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虹の死神  作者: 九JACK
虹の死神
99/150

紫練

「お、シリン。いいところに」

「アイラさん、どうかしたんですか?」

 そうしてアイラさんは手慰んでいたノートを渡してきた。これはセッカさんがいつも書いている日記だ。

 何故アイラさんが、と思ってアイラさんを見ると、彼は困ったように肩を竦めた。

「中を読めば大体の事情はわかると思うが……交換日記期間ってとこだ。俺はこれ、でっ」

 ひゅ、と飛んできた斬撃を、アイラさんは手首で受け止める。痛くないのかな、と思ったが、彼はいつも手首を切っているのだった。痛いは痛いのだろうが、痛みに慣れているのだろう。

 そんなアイラさんに斬撃を飛ばしたのはリクヤさん。紫縁の眼鏡の奥に不敵な笑みを浮かべている。ああ、また始まった。

「アイラぁ、今日こそてめえのそのうざったい髪を切ってやる!」

「余計なお世話、だっ!」

 言いながら、アイラはノールックでの回し蹴り。その爪先は後ろからの奇襲を目論んだセイムのこめかみに突き刺さる。僕はなんとか気づいてしゃがんだので、被害はない。

「うぅ、アイラ兄ひどいよぉ。シリンはなんでちゃっかり避けてるのぉ?」

 いや、隠密ができていないのが問題なのでは、と僕は思った。それにしたって、アイラさんの反応速度や察知能力は凄まじいものだが。絶対に敵に回したくない。

 そもそもアイラさんは人間じゃないらしいけど、それにしたって綺麗でしなやかな動きだ。それでいてパワーがあるのが風圧でわかる。手加減しているのも。

 手加減をしなかったら、セイムは痛いと思う間もなく意識を刈り取られている。人間だったら死んでもおかしくない一撃になったはずだ。

 単体なら虹の死神最強で間違いない。セッカさんも強いけど……セッカさんは……

 僕はとりあえず、日記を部屋で確認することにした。セイムの横を抜けて、扉に向かう。

「あれ、シリンはやらないの?」

「いや、むしろなんでやるの?」

「面白いから!」

 無謀すぎる。僕は娯楽に命は懸けられない。

 が、セイムは違うみたいだ。セイムは虹の死神の中でも特に異質なように思う。人の命に関わって、こんなに人は「普通」のままでいられるだろうか。そういう意味ではアイラさんと違う意味で怖い。心理戦とかをしたくないタイプだ。セイムは心が読めない。ずれた感覚をしているときと、普通の感覚をしているときの違いがわからないから。

 はあ、癖かな。敵に回したくないとか、警戒すべきとか、考える場所じゃないのに。彼らは仲間なのに、僕の脳が勝手に算式を作って何らかの答えを弾き出そうとする。敵なんてもういないのに。

 そもそも、僕に敵がいたかどうかすら危うい。あるいは、味方なんて、いたかな。

 そんなことを考えながら、扉を開けると。

 扉の先にいたミアカさんとはたと目が合う。

 晒された肌は白く、脚線美が暗い背景に引き立つ。それだけに腹部の痣が痛々しく、しかしながらそれさえも艶かしさを帯びて、ん?

「っ!?!? ご、ごめんなさい!?」

 ばたん、と扉を閉めた。なんでミアカさんの私室に繋がったの? というか着替え中の女性の部屋に扉を繋げないでよマザー!

「やーん、シリンのえっち」

「……ということはセイムも見てたんだね」

 僕は音を立てずに、セイムの腕を一瞬で締め上げる。

「このまま首を折ることもできるけど、体験してみる? 普通は死ぬけど虹の死神は再生するらしいって聞いたから、人間ではできない体験ができるよ」

「謹んでお断りいたします……ギブ、ギブ!」

 セイムからぱっと離れて、別の扉を開けた。今度はちゃんと僕の部屋だ。


 ということがあったので綴っている。

 何だったんだろう、あれ。マザーの不具合? 悪戯だったら……ユウヒさんを処せばいいのかな。

 とはいえ、ミアカさんと顔を合わせるのが気まずい。日記を読んだ感じだと、ミアカさんと一度話さなきゃいけないみたいだけど。

 ミアカさんは僕にとって敵軍の人だった。僕が入る頃には大尉で、救護班長だったから、ミアカさんの過去は知らなかった。ただ、あの国の女傑の話は知っている。調べなくても耳に入ってくるほど有名だったから。

 英雄■■■。……あれ、本当だ。書こうとすると文字が滲んだみたいになって読めなくなる。でも、記憶から消えるわけではないから、マザーが何か仕掛けているのかな。英雄■■■って結構……かなり昔の人みたいだから、虹の死神の成り立ちに関わりがあったりするんだろうか。

 綺麗な名前で、綺麗な人だ。僕は軍人として歴史書で勉強したことがあるんだけど、英雄の肖像を見たときは本当にミアカさんそっくりそのままでびっくりした覚えがある。

 正直、英雄や歴史上の偉人に容姿が似ているって憧れる。まあ、生前は憧れなんて抱く暇もなかったけれど。そういう点では、ミアカさんのことをなんとなく、気に留めていたかも。救護班にもお世話になりましたし。

 英雄の名前も綺麗です。東方の国で春に咲く花と同じなんですよ。ただ、英雄なので「聖なるもの」という意味で■■■なのかもしれないけど。

 すると、こんこん、と扉からノックの音が聞こえた。僕の部屋には扉が壁代わり、というくらいに、所狭しと扉が並んでいる。記憶を取り戻してから、マザーに「僕は色んなところに行ってみたい」と頼んでみた結果だ。実は無数の扉の中に三つ、外の世界に繋がる扉がある。

「はい」

「あ、シリンさん。入りますね」

「あ、え、ミアカさ」

 僕からの返事に安心したのか、ミアカさんが扉を開ける。が、開いた扉は天井についており、ミアカさんは重力に従って落ちてきた。

 どさっと、僕の真上に。本当、今日は何なの。

 ふわりと石鹸の清潔感のある匂いが鼻をくすぐる。柑橘の胸を透くような空の匂いもした。……じゃなくて。

「わ、シリンさん、ごめんなさい!」

「いえ……事前に言っておけばよかったですね」

 素早く僕の上から退いたミアカさんが、部屋を見回す。そう、僕の部屋は扉で埋め尽くされている。それは壁だけでなく、天井も。上下がわかるように、床には扉をつけなかった。

「なんだか……すごい部屋ですね」

「ええ。マザーがランダムにどの扉に繋ぐのかわからないので、僕の部屋に来るときは気をつけてくださいね」

 それはそうと……

「先程はすみません。わざとではないんです」

「わかっていますよ」

 ミアカさんは苦笑した。

「男として思春期を過ごしましたから、あまり着替えを見られても恥ずかしくないんです。まあ、暴漢なら、シリンさんの二倍くらいの図体でも伸せますし」

 怖い。気をつけよう。

「それはそうと、シリンさん、どうしてこんなに扉を?」

 当然の疑問だ。僕は理由を話した。

 すると、ミアカさんはなんだか寂しげなような、嬉しそうな、複雑な表情を浮かべた。

「生前のシリンさんからは想像がつきません。どこかへ行きたい、だなんて」

「そうですか?」

「ええ。どこにも行きたくなさそうでしたから」

 何気なく放たれた一言に、僕は胸を衝かれる。

 そう。裏切りを重ねすぎて、僕はどこに行ったらいいか、わからなくなっていた。一つ所に留まっていたかった。誰かに閉じ込めて、僕という存在を世界が忘れ去ってしまうまで、僕が考えるのをやめてしまうほどの長い時間、どこかに閉じ込めていてほしかった。何も知らなければ、僕は幸せで済んだはずだ。

 けれど。

「僕は、短い人生を無駄にしました。他人に自分の人生の主導権をずっと握らせていたんです。だから、主導権が自分に戻ってきたとき、どうしたらいいかわからなくなって、自殺しました。もったいないことをしたと思います」

「もったいない、ですか?」

「ええ」

 確かに、僕はたくさんの人を殺した。世紀の大罪人だ。けれど、僕以外の全てを殺したあの場では……僕は自由だったのだ。もう僕を戒める鎖はなかった。僕を制御しようとする両親も、上官もいなかったのだ。

 いずれ、死神に捕まる旅だったとしても、それまで旅をすればよかった。砂漠、海、高山……見たいものがたくさんあって、行きたい場所もたくさんあった。あのとき、僕はどこまでだって行ける可能性を秘めていたのに、その可能性を全部捨てた。

 本当に、もったいなかった。

「気づくのが遅かったですけど、こうして虹の死神になって、少しなら気晴らしをできるんです。誰のためでもなく、自分のために生きるのは、なんて楽しいんでしょうね」

「……そうですね」

 キミカさんはちょっと怒っていたようだけど、実はセッカさんに海に連れて行ってもらえたのが、嬉しかったのだ。海の水はしょっぱかった。でも、しょっぱいことを自分で確認できた感動は、形容しがたいものだった。

 少し、幸せになろうと思えた。

「シリンさんが幸せに過ごせているのなら、よかったです。皆さん、優しいですよね。個性的で」

「あはは、そうですよね」

「ただ……」

 ミアカさんが俯き、膝のところで手を握りしめる。

 僕を見上げ、ミアカさんは言った。

「あの、セッカさんに会いに行きませんか?」

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