第十五章① 古の勇者よ、今ならその気持ちが超わかる。
石造りの祭壇の前に、ノートが置かれている。そしてノートの上を、所在なさげにペンが彷徨う。
リナは宙に浮いているペンを手に取り、その場で分解した。
「ごめんなさい、インク切れです」
リナはリュックの中を探ったが、代わりのペンは見つからないようだ。
【じゃあ今日はこれで終わろうか。ちょっと長くなったし】
どこからともなく声がした。ここにはリナの他には誰もいない。
「そうですね。明日も来ていいですか?」
【もちろん! 俺の声が聞こえる人間は珍しいから、いつでもいてほしいくらいだよ】
今度はノートが嬉しそうに宙を舞った。そしてリナの手の内に落ちてくる。
こんな怪奇現象が起きているのに、リナは平然としていた。そしてページをめくって、どこまで書かれたかチェックしている。
「ああ、でも現代人には魔力がないってところまでは書けてますね。次に来た時に終わりそう」
リナの声に反応して、ぶー垂れる声がした。だがリナは文句に耳を貸さず、ノートをリュックに入れた。
【あーあ、君も来なくなっちゃうんだね。どうせ僕は見捨てられた神だよ!】
「何を言ってるんです。アズールさんの国は、いまや世界で一番の歴史ある国家なんですよ。そんな国の守り神が、見捨てられてるわけないじゃないですか」
それを聞いて、祭壇に供えられた花束がかすかに揺れた。嬉しい時の合図だった。
【そんなに長く続いてる?】
「ええ。どこを見ても、二千九百年も続いた国なんてありませんよ」
【すげぇ! そんなに続いたのか】
花束が嬉しそうにグルグル回転した。
「よっぽどいい神様が、国を守ってくれたおかげですね。羨ましい限りです」
【君はどこの出身?】
「この国の隣ですよ。多分、場所的にアズールさんの故郷と同じです」
【へえ、そっか】
声は嬉しそうだった。嬉しさに浸っているのか、少し沈黙してから声が続いた。
【僕の故郷で生まれたから、君は魔力が高いのかな。これも運命のおかげだね】
運命という言葉を聞いて、リナは表情を曇らせた。
「あの、インタビューとは関係ない話なんですけど」
リナは許しを請うように宙を眺め、決意してから口を開いた。
「アズールさんって、指導霊は見えますか?」
【いや。それって人間霊か何か? 悪いけど俺、国外の人間霊は見えないんだよね】
「そうですか。指導霊とは、その人が成長できるように導いてくれる守護霊です。生きている人間に一人はいるとされています」
【へえ。そんな物好きな霊もいるんだ】声は興味なさげに答えた。
「私についている指導霊は、ジュニアさんです」
【!】
室内がしんと静まった。張りつめた空気が、声の主の動揺を伝えているようだった。
声の主が落ち着くまで、リナはひたすら待った。
【まったく。死んでからも誰かを助けるなんて、ジュニアらしいな】
「指導霊は徳が高い人間しかなれないと聞きます」
【ああ、ますますジュニアらしい!】
声は笑っていたが、すぐに笑い声は収まった。
【ジュニア、そこにいるの?】
「はい。常に私と共にいます」
【そっか。これまでのインタビュー中もずっと?】
「はい。というか、インタビューするようにアドバイスしてくれたのは、ジュニアさんなんです。私が小説を書くと決めた時に、父さんに相談するといいって。そしてあなたの存在を教えてくれたんです」
【そうだったのか……】
声は震えていた。まるで泣いているのを堪えているようだ。
「実は、ジュニアさんからあなたに、ぜひ聞いてほしいとお願いされたことがあるんです」
【何?】
「……もう解放されたくないですか?」
【どういう意味?】
「あなたは長きにわたりこの国を守ってきました。本来の目的を果たしたし、もう役目を終えてもいいんです。これ以上ここにいる必要はないんです。……ジュニアさんなら、天国へ行く方法を知っています。もう役目を終えて、先代の皆さんやご家族と、あの世で再会しませんか」
【……】
声はしばらく何も言わなかった。
答えがくるまでリナは待った。緊張に耐えられず、リナは何度も手汗を服に擦りつけた。
そして声は告げた。
【まだいいかな】
リナは目を見開いた。
「なぜです! もう楽になっていいんですよ」
【うーん。だって今ここでやめたら、みんなからこう言われるんじゃないかな】
「何て?」
【なぜあと百年頑張らなかったって!】
(終)