2、“ジュニア”からの卒業
自宅があるポートに向かうには、港町クルスから船に乗らなければならない。
この町にも父と縁深い人が多いので、最終便が出るまでの間、ジュニアはできる限り多くの人の元に挨拶に訪れた。誰もが偉大な父の訃報に驚き、悲しみ、表情を曇らせた。
中でも十五年来の友人エンジの落胆ぶりは見ていられなかった。
「ちくしょう。まだ若いってのに」
いつも元気な快男児なのに、酒場の椅子に崩れるように座ったまま呆然としている。
年一回は必ず会う親戚のような人物だけに、ジュニアの心も痛んだ。
「じゃああいつの仕事はジュニアが継ぐのか?」
尋ねてから、エンジはあっと声を上げた。
「悪い、もうお前がアズールだったな」
ジュニアはこの時初めて自分が正真正銘のアズールになり、父が先代──アズールシニアになったと知った。
「ううん、事業は全部弟が継ぐんだ」
「ああ、アーサーならピッタリだな。でもお前はそれでいいのか?」
「うん。父さんもそう願ってるから」
エンジが酒を一杯奢ってくれた。ジュニア改めアズールは酒に強くないが、グッと飲み干した。苦い。喉が焼けるようだ。なんだかこの一杯をもって、正式に大人になった気がした。
× × ×
ポートに着いたアズールは、家よりも先に事務所に向かった。倉庫の一角に作られた事務所には、多くの人が出入りしている。
「お邪魔します」
アズールが入室すると、父の机に次男アーサーが座っていた。秘書と役員に囲まれてバリバリと働く様子は、まるで若返った父のようだ。
アーサーはチラリと兄を見るが、手を止めない。
「一分待って!」
そしてきっかり一分後に手を止めて、兄に抱きついた。
「遅かったな! 待ちくたびれたぜ」
「ごめん」
「で、首尾はどうよ。父さんは船の方?」
そもそもアズールと父は、新事業開拓のためにバーハタに行っていた。何も知らない家族や従業員からすれば、訃報なんて想像すらしていない。
「アーサー、この後ちょっと時間は取れる?」
「三十分ならいいよ」
「この後の予定はキャンセルできないかな?」
「できないか?」
アーサーは秘書に向かって尋ねた。
「五時からドルドネ事業所との打ち合わせがありますが……」
「どうせ親父さんだろ。ユムユムに任せるわ」
「しかし、今ユムユムは稽古場かと……」
「迎えに行けばいいだろ」
「後で僕が稽古場に行くよ。ロベルトを迎えに行くついでに」
アズールが秘書に告げた。
秘書は面食らっていたが、承知しましたと頭を下げた。
「さ、兄さん。俺にここまでさせたんだから、よっぽどスゴイ話があるんだろうね!」
「うん。きっととっても驚くよ」
商談用の個室に移動し、二人は話した。やはりアーサーはとっても驚いた。驚きすぎていつもの軽口も言わず、目を見開いて兄の話を聞いていた。
「兄さん、大正解だよ。今日の予定をキャンセルしてよかった」
すべて聞き終えると、アーサーはいつもの調子で軽口を言った。しかし声は震えており、その事実に気づいて我慢ができなくなったのだろう。アーサーはわんわん泣き出してしまった。
アズールは弟を抱きしめると、背中をさすってやった。自分が泣きじゃくった時に、父がそうしてくれたように。
きっかり三十分。ひとしきり泣き終えたアーサーの顔は、しゃっきりしていた。
「はー、俺もまだまだだな。こんなに泣いちゃって。みんなには内緒にしてよ」
「もちろん」
「父さんから任されたんだからさ、弱ってるところは見せられないよな。でも兄さんには甘えるかもしれないけど」
「もちろんだよ。いくらでも頼って。むしろアーサーにだけ押し付けて悪いと思っているんだから」
「何言ってんだよ! 俺はむしろ本望だぜ。こんなに大きな仕事を任せてくれるなんて。だから兄さんは思いっきり好きなことしなよ。金ならあるからさ」
「ありがとう」
「あとさ、実は俺からも兄さんたちに報告があったんだよ」
「何?」
「俺、結婚するんだ」
「! ホリィと?」
「他に誰がいるってんだよ!」
アーサーはアズールの背中を強く叩いた。
「父さんが戻ってきてから、新事業と一緒に発表するつもりだったんだけどさ」
「でもみんな悲しむだろうから、救いになるニュースだよ」
「だろ。きっと母さん飛び跳ねるぜ!」
泣き腫らしたアーサーの顔に、笑みが戻っている。未来への希望に満ちた温かい笑みだった。