第十二章⑤ 父との邂逅、そして帰還
いつものように、俺の意識は父さんの中へ滑り込んでいた。理屈はわからないが、この頃には他人の意識に触れると、なんとなくわかった。
他人と自分の意識があって、境界が溶け合うような、そんな感じ。それぞれに色があって、触れた箇所が混色される。似た人だと澄んだ色になるが、合わない人だと暗い色になる。相性がいい人だと、色だけでなく温度や大きさも伝わってきて、いつもより多くの情報が流れこんでくるんだ。
父さんの色は、淡い色をしていた。でも決して弱いわけじゃない。祖父さんとは違った強さや温かさがある。例えるなら、穏やかな午後に満ちる陽光のようなイメージ。最後に祖父さんから受けた印象と、ビックリするくらい似ていた。
『よく来たな』
「うん」
父さんとの最初の会話はこれだけだった。
会う前は、あんなに聞きたいことがあったのに。
ケンジャやルル、先代たちから教えられたから、確かに聞きたいことは減った。でも念願の再会だ。何かしら話すことはあっただろう。でも不思議と言葉は出なかった。それは父さんも同じようだった。
俺らはただ、お互いを共有していた。父さんの人生を追い、俺のこれまでを伝える。父さんと俺は相性がいいようで、先代たちよりありありと情景が浮かんできた。
父さんの人生は短かった。当然だ、先代たちに比べて、期間も短かったのだから。
それでも父さんからのイメージは止まなかった。成長した俺としたかったことが流れ込んできたからだ。
──帰宅したら、まずは俺をハグしよう。
「放浪の旅から戻ってきたダメ親父」と詰られるだろうが、仕方ない。本当のことを知って、変に期待させない方がいい。もし役目が回ってきたら嫌だろうし、俺が父さんのことを知った時は、本当に悲しかった。
まずは一緒に酒を飲んで、これまでのことを話そう。役目のことを話したら、息子のこれまでについて聞く。
もしかしたら好きな子がいて、結婚しているかもしれない。アズール二十三世が誕生しているかもしれないな!
いきなりおじいちゃんは、ちょっと抵抗がある。けれど、二百九十年の歴史で、孫を抱いたアズールは俺が最初だろうな。先祖を代表して、小さな子孫を抱けたら最高だ──
これは俺が要約したもので、父さんが言ったわけじゃない。しかしこういった想いの一つ一つ俺の中に流れ込み、俺は何も言えなかった。今ほど泣けたらいいのにと思ったことはない。
本当のことを教えてくれたらいいのに。
何度思ったかわからない。でも父さんには、俺が知らない苦しみがあって、その苦しみから俺を守るために、何も言わなかったのだ。
言うのと言わないの、どちらが正しいかはわからない。でも俺は父さんを責めることができなかった。
ただ愛。俺への深い愛が伝わって、俺は胸がいっぱいだった。
× × ×
最後の修行だからといって、特別なことは何も起こらなかった。搾られる感覚は相変わらず続いているし、苦しさもある。ただ一つ違ったことは、俺と父さんはただそこにいて、お互いを感じ合っただけだ。
先代たちとも感じ合ったが、言葉がない分、俺の意識は父さんの内面に向けられた。それが修行として適切なのかはわからない。そうして修行も終わりの時間がやってきて──
× × ×
気がつくと、俺はケンジャとルルに見つめられていた。現代に戻ったのだ。俺は台座の上に立ち、柄頭に手を載せている。修行前と何一つ変わっていない。
「大丈夫か?」
ルルが俺の頬を撫でた。触れられて初めて、俺は泣いていることに気づいた。
「よくぞ戻りましたね。気分はどうですか?」
しばらくの間、俺は感覚が戻っていなかった。ボーっとケンジャの言葉を聞き流していたが、大丈夫とだけ答えた。
なんだか不思議な気分だ。俺自体は何も変わっていないのに、俺の周りに、見えない層ができた気がする。分厚い層で、層の分だけ自分の体が大きくなったように思える。
また、第六感なのだろうか。魔力の流れが感じられた。
ケンジャは地下世界に魔力の残滓があるといっていた。あの時は理解できずにいたが、今ならわかる。普通の人間なら即発狂するだろう。それほどまでに地下世界は恐ろしい場所だった。魔力の残滓を追うと、術式や魔王のこともわかる。どう魔力が流れていたか。どんな効果があったか。
今では初代が思い描いた計画が、俺の脳内に完全に再現されていた。それに伴い、魔王との戦い方も自然と理解できていた。
「行くよ」
俺はケンジャに告げた。
「戦い方はわかりましたか?」
「ああ、バッチリとな」
俺はケンジャに向かって親指を立てた。俺の確信がケンジャに伝わったのだろう、安心したような顔をしていた。
「頼みがあるんだ」
俺はルルに向き直った。
「お前、転移魔法が使えるよな」
「できるぞ。短距離ならな」
「じゃあ地上に出たら、俺を魔王の真ん前に転移してほしいんだ」
地上に出たら、魔王はすぐさま俺を見つけるだろう。移動する間に暴れられては困る。自分で転移してもいいのだが、今は魔力を温存させたいところだ。
俺の頼みを聞くなり、ルルの目が丸くなった。
「正気か!」
「考えた上でだ。真ん前にしてほしい」
「……わかった」
ルルは叱られた子のように、しょんぼりしていた。
「大丈夫だから。任せてくれ」
俺はルルの頭を撫でた。人姿のルルはゴロゴロ言わないが、ネコのように俺の手に頭を擦りつけた。
「時間はまだ大丈夫か?」
「ええ。しかしチャンスは一度しかありませんよ」
「わかってる。行ってくるな」
俺は父さんの剣を引き抜いた。
「ご武運を。私にここに留まりますが、いつでもあなたを見守っていますよ」
俺に向かって、ケンジャは深く頭を下げた。俺も同じくらい頭を下げ、返礼した。