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「おい、アルバート。あんなこと言って良かったのかよ」
深い夜のような紺色の髪を持つ男、イーサンはアルバートに詰め寄った。
青白い顔をした神子を置いて、アルバートの執務室に戻ってきた2人は早速、先程のやりとりの話しになった。
「良いもなにも、別に構わないだろうが」
肩をすくめるアルバートに、イーサンは呆れた顔で返した。
イーサンには、あの光の神子と呼ばれた少年が気の毒でしょうがなかった。真っ青な顔で震える姿は、イーサンの良心を刺激するのには充分だった。
「にしても、言い方ってもんがあるだろう」
「生憎、僕は末っ子でね。子供の相手はした事ないんだ。残念だね」
全くもって残念そうに思っていない口振りに、イーサンは顔を顰めた。
その時、険悪な空気の流れる執務室のドアから軽いノックの音が響いた。
「入れ」
「失礼しますよ。殿下」
扉から入ってきたのは、新緑を思わせる柔らかな緑色の髪を持つ男だった。長い髪は後で緩く結われていて、メガネをかけているその姿から聡明さが窺える。
「光の神子はいかがでしたか?」
「ウィリアム、ご苦労だったな」
ウィリアムと呼ばれたその男は、手に持っていた紙の束をアルバートに渡した。
手渡された資料をアルバートはさっと目を通す。
「今のところ私が見れる資料は、陛下が仰っていた通りでしたね。やはり読めない部分が多々ありましたが」
「そうか。わかった」
アルバートは手に持っていた資料を机に置くと眉間を揉み込んだ。その様子にウィリアムは笑う。
「殿下が変なもの拾ってくるからですよ。犬猫じゃないんだから」
「しょうがないだろう。あの時、僕じゃなくてウィルだったとしても、同じことをしていたと思うぞ」
言い訳をするアルバートに、ウィリアムは肩をすくめた。
「それで、神子はどのような方なのですか?」
「10歳くらいのボウズだ。黒く短い髪色。この辺りでは見ない彫の浅い顔立ち。可哀想に、もう元の国に帰れないと知って、今にもぶっ倒れそうだったよ」
アルバートの代わりにイーサンが答える。
「ただでさえ、いっぱいいっぱいだろうに、どこかの王子様が生活を補償するから、光の神子の茶番に付き合えだなんて脅しやがって」
「やけに肩を持つな。しょうがないだろう。現状を把握してもらう必要があると思ったんだ。だが、あいつもなかなか肝が座っている。あの場でちゃんと帰還の約束まで取り付けてきたんだ。大したものだ」
「変な期待は持たせない方が良いですよ」
「僕はちゃんと、善処すると伝えた」
アルバートは両手を挙げて無実を訴えた。
そのまま執務室のソファーの肘掛けに腰掛ける。
「異国から来た10歳の少年に、この国の負を全てを預けるのは僕は良い策だと思わない。たとえ、陛下がそれを望んでいたとしても」
長い足を組んで、微笑んだ。
「迷い猫を保護したら飼い主に連絡しなくてはね。僕は優しい性分だから」
ネコもとい神子もといアカリは、大きなベッドの端っこで小さな体を更に小さくしていた。
カミラに用意もらった夕飯を、無理矢理に喉に詰め込み腹に押し込めた。味なんて全くわからなかったけど、あれはきっと今までの人生で一番高価な夕飯だったと思う。
夕飯をなんとか腹に片付けると、入浴の手伝いをすると言って聞かないカミラに全力で抵抗した。
なんとか粘り勝ちし、湯の浴び方を教えてもらい、寝る前に温かいミルクを出してもらって、ようやく一息ついたのだった。
カミラは、また明日起床の頃にお伺います。と言って部屋から下がって行った。
そうしてアカリは正真正銘、この大きな部屋にひとりぼっちになった。
日が暮れて、ランプを消されると、部屋は夜の静けさでいっぱいになり、暗闇に飲み込まれそうだった。
窓から見える月は、日本から見た月と変わらないように見える。
アカリは頭の上でたくさん並んでいる枕を一つ拝借して、抱き締めるようにまるまった。
子供の頃はお姫様のベッドに憧れたものだけど、実際に体験してみるとこの広さがなんとも心許ない。
自分の家のシングルサイズの布団が酷く恋しかった。
着ているものにしたって、カミラが用意してくれたこのナイトウェアは、シルク素材でどうにも落ち着かない。
大型ディスカウントショップの、あのグレーのスウェットが着たい。
「夢ならば、どうかこの辺りで覚めてくれますように」
アカリは枕をより強く抱きしめ、そっと息を吐いた。
目を瞑り、もう一度願う。
目が覚めたら。
あの私の布団の上で、あのグレーのスウェットを着て、いつもの朝を迎えてますように。
薄れゆく意識の中で、アカリはシャリンと鈴の音が聞こえた気がした。