燈々
リビングに戻ると、シリンとアイラがチェスをしていた。その対戦をリクヤとセイムが見ている。主にシリンの応援である。リクヤはアイラを嫌ってだろうが。
シリンの灰色の目がぼわ、と緑の灯火が灯ったように光っていた。冷たく、芯のある声が響いた。
「チェックメイトです」
「……参った」
どうやら勝負あったようである。リクヤはアイラの敗北を鼻で笑い、セイムはシリンの勝利を称える。なんともほのぼのとした光景だ。
「ってわっ、セッカ血塗れ!? どうしたの!?」
こちらに気づいたセイムが驚く。リクヤも目を剥いていた。シリンとアイラは静かに見ているだけだ。おそらく、どのくらい血を見慣れているかが関係するのだろう。あとは……どのくらい、察しがいいか。
「大丈夫だ、全部返り血だから」
「だ、だれの……?」
「はーい、みんな、注目」
セイムの疑問をおもいっきり無視して、返り血の主が声を上げる。おれは何も言わず、フードを深く被って、部屋の隅に移動した。
キミカは陽気なユウヒにドン引きしながら、シリンたちの方へ寄る。おれはあちら側に行けない。
キミカの力で、返り血までは取れない。おれの白いマントでは血が目立つだけだ。──人を殺したという事実が浮き彫りになるだけ。まあ、あれを「人」と呼んでいいのかはわからない。
朗々とユウヒは語る。
「虹の死神が七席揃ったことで、死神は次の段階へと進むことができたよ。それが始まりの死神である私、ユウヒを虹の死神橙の席から死神を管理する存在『マスター』に昇格させること。というわけで、これから私のことは『マスター』と呼ぶこと」
全員の頭の上に疑問符が浮かぶ。まあ、これだけの説明だとそうだろう。
ユウヒはそのオレンジに透き通るような琥珀色の目を見開いて、小首を傾げる。質問を受け付けるよ、とのことだ。
そこで真っ先に元気よく手を挙げたのはセイムだった。
「はい、セイムくん」
「はい! マスターとユウヒさんは何が違うんですか!」
「うん、いい質問だね」
お前それ言いたかっただけだろう、と得意げなユウヒを見て思う。
ユウヒはこれ借りるね、とチェスの駒を手に取った。
「これらを死神に例えるとしようか。
兵士は霊凍室で眠っている普通の死神たちだ。虹の死神のように普段から活動することはなく、任務のときだけ使われる。彼らは大体一回の任務で死神としての役目を終えるから、最下級の兵士ってわけだ。
虹の死神は僧侶や騎士といったところかな。これまでの私はこの地位にあった。
マスターになった今は女王」
「ユウヒさん男なのに?」
「そこは言葉の綾さ。マザーは王にあたるよ」
そこで今度はシリンが手を挙げる。
「戦車の役割は誰が果たすんですか?」
ユウヒが駒を取り払ったことで、自由に動くことができるようになった戦車の駒をすっとユウヒの眼前へと移動させ、シリンが問う。
シリンは飲み込みが早く、ユウヒが王に次ぐ女王となったことそのものに疑問は抱いていないようだった。その様子を見るユウヒは愉しそうだ。
「城塞はここさ。死神界。ここは私たちの拠点であり、どこへでも行ける」
扉を開けばどこにでも繋がり、速やかに死神たちを任務先へ導く死神界が城塞というのはなるほど、納得がいく。
「城塞? 何を守るおつもりですか?」
シリンが灰色の目に妖しい揺らめきを宿して、ユウヒに問いかけた。
「僕らは死神です。特定の命を切り裂くだけの何かです。城塞を築いて、王と女王を騎士や僧侶で囲って、兵士を置いて、貴方たちは何をしたいんですか? 籠城みたいじゃないですか」
シリンは言った。
黒の女王を白の騎士で倒しながら。
「貴方たちの本当の目的は何ですか?」
たぶん、シリンはわかっている。頭がいいし、観察力もあるだろうから、今までのユウヒと今のユウヒの何が違うのか、わかっている。儀式に携わらなかったら、おれでもわからなかったようなユウヒの変化を。
だからこんな含みを孕んだ言い方をするのだ。そんなシリンを恐れて、マザーとユウヒは強引に儀式を行ったのだろう。おれやキミカを巻き込んで。
「私たちは命の理を守るために存在します。命が無為に失われることを罪とし、その罪を魂に刻み、次へ送る……それが私たちの役目です。君もその役割の一部を担っています」
人を殺すことは、一般的に罪とされる。法律でそうと決まっていなくとも、大抵の者は人を殺めたとき、それを過ちと認識し、罪悪感に駆られ、懺悔する。動物とは交わり、共生し、栄えていくものなのに、相手を一方的に殺害するのは広い目で見れば、繁栄の妨げとなる。故に人を殺したときに人は罪悪感を覚えるようにできているのだ。
だが、そうでない人間も少数ながらに存在する。もしくは、人を殺さないと自分が死んでしまうような窮地にばかり立たされて、人を殺すことでしか生きてこられなかった人間。殺すことを繰り返しすぎると、人はおかしくなる。故障して、罪悪感が失われたり、人を殺すことは当たり前だからと正当化したりする。
そんな世界を許してはならない。故に死神は存在する、というのがマザーとユウヒの主張だ。
そうやって始まりの死神は世界を管理してきた。きっとこれからも変わらないだろう。
「まあ、チェスの駒はただの例えです。そう真剣に悩まないでください。私はマスターになったことによって、死神のように浄化されることがなくなりました。代わりに、マザーの手足として動くことができます。つまり、マザーはこれまで口頭での指示しかできませんでしたが、マザーと虹の死神の仲介役として、私は生まれ変わったのです」
きっと、ユウヒはそうなりたかったのだろう。ずっとそのためだけに死神として存在し続けた。マザーのためになりたくて、自分の罪が目減りしていくのを恐れて、手首を切り刻んで、新たに罪を重ねてまで、今日まで生き続けた。
おれたちはそれに巻き込まれたに過ぎない。呪うとするのなら、生前に罪を犯した自分を呪うしかないのだろう。
「リクヤ、珍しく静かですね。ちゃんと聞いてます?」
「聞いてる。要はマザーに物申したいときは代わりにてめえに言えばいいっつうこったろ」
「おやおや。何か言いたいことがおありで?」
「それはもう山のようにな。だが……」
挑発的なユウヒの語調にリクヤは額に青筋を浮かべたが、続く声は少し沈んでいて、寂しげだった。
「なんか、いつかはこうなる気がしてたから、不思議でもなんでもねえ。とうとうか……と思った。ただ、もう」
眼鏡の奥からユウヒを見る緑の眼差しは、たぶん、今のユウヒを見ていなかった。
「オマエはユウヒじゃねえんだなって思ったんだ、マスターさんよ」




