力ある無緑
聞きたくなかったです。
聞かなきゃよかった。
何故、セッカを解放しなかったのか、ユウヒにその意味を問う必要なんて、なかったでしょう。
どうして問いかけたんですか。セッカを救えるとでも思ったんですか。セッカが取り残された事実は、私には変えられないのに。
ユウヒは言いました。
「いい質問だね」
それから朗々と語ります。
「まず、ミアカの話になるけれど、彼女は虹の死神であるには色々と知りすぎていて、死神の本質、マザーの本質、慈母神の正体に近づきすぎている。だから、死神として管理せざるを得ないけれど、虹の死神にはしたくない。それがマザーの意思で、私も概ね同意だ。彼女は私たちにとって、パンドラの箱だよ。彼女自身、おそらく気づいているから、素直に死神になったんだろうね……
そういう、死神の本質に近いところにいる魂は赤の席と橙の席として管理することにしているんだ。セッカが赤の席なのは、セッカは知らないだろうけど、セッカが神様と親戚だからだよ。神格が上の神ほど、尊ばれるものだろう?」
「セッカは神ではありません。死神です」
「おっとそうだ。神と死神は区別すべきものだね。キミカは宗教的観念に基づいて、人に祭り上げられた似せものの神様だ。そのことは君が一番よーく知っているはずだけれど」
そんなことを聞きたいのではありません。ユウヒを睨むと、ユウヒは剽軽に肩を竦めました。
マスターという肩書きを得たユウヒをマスターと呼んだことは一度もありません。私にとって、ユウヒはユウヒのままです。というか、虹が揃うまで思い詰めていたときより、よっぽどユウヒらしくなったような気がします。
リクヤ以降の死神はあの思い詰めて、マザーの言うことをなぞるばかりの機械のようなユウヒしか知らないでしょうから、ユウヒが変わってしまったと思うのでしょうけれど、ユウヒが変わっていなくて、私は安心しています。ちょっと剽軽で、人をおちょくるのが好きで、勿体ぶるきらいのあるユウヒは五千年ぶりに見た生き生きとしたユウヒの姿でした。
だから、結論まで勿体ぶるつもりなのだろう、と私は話を聞いていたのです。
「歴代の黄の席はキミカと同じく、神のように崇められたものか、本物の神様がなっていたんだ。因果ってやつなのかな。でも、君と同じで彼らは大きな罪を持たなかった。大勢のために自分の命を犠牲にするものが黄の席のほとんどだった。まあ、この話は今はどうでもいいのかな? 興味があるなら、私がいつか話を書いたかもしれないから、見てみるといいよ。
ただ、赤の席の話はさせてもらうよ。セッカと、マザーと、あと一人しかいないからね。あと一人は『キセキ』っていう名前の男で、異常者だった。彼は黒いものが好きでね。ああ、そうそう、よく覚えている。あいつの目もセッカと同じで、血みたいに真っ赤だった。キセキは暴れるのが好きだったから、任務のたびに暴れて、人を怖がらせたり、傷つけたりして、罪を重ねるじゃじゃ馬でね。私も彼には手を焼いたよ。セッカも長年死神をしているけど、彼も随分と長く赤の席に座っていたものだ。まあ、退屈はしなかったけどね」
ユウヒが過去、それも私やセッカが来る以前の話をするのはかなり珍しいことでした。過去語りをするのは嫌なのかな、と思って、私たちも敢えて聞かないでいたんですけど。
過去を話すユウヒはとても楽しそうでした。日記を綴り始めた理由は「忘れっぽいから」だと聞きましたが、もしかしたらユウヒはこれまで死神として生きてきた一万と五千年もの年月のことを一秒たりとて忘れたことはないのかもしれません。それくらい、彼の語るかつての赤の席の死神の姿は明朗快活で、キセキという死神が確かに存在したことを実感させられました。
ユウヒはきっと、死神であることが楽しかったのでしょうね。七つの席が埋まるまで死神で居続けようとする姿は私たちには痛ましく映っていましたが、それだって彼が死神であることを楽しむための手段だったのでしょう。
「キセキが犯した罪は人殺しだった。彼は黒いものが好きな上に強欲でね。黒いものを手に入れるためなら、人を殺すことだって厭わなかった。それを罪とされて虹の死神となった後も、キセキはその異常性を悔い改めることはなかった。もはや病気だったのかもしれないね、あれは。
キセキはいつも、黒いものを手に巻きつけていたんだけど、それは何かと聞いたら、宝物だと彼は得意げに笑った。彼が一目惚れして、初めて人を殺して手に入れたものだって。少女の長い黒髪」
血の気が引いていきました。思い描きたくもないのに、男が少女を殺して、殺した少女の頭から、頭髪をむしり取る姿が思い浮かびます。真っ赤な真っ赤な目で、それをやるのです。零れ落ちそうなほどに熟した果実のような赤い目が、手に巻きつけた黒髪を見て、うっそりと笑むのを幻視しました。
吐き気が込み上げてくる光景です。ユウヒがキセキを異常者だと言い切ったのがよくわかりました。
「でもね、そんなやつでも、虹の死神においては頂点の存在なんだ。何故なら赤を司るから。キミカ、虹を見たことはある?」
虹。それは雨上がりの空に浮かぶ七色の橋のことです。虹は国や地方により、七色でないこともありますが、虹の死神は七色の虹になぞらえて、七つの席が存在します。
雨上がりに空を見上げたことは何度もありました。私は生前、窓の外を眺めるくらいしかできませんでしたから。
私が頷くと、ユウヒが満足げに笑みを浮かべて語ります。
「不思議だと思わないかい? 虹は水滴による光の屈折か何かであの色に見えるとか聞いたけど、何故いつも、虹の一番上には赤が来るのだろうって」
「え」
「私はね、神様が選んだ色だからだと思ったよ」
ユウヒは世界の不思議と赤という色についての考察を始めました。
「例えば、セッカのようなアルビノという存在は色素を司るものが欠如して、あんなに真っ白になるんだ。でも、どうして目は、目だけはあんなに真っ赤なのだと思う? 目も白くなると思わない?」
ユウヒの論は安直です。学を持たない子どもの説く論理のよう。まあ、実際、死神になる前のユウヒが読み書き以外で何かを学んだのかは不明ですけど。
「私はこう思うんだ。きっと、赤という色を神様は好きなんだ。眺めていたいんだ。だから虹の頂点の色は赤だし、アルビノの目の色も赤、人間の血の色も赤なんだ」
「何が言いたいんです、ユウヒ。私はセッカを解放しない理由を聞いていたはずで──」
「我々は、神だ」
私は目を見開きました。
「神ではなく死神だと、君は言うかもしれない。確かにマスターとなっても私は死神だ。けれど、マザーやマザーと融合した慈母神は違う。彼女らは神様なんだよ。セッカは神様に気に入られた。だからいずれ、セッカも私と同じマスターにしようと思う。永遠に彼女らの手のひらで踊り遊ぶ人形として」
「そんな! あなたはなりたくてマスターになったでしょうけれど、セッカは真面目に死神の任務をこなして、罪を浄化しているのに」
「じゃあ、競争をしよう、キミカ」
妖艶に笑んで、ユウヒが私の肩をぽん、と叩き、ぐいと顔を寄せた耳元で囁きます。
「私たちがセッカをマスターにするのが早いか、セッカが罪を浄化しきるのが早いか」
私は震えました。
「もっとも、罪を浄化するのはセッカ自身だから、君にできることはありませんがね」
そんな、そんな、そんな、そんな、そんな……




