08
月のない、静かな夜だった。
私はダリアに教わりながら、初めて自分で焼いたパンを用意してエドの帰りを待っていた。
「遅いねえ」
一緒に待っていてくれるダリアがお茶を淹れながら呟く。
今夜は義賊として最後の仕事の日だ。
相手はとある男爵家で、所有する農場で貧しい人々を奴隷同然に働かせているのだという。
これが終わればエドは狩人として新たな生活が始まる、望んでいた日なのに――
(どうして……こんなに不安なの)
冷たい手指を温めたくて、カップをぎゅっと握りしめた。
心の奥がざわざわする。
身体が冷えていく。
(大丈夫……もうすぐ帰ってくる、帰ってくるから)
「ルイーズ、具合が悪いのかい? 少し横になったら」
ダリアが私の肩に手をかけたその時、ふいに外が騒がしくなった。
「姫さん!」
バタン!と乱暴な音を立てて扉が開く。
駆け込んできたのは、エドの仲間で、その後ろから……。
「エド?!」
他の二人に抱えられるようにエドが入ってきた。
頭に布を巻いたままで、顔色は分からないけれど――その服は真っ赤に染まっていた。
「エド!」
「どうしたんだい!」
「騎士団と鉢合わせちまったんだ」
男たちはエドをベッドに横たえさせた。
「あっちも農場に乗り込んでたみたいで……」
頭を覆ってきた布を外して現れたエドの顔は血の気を失い、真っ白だった。
「お頭は俺たちをかばって……斬られて……」
「傷を見せな、布とお湯を!」
ダリアが声を上げて男たちに指示をする。
「ルイーズ、あんたは見るんじゃない、向こうへ行ってな」
「……いや!」
エドと離れるなんて。
「じゃあ邪魔にならないように端にいておくれ」
首を横に振るとダリアはそう言ってエドの服を脱がせた。
「ひっ……」
赤黒い塊と。
切り裂かれた、そのお腹の傷を見て。
頭が真っ白になった。
「姫さん!」
「誰かルイーズを支えて!」
ダリアたちの声が遠のく。
(だめ……意識を失っちゃ……エド……)
必死に耐えながら、エドを見る。
その胸が僅かに上下している。
(息は……ある……)
少しホッとしていると、紫色に変色した唇が動いた。
「ルー……」
「エド!」
慌ててベッドの傍へ駆け寄る。
「エド! エド!」
「……すまな……い」
エドは僅かに頭を動かした。
「しあわせに……なって……」
「エド!」
(どうしてそんな、お別れみたいに言うの?!)
握りしめたエドの手はひどく冷たかった。
「エド……いや、死なないで」
「――あいしてる……ルー」
私の手の中で。
エドの力が完全に抜けたのを感じた。
「……エド?」
嘘。
嘘よこんな。
こんなの――
「エド!」
どんなに強く手を握りしめても、何の反応もない。
(いやよ、どうして)
「ルイーズ……もう、だめだよ」
ダリアの声が聞こえる。
「エドはもう――」
その時再び扉の向こうが騒がしくなった。
「騎士団に跡をつけられた!」
仲間が飛び込んできた。
「何だって?!」
「奴らここに来る!」
いくつもの足音が響く。
激しい音と……足音がさらに増えていく。
「ルイーズ! 逃げるんだ!」
(逃げる?)
エドを置いて?
「いやよ、私はエドと――」
「いいから、早くルイーズ!」
「ルイーズ……嬢?」
聞き覚えのある声が聞こえた。
「――マクシム様……」
そこに立っていたのは第二騎士団副団長のマクシム様だった。
彼はアレク様の配下で、直に任務を受けることも多く、私も何度も顔を合わせる機会があった。
「どうしてここに……いや、無事で良かった」
マクシム様は私の側へと歩み寄った。
「ご家族も殿下も心配しています。もう大丈夫です、帰りましょう」
「いやよ!」
差し出された手を払い除ける。
「ルイーズ嬢?」
「私は夫と一緒にいるわ」
「夫――?」
マクシム様は目を見開いて、視線をベッドへと移した。
「この男……この顔?!」
「副団長、拘束終わりました」
騎士の声に、見ると皆が――ダリアまでが縄をかけられ床に座らせれていた。
「ダリア!」
「ルイーズ嬢。貴女はこちらです」
ダリアに駆け寄ろうとした私の腕をマクシム様が掴んだ。
「いや! ダリア……!」
「乱暴にするんじゃないよ、その子は妊婦なんだよ!」
「妊婦……?」
ダリアの声に、マクシム様は驚いた顔で私を見て、それからベッドに横たわるエドへと視線を移した。
「まさか……」
「私はその人と結婚してるのよ」
「――ともかく。貴女は保護します」
抵抗もむなしく私はマクシム様に抱え上げられてしまった。
「ルイーズ!」
「ダリア! ……エド!」
抱えられたまま部屋から連れ出される。
(このまま――もう会えない?)
そう気づいた途端、視界が涙で溢れて何も見えなくなった。