第十三章② ようやく始まりの町から出られました
現実世界では、一秒にも満たない時間だった。
俺に触れた途端、魔王は霧散したのだ。内側から弾けるように、一瞬で大気に混じった。霧となった魔王は、微風に乗ってどこかへ飛んで行った。
俺は無傷だった。そのまま歩いて、城門を抜ける。遮るものは何もなかった。ようやく街の外に来れた。
──自由だ!
そう思ったら、俺は駆け出していた。
街の大通りからまっすぐ外に伸びる街道を、俺は全速力で走った。
平原の緑!
可憐な野花!
楽し気に飛び交う蝶たち!
街の外は、どこも春に包まれていた。そうだ、まだ午後になったばかりなのだ。いつしか真っ黒な空は消え、ため息が出るほど澄んだ青空になって俺は気づいた。
思いっきり鼻から息を吸った。草花の青臭い空気を鼻孔で感じながら、俺はむせるように笑ってしまった。
たった数日嗅がなかっただけなのに、もう何年も青臭さを感じたことがない気がしたから。
昔、城外ハイキングで行った牧場が見えてきた。
昔は遠くにあると思ってたのに、こんなに近くにあったとは。感動したが、俺は素通りした。今はもっと遠くへ行きたかったから。
途中、ふと牧場の外でヨークの両親が作業しているのが見えた。そういえば、納品で村を巡っていると聞いたな。用事を終えて街に戻るも入れず、この牧場で世話になっていたのだろう。
本当なら、街の状況や長男であるジャンの死を教えるべきだ。息子の同級生として、雑談くらいした方がいいのかもしれない。
でも俺にはもう、関係ないことに思えた。ヨークの両親の顔までは見れなかったけど、俺を見て驚いただろうな。
でも俺には知らないことだ。街に戻って、自分で知ったらいいさ。きっとすぐにわかるだろうから!
俺は走った。どんどん走った。
久々の全力疾走は疲れたけど、ずっと走っていたい気分だった。
道が二股に分かれて、ようやく俺は足を止めた。道の真ん中に、行先を示す標識が立っている。右は港町に向かい、左は山岳地帯に向かっている。どちらに行こうか、俺は迷った。
「おい!」
声の主を探すと、標識の上にネコ姿のルルが座っていた。
「なんでここにいるんだ?」
「追いかけてきたに決まっているだろう! 馬鹿みたいに駆け出して」
俺は街のことをすっかり忘れていた。
「何をしているんだ?」語調から、ルルの怒りを感じた。
「自由を満喫していたのさ」
「帰って母上に報告しないのか?」
「んー……」
母さんには、報告すべきだろう。墓石に眠る先祖たちにも。
でも俺には、帰るという選択肢が一切なかった。しかし勝手にいなくなって、母さんに心配かけるのも忍びない。
「わかった、待ってろ」
俺は目を閉じ、イメージした。
俺の家の、居間のテーブルが見える。俺は引き出しを開ける動作をした。
するとイメージの中でも引き出しが開き、紙とペンがテーブルの上に飛んできた。さらに意識を紙に向けると、俺は手紙を書いた。
『母さんへ。ちょっと旅に出ます。心配しないで。アズール二十二世』
ここまで書いて、俺の集中力が途絶えた。大がかりな魔法は得意でも、細かい作業は苦手だ。
「これでいいだろ」
俺が何をしたか、ルルもわかったのだろう。不満そうに唸った。
「あ、そうだ」
俺は振り返り、街を見た。少し遠くまで来たが、相変わらず重厚な城壁が街全体を覆っていた。
「最後の仕事するからな。見てろよ」
俺はルルにそういうと、両腕を左下から右上へ、思いっきり振り上げた。
すると城壁上部が崩れ始めた。だが瓦礫はタンポポの綿毛へ変化し、風に乗って飛んで行った。俺の右側、隣国がある方へ向かって。やっておいて、俺自身、あまりの美しさに興奮した。
「飛べ、もっと飛べ!」
俺はバタバタと腕を動かした。強めの風が吹いて、ブワッと綿毛が舞い上がる。その光景にはルルも感動したようで、後ろでニャアニャア言っていた。
「これで無念も晴れただろ。あと、また魔王が現れても、どこからでも逃げられるし」
「よくやってくれた。ありがとう」
ルルはペコリと頭を下げた。その声には、これまでの苦労がにじんでいた。
「お前、これからどうすんの?」俺が尋ねた。
「私は別に。君こそこれからどうするんだ?」
「俺は、これから取り返しに行くのさ」
ルルは不思議そうに首を傾げた。
「先代たちがやれなかったこと、片っ端からやるんだよ。十五世の願いで海が見たいし、父さんの願いで船に乗りたいな。あと六世が鉱物に詳しくてさ。俺も発掘とかしてみたい。あと、何と言ってもこれだな!」
俺が両手を差し出すと、手の中にギターが落ちてきた。俺の部屋から転移させたのだ。
「九世みたいに、音楽をやってみたいしな」
ルルに見せつけるように、俺はギターをかき鳴らした。ボヘーンと変な音が鳴って、気まずかった。
「ま、練習する時間は無限にあるさ。これからな」
俺のギターを聞いて、ルルが笑った。声を上げて、さも面白いことらしく。俺はルルがこんなに笑ったのは、初めて見た。
「そうだな、お前には時間があるな。たっぷりと」
「お前も来るか?」
「いいのか?」
「ああ。お前だって色々したいだろ。先代たちの見たかった景色、一緒に見に行こうぜ」
ルルの目がキラキラ輝き、俺の頭の上に飛び乗ってきた。
「いいな、行こう! この世のすべてを見に行くのだ!」
ルルは俺の頭の上で座りやすいポジションを確保すると、ゴロゴロと喉を鳴らした。
ルルの薦めに従って、俺は道を選んだ。時折ギターを弾きながら、これからの計画を練った。
ふと頭の上で、ルルが尋ねた。
「しかし金はあるのか?」
「まあ、大丈夫だろ。魔力があれば何でもできるさ。それに剣術が使えるから用心棒もできるし、魔法薬を作って売ってもいい。ギターに慣れたら吟遊詩人になってもいいさ。だってこれからの俺は、何だってできるんだからな!」
こうして俺の戦いは終わった。いや、ここから始まったのだ。でもそれは、また別の話ということで。
【謝辞】
ここまで読んでくださり、誠にありがとうございます。本来まおまちは、ここで終わりでした。しかし「続きがあるよ」というアズール&ルルのささやきがあったため、その後の展開が続いたわけです。
だから「面白かった!」と満足したのなら、ここで読み終えて構いません。以降は蛇足に感じるでしょう。しかし「この後はどうなるんだ?」「あれって結局どうなの?」という謎が、最後で解けるかもしれません。もしお時間があるなら、この後もお付き合いくださればと思います。
ちなみにオマケとして「アーサー外伝」を公開しています。第一部の内容をベースとしていますが、第三部を読まないと意味がわからないかもしれません。もしアーサー外伝を読みたい方は、お手数ですが最後までお付き合いください。(アーサーの死までは違和感なく読めるかも)
改めて、ここまで読んでくださり誠にありがとうございました。また別の機会にお会いできるのを楽しみにしております。