第五章① 【朗報】親父の名前、ついに判明
家に帰ると、母さんが心配していた。しかし気分も体調も最悪な俺は風呂場へ直行。土と汗で汚れた体をサッと洗うと、そのままベッドに倒れ込んだ。
今日の仕事なんてどうでもいい。とにかく眠りたかった。すべてを忘れたかった。昨日は本当に長い一日だった。
目が覚めると夕方だった。体の疲れはそれなりにとれたが、なんだかスッキリしない。
起きてきた俺を見ても、母さんは何も言わなかった。正式には、何から話せばいいのか迷っているのだろう。
そりゃそうだ、昨日はいろんなことがあった。俺だって何から話していいかわからない。
俺と母さんとで、一緒に少し早い夕食を食べた。思えば昨夜ハインツの家でご馳走になってから、丸一日何も食べていない。俺は夢中で食べた。母さんも何も言わず、二人で質素な夕食を堪能した。
食後のお茶を飲みながら、母さんが口を開いた。
「母さんに何か言うことはない?」
きっと母さんは謝罪とか、そういうものを期待していたのだろう。俺が自分から言い出せないのだと思い、きっかけを与えたと思ったに違いない。
気に食わないことがあると、母さんは何も言わない。そして認めさせるためにも、俺から言わせようとするのだ。
今回も物言いたげにじっと俺を見つめている。だが生憎俺も馬鹿じゃない。母さんの魂胆なんか見え見えだ。
「父さんについて知ってるって人に会ったんだけど」
俺が言うと、母さんはサッと青ざめた。先制パンチのつもりで冗談っぽく言ったのに、こんなに動揺するとは思わなかった。俺の方が動揺してしまいそうだ。だが気づかれてはいけない。
「何を聞いたの?」
「べ、別に」
俺は努めて平静に言った。だが若干声が裏返っていただろう。
「他人から父さんのこと聞いたって、信じられないからさ」
「そう……」
母さんは、ようやく息ができたと言わんばかりのため息を吐いた。
「でもさ、いい機会だし、そろそろ父さんのこと教えてくれてもいいんじゃないか?」
「……」
「蒸発したって言われたってさ。それ以外何も知らないのって可哀そうだと思わない? 普通は両親の馴れ初めとかどんな家に育ったとか。それぐらい知ったってバチは当たらないだろ。だいたい名前も知らないのって酷すぎるよ」
「……アズール」母がポツリと呟いた。
「何?」
「だから、アズール」
「だから、何って」
「父さんの名前」
「え?」
「父さんの名前はアズール。お前と同じなんだよ」
まさかの返答に、俺は言葉を失った。あり得ることなのに、俺は一切考えたこともなかった。まさか同じとは! この世で最も親しみある名だが、古文書から失われた英雄の名前を発見したような気分になった。
「じゃあ俺は正式にはアズールジュニアってことなのか」
「違う」
「じゃあただのアズール?」
「……」
「あ、じゃあ爺さんの名前とってアズール三世とか」
「……」
母が押し黙る。続きを催促しようとして、俺はギョッとした。母が尋常じゃない汗をかいていたからだ。きっとよほど言いたくなかったのだろう。俺は自分の身勝手さを悔いた。
「母さん、ごめん」
俺は母さんの背をさすった。だが母さんは青い顔をして、ただ汗が噴き出すばかり。俺が水を出すと、一気に飲み干し部屋に閉じこもってしまった。
知りたいとは言え、やりすぎただろうか。母さんを気の毒に思いながら、俺も床に就いた。最近散々な目に遭ってばかりだ。父の名を知った悦びなど、すぐに吹き飛んでしまった。