っていた。三年生になる頃にはみんな卒業していたブレスレットを、この年になって装着するとは……。なんだか自分が劣等生だといわれているようで、情けなくなってきた。
「まったく、母さんたちも最初から封印してくれなきゃ楽だったのに」
「でも封印していなければ、普通の生活はできなかっただろうな。それだけ魔力が強いと王宮魔導士が管理する強制施設に入っただろうし、魔王出現と同時に消されていただろうな」
「……」俺は返す言葉もない。
「感謝することはあっても、両親を恨む理由は一つもないぞ」
「……悪い」
「わかればいい」
ルルは俺に尻をくっつけると、ごろりと寝そべった。身体を丸くして、本格的に寝るモードだ。
「今日は疲れただろう。お前も早く寝ろ」
「ああ、おやすみ」
俺もルルから離れないよう、地面に寝そべった。
野生動物避けに残した焚火が、時々爆ぜる音がする。時折、遠くでフクロウが鳴く。微風に木々がざわめく。何も起きていないのに、森の夜は結構おしゃべりだ。そんな音たちに耳を傾けているうちに、俺は眠っていた。