儀死黄
呆然と、ユウヒの体と首から血が垂れていくのを見ていた。
木彫りの人形の首もなくなっている。景気よく飛ばしたからか、頭は跡形もない。
人の形をしたもの、つまりは人形を対象に見立てて呪いをかけるという話は聞いたことがある。手足のない木彫りの人形はユウヒと繋がっていたのだろう。問題はどうしてユウヒが首を飛ばさせたか、だ。
自傷はするが、それは罪の数値を増やすためで、死にたいからじゃなかったはずだ。
『おめでとうございます』
不意にマザーの声が聞こえた。心なしか、いつもより声色が明るい気がする。
おれはなんとなく上に目をやる。マザーに体はなく、どこにもいないが、どこにでもいて、死神界で死神たちを見守っている。管理するために。
無情なことで有名なマザーが喜んでいる。ろくなことじゃないな。
『あなたのおかげで、死神は次の段階に進むことができます』
「次の段階? ユウヒを殺して進む次ってなんだ……」
『ユウヒは死んでいませんよ。まあ、死神は元々生きてもいませんが……死神は通常、人間ならば死ぬほどの致命傷を負っても、ある程度からは復活することは、セッカも身をもって知っていることと思いますが』
それはそうだ。舌の上で苦い味がしたような気がする。アイラとおれは戦いが長引くと血の匂いに酔ったり、気が昂りすぎたりして、暴走する。暴走したおれとアイラは殺戮マシンだ。互いにその性質を持つことが、皮肉にもおれたちを止めることに繋がっている。一度死ぬと、理性が戻るのだ。
気持ちがいいわけでもない話を思い出して目を据わらせるおれに構うことなく、饒舌なマザーは続けた。
『虹が揃うこと。これが次に進むための条件の一つでした。だからユウヒと私は虹が揃うことに拘り続けた。一万と、五千年。時間はかかりましたが、先日、シリンが紫の席を埋めたことにより、次へ進むための条件が満たされました』
聞いているうちに「次の段階」という言葉に聞き覚えを感じた。
たぶん、あれは三千年くらい前。竜鱗細胞実験というものがあり、それにより殺せない人間兵器が生まれた。フランという少年とアインという人工的にフランにつけられた人格。それら二人を死神にするために、虹の死神は「次の段階」に進む必要があった。あのときのマザーも「次の段階」という言葉を使ったな、とぼんやり思い出す。
そうしてできたのが「彩雲の席」だ。本当なら虹の死神相当の殺戮をしているフランだが、当時、藍の席にはアイラが座ることが決まっていた。だから、虹の死神に次ぐ死神として彩雲の席が設けられたのだ。
彩雲の席を設けるのはその場で決まったような雰囲気だが、その前、マザーがまだクレナイだった頃から、虹の死神に考えられていた「次の段階」というものが存在した、ということだろうか。ユウヒが死神として過ごしたのが、確か一万五千年くらいだ。マザーの言う年数と合う。
『意識体である私には肉体が存在しません。その代わりにユウヒと意識を繋げることで、外界への干渉を計っていました。ですが、ユウヒが普通の死神のままでは、やがて罪の数値が尽きて、浄化されてしまう。それに対する措置を、この儀式を経てようやく取れます』
「儀式?」
『これを』
マザーの言葉と共に、虚空からふぁさりとひまわりのような色をしたストールが落ちてくる。おれは目を見開いた。
「これは、キミカの……!」
キミカが信者からもらって、何千年も大切にしているストールだ。失くした、と言って悲しんでいた。探していた。
おれはマザーなら死神界の中にあれば知っているだろう、と言ってキミカを励ました。まさか、マザー本人が持っているなんて。
『儀式を完成させるためには聖なる力と祈りの宿った襟巻きが必要でした。まあ、首に巻ければ、襟巻きでなくてもよかったのですが』
「聖なる力と祈り?」
マザーはすらすらと答えていく。
『キミカは生前、確かに何の力も持たない人間でした。けれど、人間により、人間の穢れから遠ざけられて生きてきたことにより、その肉体と心は清いまま死ぬことになりました。それにより、聖なる力を体に蓄えたまま死神となることができたのです。キミカは体が弱いため、あまり任務に行くことができないのも良い方に作用しました。任務に行き、人の血の穢れを受けないことで、キミカの持つ聖なる力の純度は高いまま、何千年も保たれたのです』
なんだ、それ……
『また、この襟巻きはキミカの敬虔な信者の敬虔な思い、キミカに会いたいという純粋な願い、祈りと共に長年あったことで、聖なるものとなる適性を高めていました。時を経てキミカの手に渡ってきたのは僥倖と言えましょう。聖なるものが聖なる人と共にあることで、儀式に使うことのできる聖飾品となったのです』
「その聖飾品とやらで、何をするんだ」
『そうですね。では儀式を続けながら説明いたしましょう』
儀式。おれはそんな妙なことに巻き込まれているらしい。
『ユウヒの首を頭に戻してください』
「は……?」
切った意味、とは思ったが、おそらく人智を超えた儀式をさせられているのだ。今日のマザーは饒舌で機嫌がよさそうだから、聞けば答えてくれるだろう。説明を受けるのは後だ。
儀式であろうとなかろうと、おれはユウヒの首を自分が落として、それが目の前に転がっているというこの状況に耐えられなくなりそうだった。叫び出して、狂ってしまいたかった。
そうなるには、おれは五千年以上も死神をしていて、感情を抑えることができてしまった。きっと、狂った方が楽なのに。
ユウヒの頭を拾って、崩れ落ちないまま保たれていた胴体に乗せる。何らかの力がはたらいているのだろう。おれはユウヒの頭を持ったとき、血でべた、と手に貼りついてきたユウヒの髪を見た。怖いとか、そういうのじゃない。なんだか呆れた。
たぶん、人形を介したのは、髪を切らせないためだ。クレナイのために、クレナイの代わりに、大切に長く伸ばした髪。切ろうとしたら、大事な友との約束だと説明されたっけか。最近のユウヒはどこか遠い存在になってしまっていたのに、そこだけは変わっていなくて、徹底しているのが、呆れを感じるほどにらしかった。マザーの介在しないユウヒの意志を感じて。
ユウヒの生首は血に濡れて、ほんのり温かい。死神は死体からできているが、一応体温がある。当たり前すぎて、忘れていたことを実感して、手が震えた。命を奪った実感が、今頃じわじわと体を苛む。罪の数値が増えたときの痛みは消えたはずなのに。
死神が死神を殺そうとすると、それは罪に加算される。
「君にはもう少し、死神でいてほしいんだ」
つまり、わざわざおれにユウヒを切らせたのはおれを死神として続投させるため。ユウヒと違って、死神でいたい理由なんてないのに。
『その首に聖飾品を巻いてください』
おれは言われるがままに、キミカのストールを手に取った。うっかり血のついたままの手で触ってしまい、べっとりと赤が柔らかい黄色を汚していた。そこで、がちゃりと扉が開く音がする。
「セッカ、ご用事のところすみま、せ、ん……」
想定しうる中で、最悪の人物がやってきた。
金色の瞳に映るのは、血塗れのおれと、ストールと、ユウヒ。
キミカは静かに問いかけた。
「何を……しているんですか?」
それに答えるのはマザーだ。
『儀式です。キミカ、ちょうどいいところに来ましたね。ユウヒに月の魔力を与えてください。それでこの儀式は完成します』
「儀式って……」
『早く』
マザーの声は温もりのある母親のふりをしていた。ふりをしていることがわかるから、腸が中から冷えるような寒々しさと恐怖を覚える。
キミカはおれに問いかけるような視線を投げかけてくる。きっと、問いかけるにしても、何を言葉にしたらいいのかわからないのだろう。
おれは首を振った。横だったか縦だったかは覚えていない。壊れかけの心で、懸命に紡いだのは異常な言葉だった。
「ユウヒの首が取れてるから、くっつけてくれ。キミカにしか頼めない」
なんだそれ。首が取れている? くっつけてほしい? キミカにしか頼めないって……なんなんだ。
キミカは金色の瞳をいっぱいに見開いて、聞きたいことはたくさんあるだろうに、黙ってユウヒに寄り添い、血塗れのストールに手を添えた。
その細くしなやかな指から、温かい力が流れていくのがわかる。白い光、肉体を修復する光が、ユウヒの体を包んだ。
光が収まると、徐に、ユウヒがその宝石のような瞳を見せて微笑んだ。
マザーの声が響く。
『おめでとうございます。死神を統括する存在、マスターの誕生です』




