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死んだ世界で、生きたように眠る彼女のはなし。

作者: 枯野 常

 雪解けは遠い。

 少女は白銀に沈んでいた。

 蒼い影が落ちる。ひゅうひゅうと、肺まで凍りつかせるような風が世界を支配していた。

 小さな丘の上、並び立つのは冷えた石。祈りの形を示したその下には、奪われたいのちが眠っている。

 ――――彼女は、世界に愛されていた。

 儚い花弁は彼女の周りを踊り、吹き荒れる息吹は彼女の躰を優しく撫でる。不思議と、その身の上に雪が積もることはなかった。

 とろとろと微睡む様に目を細めた彼女は、時折目前の偶像を撫でる。便宜上彼女の愛したものが眠る、ということにされている滑らかな手触りの石の下には、ただ冬に覆われた大地が眠っているのみだった。

「……大好き」

 甘い声で言葉を紡いで、彼女は眼を閉じる。

 そのまま少女は、泡沫の世界へと沈んでいった。




 その街は、戦の爪痕をゆっくりと癒しながら生きていた。

 王が神を崇めるあまり、国が傾く、なんて。昔から何処にでもある、普遍的な悲劇だった。

 たくさんのものが失われた。こころも、からだも、くにも、かみも。

 そんな中で、彼女と彼は何も失っていなかった。最初からお互い以外、何も持っていなかったから。

 ふたりだけの秘密、ふたりだけの世界。満ちる月の夜と踊る六花に愛された二人は、奪われ続けた子供たちの中心に居たけれど、結局はお互いがいればそれだけで幸せだった。

「いつかふたりで旅に出よう、花のまち、東にある祈りの国、世界を二人で記録するんだ」

 そういって、額をくっつけて、くすくす笑った。

 同じやわらかな月光を宿した髪に、無垢な白雪に落ちる影の蒼眼。同じ日に生まれた二人は、ずっとずっとそうやって生きていくとおもっていた――――けれど。




「ごめんね」

 そう言って、彼はふわりとわらう。手を伸ばして、彼女は彼の名前を呼んだ。

 けれど、その手は届かず――――そうして、かれはばくん、とのみこまれるのだ。

 喧嘩をして、迷子になったこどもたち。二人は幼い彼らを探して、月のない夜を駆けていた。星の光が導くから、暗いと感じることはなかった。

 死と眠りの季節に飢えた魔物が、子供たちを囲んでいて。庇いながら、なんとか戦って――――そうして、背後に迫る幼い魔物に、彼女のたった一つの宝物は奪われた。

「ぁ――――ぁぁぁぁぁぁ―――――」

 声にならない絶叫だった。

 初めて起きる彼女の異変に、彼女を愛する世界も困惑した。

 気づけば彼女を取り巻く世界は、一面の氷に覆われていて。

 それはまるで、彼女の時間が止まってしまったことを、一緒に嘆いているようだった。



「ばけもの」

 と、彼女に庇われた子供は彼女を罵倒した。

 彼女と彼が助けた幼子は、片割れが凍傷で体の一部を失った。

 ――――あのとき彼女がいなければ、そんなことにはならなかったのに、と。

 それが八つ当たりであることを、誰もが知っていた。彼女と彼が来ていなかったら、いのちもからだも全部奪われていたのだから。

 けれど、誰もそれを言うことができなかった。すべてが氷漬けになって世界で喪失に嘆く少女の姿は、確かに化け物だと思えたのだ。

 彼女もそうして罵られているほうが、気が楽だった。

 守れなかった自分を、誰にも許さないでほしかった。




 ごぉん、ごぉんと、時を告げる鐘が鳴る。

 ――――日が沈んで、旅人の星が東の空で輝きを増し始めたら、皆で手をつないで眠りなさい。

 この村で生まれ育った子供たちは、皆そう教えられて育ってきた。そして、その時間に鐘を鳴らすようになったのは暫く前、一人の少年が奪われてからのこと。

 鐘を鳴らし終えたこの館の主が、居間で寝具を用意していた年長の子供たちに声を掛ける。ここで過ごす子供たちは、戦で何もかもを失ったり、戦の混乱に乗じて連れ去られてきたりしながらも、なんとか身を寄せ合い生きてきたものたちだった。

「……あの子は?」

 赤毛の少年が、「んー、」と頬を掻きながら苦笑を浮かべる。彼の隣で解れていた敷布を縫っていた大人しそうな少年は、「……まだ、多分あそこにいます」と静かに答える。

「先生」と呼ばれている彼らの保護者は、はぁ、と溜息を吐いて扉近くに掛けている自分の外套を手に取った。

「仕方ないね、迎えに行ってくるよ……君たちはちゃんと寝ていなさいね」

 そうして、彼があの丘へ彼女を迎えに行って。死んだ世界で生きているように眠る彼女を抱えて帰ってくる。

 それがこの村の一番大きな屋敷で、毎日繰り返される小さな悲劇。




 幸せな夢を見る。

 手を繋いで、街を駆ける。あの子がずっと傍にいる。

 疵の癒えた街の中、二人は外を目指して走っていた。

 雪解けに待つ命が芽吹く季節のような、暖かくて幸せなゆめ。

 そのなかでふわふわ、ゆらゆらと揺れながら、彼女は世界とともに泣いている。

 ――――ざくざくと、魔物の森から二つの足音が聞こえてくる。引きずるような片方は、濃い鉄錆の匂いを孕んで。もう片方は、それを支えるように、ときおりよろよろと体勢を崩していた。

 緩やかな歩みを進める街に訪れたそれは、彼女の夢を壊す雪解けの、小さな小さな序章だった。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

感想、評価などいただけますと幸いです。


また、この短いお話をもとに製作途中の小説がございます。

四月より連載開始予定ですので、楽しみにしていただけたら幸いです。

よろしくお願いいたします。

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