第十三章① 魔王との最終決戦
出口を探すと、来た道とは反対方向に通路が伸びていた。
「こっちの道は?」
言われて、ケンジャが可笑しそうに笑った。
「行けばわかりますよ」
ケンジャが笑う理由はわからないが、俺とルルはその道へ向かった。暗かったが、何の変哲もない通路だった。途中に細い脇道があったが、ルルが先頭を歩くので迷うことはない。
緩い階段が現れ、上っていくと、少し広い空間に出た。真っ暗で何も見えないが、どうやら建物内部らしい。建物としては狭いだろうが、地下世界に比べれば広く思える。
暗いにも関わらず、ルルは慣れた手つきで扉を開いた。忘れていたが、ルルはネコだ。暗所でも目がきく。
ルルに続いて外に出た。見慣れぬ場所だが、どこか知って驚いた。ここは東地区の高級墓地。今俺らが出てきのは、宮殿みたいな墓石だったからだ。
俺も思わず笑っちまった。墓石からルルが出てきた時は驚いたが、なんてことはない。宮殿内部に地下通路があっただけなのだ。漏らしたこととか思い出して、俺は笑いが止まらくなった。ルルは訳がわからず、終始不思議そうな顔をしていたが。
「じゃあルル、頼めるか?」
ひとしきり笑い終えると、俺は剣を構えた。といっても、右手で緩く持っているだけなのだが。
「いいのか?」
「いつでも」
「わかった」
ルルが真剣な顔になると、俺の体はどんどん軽くなり──
× × ×
もうこの瞬間、俺は魔王の前にいた。魔王の両足の間、見慣れたブーツをちょっと動かせば踏み潰されるような位置に俺はいたのだ。
【ようやく来たか】
地響きのような低い声がした。でも前ほど恐ろしいと感じなかった。
魔王は重々しい足を持ち上げ、俺を踏み潰そうとした。地面のように広い靴底が俺の頭上に迫る。
しかし俺は一歩踏み出した。魔王に向かって歩み寄ったのである。剣は握っているが、刃先は下。本当に持っているだけで、剣を使う気は一切なかった。
そして魔王の足裏と俺の頭が接触した時、俺の中に何かが流れ込んだ──
× × ×
注ぎ込まれる何か。次第に俺の意識と溶け合って──
× × ×
すべてが過ぎ去っていくのに、俺にとってはスローモーション。長い時が流れて──
× × ×
映像、想い、叫び。様々なものが過ぎた後、俺はただ真っ白な空間を漂っていた。ところどころに泡みたいな気泡が無数に漂っている。
俺にはすぐわかった。ここは魔王の意識の中だ。俺が先代たちと一体化したのと同じように、俺も魔王の意識に溶け込んだのだ。
恐怖はないが、不思議だった。魔王の中は、怨憎渦巻いていると思っていた。しかしここにあるのは、途方もない無。泡が生まれては弾け、また生まれるを無限に繰り返す世界だった。
ちょっと動けば触れるような場所にも泡はある。俺は触れないよう気をつけながら、泡の一つを覗いた。
【苦しい】
俺の中に言葉が響くと、泡は弾けた。
俺は別の泡を数個覗いた。
【なんで私がこんな目に】
【殺してやる】
【絶対に忘れない】
激しい憎悪が伝わると、泡は弾けた。
俺は思った。この泡一つ一つが、魔王に取り込まれた人の想いなのだろう。怒りや苦しみ、恨みつらみが無限の泡となって、生まれては消えていくのだ。
だが次に覗いた泡たちは、こうだった。
【虚しい】
【もう終わりにしたい】
【楽にして】
無念の泡たちは、静かに弾けた。
泡たちには、なんとなく色が見える。意識して見ると、泡たちは、大抵が悲しみ色。所々に激しい憎悪色が混ざっていた。無色の泡が大多数で、色付きの泡は一パーセントもなかった。
俺は瞬時に理解した。本当は、魔王も消えたいのだ。しかし強い憎悪色の泡に気圧されて、魔王全体を乗っ取られている。憎悪色の泡を消さない限り、魔王は解放されないのだ。
憎悪色の泡に向かって、俺は意識を伸ばした。触れた途端、激情が流れ込んでくる。首を絞められているような恐怖と苦しみが俺を襲った。
痛い。痛む肉体などないが、適切な言葉がそれしかなかった。
この痛みはきっと、惨殺された人々の痛みなのだろう。俺は耐えた。そして魔力を使って、一つずつ浄化させた。
難しいことのように思えるが、難しいことは何もない。ただ大変だった。限界まで魔力を使うと、搾られる感覚に襲われる。苦しみを維持しながら、相手の攻撃に耐えなければならない。二重の苦痛に襲われたが、俺は時が去るのを待った。
× × ×
憎悪色の泡が弾けた。同じ泡は二度と生まれなかった。さあ、次だ──
× × ×
一つずつ、憎悪色の泡が消える。だがまだまだ終わりはしないだろう──
× × ×
本当に地道な作業だ。心が滅入る。そんな時は、楽しいことを考えて──
× × ×
どれくらい経っただろう。まあ、現実世界じゃ一時も経っていないんだけど──
× × ×
だいぶ減ってきたな。薄い色の付いた泡も、心なしか無色になってる気がする──
× × ×
俺にとっては、無限の時間が流れたように思う。でも着実に、憎悪色の泡は消えていった。俺は見つけ次第、片っ端から憎悪色の泡を消した。だからあとどれくらい残っているかなんて、ざっくりとしかわかっていなかった。
だから最後の時は、唐突に訪れた。最後の憎悪色の泡が弾けると、ザアッと流された。泡たちが、一斉にどこかへ向かう。
泡たちは笑っていた。人生で初めて笑った子供のように、本当に楽しそうな声が、そこかしこから聞こえた。いくつかの泡は、俺のそばを通りすぎる時、こう言った。
【ありがとう】
俺は泡たちがどこかへ行くのを感じた。成仏するのか天国へ行くのか。行き先はわからない。でもようやく解放され、自由になることを喜んでいるのは伝わった。
潮流はますます激しくなった。何度も流されそうになったが、最後には大波が押し寄せ、俺は流された──
× × ×
流れていく、何もかも。でも俺だけ速度が遅くなり──
× × ×
俺一人、別の方向へ流される。どこへ向かうんだ? もう出口は近いようで──
× × ×