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 「屋敷ん中、倉ん中、今一度探し回れ!」

 吼えた貫太郎の後を追おうとした庄助は、信が座したまま杖に額をつけ身動きもしないのを見て、足を止めた。

「……何が、気になる?」

「あの二人の行方。屋敷を出るまで見届けた者がいんのが」

「……もしいないとして、心当たりは」

 杖の影で、瞳が暗く光った。

「ある」

 夕闇がすぐそこまで迫っていた。


 暗く香の匂いが残る中、ハルは目覚めた。胸の上から両腕、さらに両手両足を縛られている。口に噛まされた布の不快感、首の後ろに残る鈍痛。我が身に何が起きたのか、ちっともわからない。

「んんー!!」

 両踵を板に打ち付け、音を立る。多分、気を失っていた。倉を案内してくれていた人が呼ばれて少し席を外して。一人でうろついていたことまでは覚えている。けれど、その後は。

 不意に正面から光が差した。

「起きてしもたか」

 夕日が差し込む中、目が眩んでも声を覚えていた。

「んんんん!?」

 山路と横家が並び近付いてくる。逆光で見えない表情が、逆に恐怖を煽った。

「大丈夫大丈夫、怖がらんとも良かよ」

「おはんは大事な商品だで。お顔に傷はつけん」

 しゃがみ込む姿がぼやける。耳元でカラコロと音がして、額にコツンと当たった。

「おはんはこん塗物を盗んだ」

「そいで一人、菱松の伝手で外国に逃げた」

「菱松は信頼を失うじゃろうなぁ」

「っちゅう筋書きじゃ。安心せい、海外の花街に売り払うたる」

「日本の女子は人気だでな」

 するりと頬を撫でられて、背筋に怖気が走った。

「んー! んー!」

「夜になっまでどうすっ?」

「せっかくだで、男ん悦ばせ方でも教え込んだやどうじゃろう」

 空気が、妙な湿り気を帯びてハルにのし掛かる。

「そいたら少しは、大人しうなっじゃろう」

 払われた器たちが跳ねて壁に当たる。首を振り逃げようとするハルの両肩が力任せに床に押さえつけられた。両足を抱えられ、膝を折らされる。

 涙の零れる目をギュッと瞑ったハルの耳に、怒号が届いた。

「ハルーーーー!!」

 半開きの戸が吹っ飛ばされ、男二人が飛び込んでくる。ハルに馬乗りになった男たちを勢いに任せ殴り飛ばすと、庄助は娘をひしと抱きしめた。

「怖かったな。今解いてやるから、待ってろ」

「庄さん、ハルちゃん抱えて外出てくれ」

 声の主に、ハルは目を見張った。杖をついた信の背中がそこにある。

「良いのか?」

「あぁ」

「じゃぁ、任せたぜ。――三郎」

 小さな頷きがハルにも見えた。よろめき立つ薩摩の二人を尻目に、庄助はハルを抱き上げ駆け出した。


「ないごて、ここがわかった」

 血の混ざった唾を吐きながら、山路が問う。

「知っていたからさ。この場所を」

 答える声は、静かに床に染みていく。

「市中に近く、身を隠しやすく、川に近く、夜に行動しやすい。まさしくそういう理由で、僕らはあの時、ここにいた」

 かつて銃創だらけになり、燃やされ、打ち棄てられた場所。多くの仲間が死に絶えた。再興された今も、ここに来ると左足が痛む。

 よくわからない、と首を振り、口元を拭うと、男たちは各々燭台を手に信と対峙した。

「良かか、そげんなりで一人残って」

「おいたちは薩摩隼人だで。剣道も体術も、一通りしこまれとっ」

「逃ぐっなら今のう」

 杖が鋭く床を叩き、口を封じる。手元で杖を回すと、信はそれを刀を握るように持ち替えた。左肩を引き右足を前に出し、杖を顔の横で水平に構える。平晴眼の構え、という特徴的なそれを見るなり、薩摩二人の目つきが変わった。

「おい、そん構え」

「知っちょっぞ。じゃけんど、ないごてこんなとこで」

 動揺も顕わな二人に、信は鋭い眼光の下、口元に皮肉げな笑みを乗せた。

「おかしくはないだろう。なぜなら、ここは」

 ここは、会津だ。

 杖は刀。柄に小さく彫られた文字は、かつてこの如来堂にも掲げられていた旗の文字。新たな道を歩む自分の名前にも、その音をもらった。

 信はまこと。まことは――

「元新選組、三番隊平同士、小幡三郎。――参る」


「父様、どういうこと!?」

 近くの寺で(くつわ)を外されるなり、ハルは庄助に迫った。

「あの信さんを一人残すって! それに、さぶぼっ」

「それ以上は駄目だ!」

 慌てて口を押さえ、シーッと人差し指を立てる。ハルが頷くと手を離し、縄を解きながら、庄助は辺りを憚るような声で応えた。

「あいつは、同じ日野の出身でな。小さい頃からよく遊んでたんだ。親戚がやってる剣術道場にも一緒に通ってな。よく勝兄が相手してくれた」

 大きな口で笑いながら子どもたちの相手をしてくれたその人は、二人が十五の頃に、侍になる、と京都へと立った。

「四年後くらいにあいつも後を追ってな。翌年戊辰戦争が起きた。この会津で死んだって聞いたから、手紙をもらった時は驚いたもんさ」

 生まれを変え、名前を変え、仕事を変え。今日まで、生きていた。

「足はな、言うほど悪くないそうだ。さっきも父さんと一緒に走ってきた。ただな、やっぱり、痛むんだと」

 それはまるで燠火(おきび)のようにずっと燻り続ける、記憶の痛みだ。

 両手両足が自由になると、ハルは無言で立ち上がった。

「ハル?」

「戻る」

「はぁ!?」

「だって、信さん絶対無理するじゃない! なんで任せたなんて言うのよ!」

「そりゃあいつが良いって言うから!」

「はー! 男の人って何でそう格好つけたがるのかしら!」

「はぁぁ!?」

 徐々に大きくなる声に、何事かと住職が顔を出す。

「信さんに何かあったらどうするの!?」

「あいつは大丈夫だ! ずっと、あの隊で生き抜いて来たんだから!」

「……よろしいか」

 不意に割り込んできた声に、ハルと庄助はハ、と押し黙った。おそるおそる向けた視線の先には、背の高い壮年の男性。その眼光の鋭さといかめしい顔つきに、ハルは思わず庄助の腕を掴んだ。

「な、なんでしょう」

 父の顔も引きつり気味である。男性は構わず一歩踏み出し、二人を見下ろした。

「話を聞きたい。私は――」

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