黄黄にして
セッカが「頭を冷やしたいから、しばらく預かってくれ」と私に日記を渡してきたので綴っています。キミカです。
彩雲の死神、ミアカという女性を連れてきたとき、一緒に行ったシリンもろともずぶ濡れで帰ってきたのは驚きました。ユウヒに着替えを出してもらうよう頼んで、三人の体を拭いたのを覚えています。
一番死神歴の長いセッカに、どうしてこうなったのか聞いたら、「海で遊んできた」とのことでした。私は絶句してしまいました。夏でもないのに、海に行くなんて。服を着たまま全身ずぶ濡れになるような深さの海に入るなんて、自殺行為でしかありません。シリンとミアカは何も言いませんが、二人は巻き込まれたのでしょう。マザーがシャワー室を作ってくれていてよかった。じゃなきゃ、凍え死ぬかもしれない。それ以前に、海で溺れ死んだかもしれないのに、と思うと、私は監督役のセッカを問い詰めたくなりました。
自分から死にに行くような真似を、譬人間じゃないとしても、私の身近な人にしてほしくない。だから、私はアイラやユウヒの自傷行為に心を痛めてきました。アイラとセッカが任務で無茶苦茶をして帰ってきたとき、二人を叱りました。だから今回も、窘める必要がある、と私は思ったのです。
そんな私を止めたのは、ミアカでした。
「あの人を責めないであげてください」
シャワー室に入る前、彼女は私に言いました。
「あの人は、なんだか様子がおかしかった。シリンさんも違和感を感じているようでした。たぶん、それは……あの人の何かを求めるような、切望するような瞳に気づいていたのに、私が無視したからです。これは勘でしかないのですが……あの人の近親者の誰かに、私が似ていたのではないでしょうか。あの人はその人を懐かしんで、たぶん、私に名前を呼んでほしかったんだと思います。ただ、それだけのことなのに、私はそこまでわかっていながら、口にされなかったから、とあの人の目を無視しました。それがきっと、やりきれなかったんだと思います」
その言葉の確信と核心の強さに、私はなんだか懐かしい心地がしました。直感的にそれが何かわかります。
彼女は私に似ているんです。誰かに信じられること、それと同じくらい、誰かを信じることに慣れている声。「信じる」という言葉が信用や親愛とは違った……「信仰」のような意味を持つものであることを、感じました。
その後、珍しくマントを脱いでいたセッカに日記を託されて……久しぶりに、読み返しました。
どうして忘れていられたのでしょう。私は思い出しました。セッカが私の半分ほどしか生きなかった子どもだということを。……精神的成長を望める環境に恵まれぬまま、五千年も死神を続けてきたことを。
セッカの大切にしていた、セッカを大切にしてくれた人は金色の髪をして、青灰の目をしていたんです。セッカはその人を目の前で二度も失いました。その悲しみをセッカは表に出さなかったので、私は知らなかったのです。日記を読む機会は、何度もあったはずなのに、知ろうとしなかった。
ものすごく、後悔しています。何故、セッカのことを知ろうとしなかったのでしょう。特にこれといった望みはない、というセッカに、どうしてこれから叶えたい願いを見つけよう、と声をかけられなかったのでしょう。私は五千年も彼の隣にいて、本当に、何を……
……と、私の懺悔を綴っても仕方がありませんね。セッカにはもっと寄り添っていこうと思います。シリンが入ったことをきっかけに止まっていたセッカの時間が動き出したのなら、それを教え導くのが、私の役目なのかもしれません。神なんてたいそうなものでなくても、それくらいはできるはずですから。
セッカの時間が動き出したことは、何も悪いことではありません。セッカが情緒不安定になるのも、仕方のないことです。少しでも、セッカの心が安らげるように、私ができることをしてみようと思います。
さて、私は脱衣所でミアカから説得を受けたのですが……ミアカの腹部に赤黒い痣があるのを見てしまいました。
死神になるにあたって、一度体は死ぬわけですが、マントによる修復で、死んだとき受けた傷は治るはずです。セッカに連れて行かれた海で怪我をしたにしては、不自然な位置の痣ですし、心配で、私の能力を説明し、治そうとしたのですが、それは本人に拒否されました。
「これは私の罪の傷跡です」
「……罪?」
彼女は痣をさわりと撫でます。まるでそこに宿る命でも慈しむかのように。
「私は以前、親からの暴力で、子宮を失いました。子どもを産む能力を失ったんです」
「親からの暴力なら、あなたのせいじゃな」
「僕のせいなんです」
彼女の一人称が変わったことに、私は目を見開きました。そんな私に、ミアカは自虐的な笑みを浮かべてみせます。
「抜けませんね、癖って。これでも、女っぽくなった方だと思うんですけど。昔は男のふりをして、兵役していたんです」
突然の告白に、私はどう返したらいいかわかりませんでした。
ミアカとシリンが所属していたララクラの軍は女性でも兵役ができたはずです。シリンが所属していたアセロエは駄目でしたけれど。
不思議に思っていると、彼女が語ります。
「私は救国の英雄の生まれ変わりだと思われていました。淡い金髪に青灰の瞳。長く伸ばした髪を三つ編みに結えば、我が家に飾ってある英雄の肖像画と瓜二つの人物の出来上がりです。
英雄■■■は男として兵役し、功を上げ、後に女であることを明かし、国に女性の立場を築き上げました。それと同じことを、親は私に求めたんだと思います」
「そんな……英雄は英雄であって、ミアカさんではないでしょうに」
「ほんっと、そうですよね」
ミアカはくしゃりと笑います。なんだか、泣き顔みたいでした。
「親のエゴですよ。私の中に英雄の姿を見出だし、夢想し、焦がれて、英雄という虚像を私に押しつけたんです。幼い頃の私には、親が全てでしたから、私もそれが正しいんだと思っていました」
ミアカの言葉がじくじくと私の心を苛みます。ミアカが親から向けられたそれはまるで、私が生前、信徒に向けられたもののようで、私に救いを求める信徒の声が、内側から沸き上がって、私を責め立てるようでした。
「キミカさま、我々に恩恵を与えてください」
「キミカさま、我々を救ってください」
「救ってくださるまで」
「恩恵を与えるまで」
「あなたを決して、死なせません」
それは私の中に巣食う呪いです。
シャワー室へ向かうミアカを見送りながら、私はその呪いを必死に振り払います。呪いと立ち向かうとき、私が思い浮かべるのは、おそらく私を唯一「キミカ」として信仰し、その生涯を閉ざした信徒のこと。
私のことを探して、人生のほとんどを私を探す旅に費やした愚かだけど愛おしい、世界にただ一人しかいなかった、私の神であり、信徒なのだと思います。
ひまわり色のストールをあの人は私に残しました。真っ当に生きていたとしても、私は寿命を迎えて死んでいたでしょうに、それでもあの人はキミカという神を信じ続けた。私という存在を。
「キミカさま」
あんなに優しい、安らかな声で私の名を呼ぶ人を、私は他に知りません。
あの人がいなければ、きっと私は永遠に救われないままでした。
何もできなかった私が救われて、子どもを守ったセッカが救われちゃいけない道理なんて、ないのです。
だから、私はユウヒの部屋に行き、問いかけました。
「ユウヒ。教えてください。
何故セッカを虹の死神の赤の席に留める必要があったのですか? ミアカという赤の席候補者がいたのに」
私の問いを、待っていたというように、ユウヒは笑いました。




