第五章② 本当にこの物語は、よく人が死ぬな
次の朝、母さんは普通だった。ただ笑顔がぎこちない。無理して笑っているのがわかった。
だから俺も何も言わず、普通の息子を演じた。まるでお互い、昨夜のことがなかったかのように。
一日ぶりに、俺は職場へ向かった。昨夜はサボってしまったが、今日はどうだろうか。街の外から荷物がやってこないので、今ある荷物を配り終わったら終了だ。あとは街内からの集荷になるが、こんな非常時に荷物を出す人がいるだろうか。
まあ、どのみち一作業員の俺にはどうしようもないので、いつものように働きに向かった。
魔王が復活して、今日で六日目。
発熱やルルのせいですっかり忘れていたが、かなりの日数が経っていた。最初こそ住人たちは外出を控えていたが、食料や我慢が限界に達したのだろう。本当にわずかだが、街に人がいた。買い物など、誰も必要最低限の行動に留めていた。カーテンは閉じたままだが、看板を出して開店を知らせる店もあった。
異常事態の中、少しずつだが街は日常を取り戻しているように思えた。もちろんこれはいい兆候だ。俺も嬉しく思う。相変わらず魔物は空を飛び交うばかりで襲って来ないし、いい意味で魔王と共存しながらいつも通りに暮らせればいいと思っていた。
出勤すると、チーフの他に数名の同僚がいた。やはり魔物よりもチーフや無給の恐怖に耐えられなかったのだろう。お互い顔を見合わせて笑った。
相変わらず窓の外には魔王の爪先が見えていたが、多少騒ぐ声があっても魔王は沈黙を貫いていた。
「おい、始めるぞ」
チーフのもとに一同が集まる。仕事前には必ず朝礼を行うのだ。
「まず今日もよく集まった。お前らは褒めてやる。サボった奴が異常だ。次会った時には減給か鉄拳制裁するので、お前らもサボらないように。まあ、お前は一昨日一人で頑張ったから、昨日の無断欠勤は許してやろう」
チーフが俺を指さした。同僚一同から、称えるような視線が俺に注がれた。
「ただし昨日帰さなかった荷車のレンタル代は引くからそのつもりで」
まったく、この守銭奴め。俺は一同の好奇の目に晒された。
「そんな社畜なお前たちには残念だが、荷物がほとんど無くなっちまった。だから今あるのを運んだら、各自帰ってよし。ただし浮いた時間分の給料は引くから、最後の配達前に帰宅時間を申告するように。あとどんなに小さな仕事でもいい。訪問時に仕事がないか、しっかり営業してこい。以上!」
俺と同僚は顔を見合わせて笑った。ここまで徹底した守銭奴だと、むしろ清々しいと笑いがこみ上げてきた。
チーフの言う通り、荷物はかなり少なくなっていた。一昨日俺が運んだ時は倉庫が半数以上埋まっていたが、昨日よほど片付いたのだろう。倉庫の三分の一以下に荷物が減っていた。
一昨日は一人、しかも人力だから大型荷物は運べなかったが、今日は複数人で運べる。チームで連携し、次々と荷物を片付けていった。
俺は同僚の一人とペアを組んだ。特に親しくない奴なので、ここでは紹介しない。そいつと荷車で出発し、俺は絶句した。チラリと大通りが見えたのだが、石畳が黒ずんでいた。
「おい、アレどうしたんだ?」俺は同僚に尋ねた。
「見てこいよ」
説明が面倒そうに、同僚は手で俺を促した。魔王に見つかると厄介だから、建物の陰から少しだけ顔を出した。俺は思わず叫びそうになった。
大通りに沿って、石畳の黒ずみは延々と伸びていた。大通りの終点には城があるのだが、城は跡形もなく消し飛んでいた。
俺はすぐに魔王の光線を思い出した。あの光線はアーサーたちだけでなく、城までも吹き飛ばしていたのだ。
間近で見ていただけに、俺は震えが止まらなくなった。
城にいた人の顔が、次々と浮かんでくる。ジャンはどうしただろう。一昨日会った時は、まさかこんな目に遭うとは思わなかった。大丈夫だと言って笑ったジャンの顔が脳裏から離れない。
ドッと汗が噴き出て、上手く呼吸ができなかった。
なかなか戻らない俺を心配して、同僚が路地に引き戻してくれた。よほど俺の状態がひどかったのだろう。ボロ布同然の汚いタオルを貸してくれた。俺は流れる汗を拭うことすらできず、ただタオルを握りしめていた。
約十分ほど動けずにいたが、なんとか気を取り直して配達に向かった。今は何かしていないと心ごと押しつぶされそうだ。だから今は目の前の仕事だけに集中することにした。
さらなる魔王の攻撃があるんじゃないかと落ち着かなかったが、魔王は今日も沈黙していた。虚ろな目で、ジッとどこかを見つめている。魔王の言う「次の奴」を探しているのだろう。表情は険しいままだが、害はない。恐ろしくないといえば嘘になるが、視界に入れなければ気にならなかった。
午後四時頃、俺は最後の配達に向かった。