第八章① 決戦1時間前の俺ら
ついに約束の朝がやってきた。ヨークを待つため、俺はハインツの家へ向かう。
この一週間、俺はハインツに会っていない。一応ハインツの存在は極秘だし、俺も何を話したらいいかわからなかった。一応おっちゃんに、今日行くことだけは伝言してもらった。
ハインツに会えないので、俺はこの一週間、ずっと自宅に引きこもっていた。案外やることがないのだ。魔王を倒してくれるなら、抜け道探しをする必要もなくなった。出歩く理由がないため、自然と自宅にいるしか選択肢がないのだ。こう考えると、仕事があった時の方が楽しかったものだ。
母さんとお茶して、本を読んで。時々母さんの手伝いで魔法薬を作った。
言ってなかったが、母さんは魔法薬を作る仕事をしている。魔力の高い人の仕事として、魔法薬作りは最もポピュラーな仕事だ。作り手の魔力が効能に反映されるため、人気はイコール魔力の高さの証明となる。
母さんも魔法は使えないが、作った薬はよく効くらしい。店では人気の薬剤師と呼ばれていた。だから母子家庭でも何不自由なく俺を育てることができたのだろう。俺も働き始めて、ようやく母さんのスゴサを理解した。
前に父さんの話をしてから、俺と母さんはあまり話さなくなっていた。変に喋りすぎて、お互い気まずくなるのが予想できたからだ。俺と母さんの性格は似ているので、お互い何も言わず、他愛もないお喋りで場をつないでいた。
ちなみに俺もある程度の魔力はあるので、手伝いをしても何ら問題がないらしい。むしろ一緒に働かないかと、成人時に母さんから誘われたものだ。しかし母親と一緒に働くのが気恥ずかしくて、俺は母さんの提案は断った。あと体を動かす方が好きなので、魔法薬作りは手伝うくらいがちょうどいいと思っている。
まあ、そんなこんなで心穏やかな時間の過ごし方をしていたので、久々に外に出た時は街の変容に驚いたものだ。もう普通に人々が出歩いているのだ。
こう言うと、少し語弊があるな。
前のように街に活気があるわけではない。現に露店の姿はないし、立ち話する人々や走り回る子供はいない。ただ普通に歩いている。多少早歩きで私語は謹んでいるが、魔物や真っ黒な空に怯える様子はない。物陰に隠れて移動していた時から考えると、大進歩である。ドアをノックすれば店は開くし、建物内であれば歓談する余裕もある。
良くも悪くも、今の生活に順応した様子が見て取れた。
街の変化を観察しつつ、俺はハインツの家を訪れた。会った第一声は、何がいいだろう。決められぬまま、俺は二階へ向かった。
部屋に入ると、ハインツが窓の外を眺めていた。その背からは凄まじい気迫が滲み出ていた。俺が言葉を失っていると、ハインツが俺に気づいた。
「……よぉ」
「よう」
ハインツは「いつものハインツ」に戻った。そしてベッドに腰かけた。俺も隣に腰かけた。
「ついにだなぁ」
「ああ、そうだな」
「……」
お互いに言葉が続かず、沈黙が流れた。盗み見たハインツの横顔は、どこか表情が硬い。
「俺さぁ、考えたんだけどぉ」
少しして、ハインツが口を開いた。俺は簡単に相づちを打った。
「みんながいないんならよぉ、俺がやるしかねぇよなぁ。あぁ、なんつーかぁ、本当はもっと色々あるんだよぉ。でも俺考えるの嫌いだからさぁ。とにかく今は街を守ために戦えるのが俺しかいないってんならぁ、頑張るしかねぇよなぁ」
ハインツはぎこちなく笑った。その見慣れた笑顔が、俺には神々しく思えた。今ハインツを通して、軍神が俺に微笑みかけているのかもしれない。それほどまでに尊い笑顔だった。
俺は泣いていた。涙の雫が頬を伝って、俺自身泣いていることに気づいた。ハインツは驚いて、汚いタオルで俺の顔を拭ってくれた。
俺は言葉が出なかった。ただ「ごめんな」とだけ呟いた。今ならこの謝罪が、城について黙っていたことに対してだと理解できる。だがその時の俺は、何について謝ったのか、俺自身理解していなかった。
それでもアイツは何かを察してくれて、笑っておうとだけ答えた。
「お待たせしました! ……お二人ともどうしたんですか?」
剣を抱えたヨークが部屋にやってきた。
俺の涙で変な雰囲気になったが、お茶を飲んで一息入れることにした。その間、ヨークのお喋りは止まらない。この剣を作るのにいかに大変だったか、工夫したか。
一杯のお茶を飲み終える頃には、俺の涙も引いていた。
「じゃあよぉ、早速その剣を見せてくれよぉ」
お茶セットを片付けた後、ハインツが催促した。
ヨークは高らかに掲げながら、布に包んだ大剣を渡した。小柄なヨークが持つと巨大に見えるが、俺らの中で一番体が大きなハインツが持っても、剣は大きく見えた。
布を剥がすと、粗雑な革製の鞘。見るからに両手用で、一五〇センチメートル以上あるだろう。ハインツが恐る恐る抜くと、美しい刀身が表れた。ロウソクの小さな光でさえ、刀身はキラキラと輝いていた。
俺はため息をついた。剣は使う専門の俺、無知でも一目見て素晴らしい剣だと理解できた。
感動したのはハインツも同じで、何度も角度を変え、じっと刀身を見つめていた。
狭い部屋ながらも、軽く振ってみる。ヒュンッと軽い音が室内に響いた。
「軽いんだなぁ」
「ええ、雷のように鋭く、羽根のように軽い。そして虹を閉じ込めたかのように美しい光彩を放つのが、この剣の魅力なんです!」
ヨークは興奮しながら語った。ハインツはその言葉が耳に届いてないようで、剣に見惚れていた。
実際あの剣を握ったら、俺も同じ状態になっただろう。さっきまでは俺も持ちたいと言いたかったが、今ハインツは剣と信頼関係を築いているように見えた。これからの戦いに備え、お互いの心を一つにしている。そんな神聖な時間に見えた。
だから俺は何も言わなかった。すべてが終わったら、使わせてもらおう。その程度に考えていた。
「やれそうか?」
俺が聞くと、ハインツは力強く頷いた。
「今すぐにでもやれそうだぜぇ!」
「やりましょう!」
俺たちの気持ちは一つだった。用意を整え、俺らは城門へと向かった。