第九章① 地下空間での優雅なお茶会
人生二度目の旧市街地は、前よりも恐ろしくなかった。というか街全体が不気味になったので、変に耐性が生まれただけともいえる。
相変わらず迷路のような道を抜け、隠し扉から地下道へ滑りこむ。薄暗い地下道を歩き、扉の前にたどり着いた。
街の不気味さには慣れたが、ただ一つ不安なものがあった。老婆の醜悪さだ。人の汚らしさは、慣れる気がしない。
老婆には生理的不快感を覚えていたので、なるべく短時間で終わらせたかった。少し話して魔王との関係をさぐる。そして賢者が魔王の探すキーマンだと確信したら、なんとしても引っ張り出そう。ルルが邪魔してきたら、魔法を使う前に気絶させればいい。俺は体型的に恵まれたわけじゃないが、それでもルルや老婆には優っている。
俺は扉が開くのを待ちながら、脳内で二人との戦い方を考えていた。
以前やったように、ルルはリズミカルに扉を叩いた。
ドン、ドドドン、ドン
「あーそびーましょー」
「はーあーいー」
扉が開き、老婆が出てきた。俺は顔をしかめそうになったが、とっさに耐えた。ここで不快感を示せば、相手に拒絶されるだろう。
「よく来てくださったねえ」
老婆は嬉しそうだった。ルルも嬉しそうだった。俺だけが嬉しくなかった。でもここまできたら、我慢するしかない。頑張って笑ってみたが、ちゃんとできていたか自信がない。
「どうぞお入りください。ほほ、ここではご自身を偽る必要はありませんよ」
他意のない発言だろうが、俺はすべてを見透かされた気がした。何も言えず、部屋に入った。
突然だが、俺は老婆の部屋がうす汚いと思っていた。地下にあるから清潔キレイな部屋は無理だろうが、獣の巣穴程度に考えていた。さらに臭いも我慢できないだろう。入室時、俺はコッソリ息を止めていた。
だが一歩踏み入れて、俺は言葉を失った。そこは森だった。カーペットの代わりに草原が広がり、壁の代わりに木々が立ち並んでいた。
部屋の奥には滝があり、扉付近には木製のベンチとテーブルが備えられていた。
テーブルの上には白磁のティーセットが置かれ、ルルと老婆がお茶の用意を始めた。
こう書くと、意味がわからないだろう。俺にもわからない。扉が森に通じていたのか、地下に森があるのか。
ただ一つ言えるのは、見ているものが本物だということ。時折滝のしぶきが飛び、俺の服に小さな水のシミを作った。
「席につけ」
ルルに促され、俺も座った。
テーブルの上には藤のバスケットがあり、中に焼き菓子が詰まっていた。バターの芳醇な匂いが鼻孔を届く。
作り物でも廃棄物でもない、本当に食べられる焼き菓子だった。てっきり老婆の家にあるから、偽物かゴミから拾った食べられない代物だとばかり考えていた。
「さあ、いただきましょう」
全員にお茶を配った後、老婆が促した。乾杯をしてから、カップに口を付ける。飲んだことのないハーブティーだったが、優しい味が体に染み入るようだった。
女二人は、他愛のない会話をしていた。外がどうだったの、魔物がどうだの。物騒なことを話しているが、今俺の街では、どこでも普通に話す内容だった。
焼き菓子をつまみ、お茶で流し込む。微弱な風が葉々の間を駆け抜ける、わずかなざわめき。一定のリズムで続く滝の音。街の空は真っ暗だが、この空は青い。太陽はないが、見えない天井から無限の光が降り注ぐ。
なんてことのない日常。穏やかな時間に、俺の殺気立った気持ちは自然とほぐれていった。
「もう一杯はいかが?」
老婆がポットを差し出した。何も考えず、俺は二杯目のお茶を受け取った。
そういえば、老婆への嫌悪感が薄れたように思う。見た目自体は変わらないが、目の奥に優しさを感じるとか、ひどい臭いがするだろうと思ったが、全然気にならないとか。極端に近づかなければ、そばにいても不快ではなかった。これもお茶の効果だろうか。
「それにしても知らなかったよ。地下に森があったなんて」
俺はルルに話しかけた。老婆に話しかけるのは、まだ抵抗があったからだ。
「森なんてないぞ」
ルルは焼き菓子を頬張りながら答えた。
「いや、どう見てもここは森だろ」
「賢者が見せてる幻影だぞ」
「うふふ」
ルルが答えると、老婆は我慢していたかのように笑いを噛み殺した。
「いやいや、そんなことできるのかよ?」
「できるのが賢者なのだ」
「それはそうだろうけど……」
俺は老婆を見た。俺の視線を感じた老婆は、勢いよく腕を上げた。
「はーい、そうでーす」
慣れないノリで精いっぱい頑張ったのだろうが、俺にはまったくついていけない。だって頬を撫でる微風や新緑の香り、滝のしぶきや降り注ぐ陽光が偽物とは到底思えない。
「だったらここはどこなんだ、いったい何なんだ?」
「まあ落ち着いてくださいな」
老婆は一口お茶を飲んだ。
「ゆっくり話すために、このような景色にしているのです。まずはお茶でも飲んで、聞いてくださらないかしら」
釈然としなかったが、俺は一口お茶を飲んだ。
「では、どこからお話ししましょうかね」