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虹の死神  作者: 九JACK
虹の死神
89/150

赤月が嗤う

 ありがとうございます、とシリンが日記を返してきた。

 そこに書かれていたのは、十五歳の少年の物語(じんせい)とは思えない数々だった。生まれる前から戦争の道具(ぐんじん)になることを定められていたシリンの人生は、同じ享年十五のおれには想像もできない。

 問題は、これをどう他のやつらに伝えるか、だ。シリンが記憶を取り戻したことはすぐにわかるだろうから、経緯を書いてもらったのだが……まさか、死神の能力である記憶を読み取る能力が作用して記憶を取り戻すなんて。というか記憶を読み取る能力自体がシリンとの相性が最悪ではないか?

 これで「記憶がなくなってしまえばいい」というシリンの願いを叶えたと考えているのだろうか、マザーは。……いや、そう考えているのだろう。完全に東暁という人物がシリンの初任務に当てられたのはわざとだ。だからまだ死神についてよくわかっていないセイムを行かせたのだろうし。リクヤならその場でぶちギレる。目に浮かぶようだ。

 シリンは「思い出せてよかったです」と微笑みそうだ。忘れたかったわけじゃない。忘れたかったのなら、「もう忘れたりしない」なんて書かないはずだ。

 きっとシリンが失いたかったのは記憶ではなく、どんな些細なことも一つ残らず記憶してしまう記憶能力の方。彼がデータベースと呼ばれた所以だ。

 死神である限り、人の命を刈る際にその人の記憶を見てしまう。シリンはそれら一つ一つを忘れられない。死神が刈るのは人の寿命を操作した罪を持つもの。一口に言ってしまえば、人殺しのろくでなしだ。悪人なら殺すのにあまり抵抗は感じないだろう。だが、記憶を見ることで、罪に手を染めた理由を知ってしまう。それはただの私利私欲かもしれないが、復讐だったり、介錯だったり、良心からのものであることもある。そんな人の命も、罪があるなら閉ざさなければならないのがおれたち死神だ。

 善人を殺し続けたら、その人の良心を知りながら殺してしまったら。心はずきずきとじくじくと膿んでいくだろう。おれたちは忘れることで、傷をなかったことにできる。癒していくことができる。だが、シリンにはそれができない。人の死と罪の理由と、向き合い続けなければならないのだ。

 シリンの罪の数値は左肩……左上腕にある。見せてもらったところ、おれが死神になったときとそう変わらない数値が刻まれていた。十五年、人を殺し続けてきたのだ。その上での殺戮。シリンは悠久の時を人の死と業を背負って生きていかなければならない。

 理不尽だ、とリクヤとキミカは思うだろう。だから、言いにくい。

 シリンはそんなおれに言った。

「セッカさんが悩まなくていいですよ。僕は記憶が戻ったことだけ話しますから。僕の今までも、これからも、僕が抱えていくべきものです」

「シリン……」

 抱えすぎだ、とおれでさえ思う。

 裏切って、裏切られて、傷つきっぱなしのシリンの心が癒える日なんて、もう来ないのに。

「セイムと仲良くなったんですよ。それはきっと嘘なんかじゃないから、大丈夫です。もう誰かを裏切る必要がないだけで、僕は笑えますから」

 そう語ったシリンに何も言えず、おれは去っていくシリンを見つめていた。セイムの要望でマザーが死神界に草原の部屋を作ったらしい。一緒に花冠を編む練習をするのだとか。

 確かに、今外に出ても終わりかけの戦地ばかりで草花咲き誇る草原などないだろう。

 セイムが草原を求めるのは忘れてしまった友との時間を無意識に追いかけているからだろうか。おれが持ってきたあのネックレスをセイムは肌身離さずにつけている。あれを持ってきてよかったのか、おれは今になって悩んだ。

 覚えていることが救いにはならないし、思い出すことも救いにはならない。救いになるかどうかは人による。人によっては喪失だって救いなのだ。

 おれが考えても、仕方ないことなのだろうけれど、とおれはまた一つ諦めた。

 すると、リビングの扉が開いた。外に繋がる扉だ。新聞をもらいに行っていたキミカが帰ってきた。

 その姿におれはあれ、と思う。いつもつけているストールがなく、キミカはタートルネックのセーターを着ていた。

「あ、セッカ。おはようございます。今日も朝刊をもらってきましたよ」

「キミカ、ストールはどうしたんだ?」

 すると、キミカが表情を曇らせる。

「それが、朝から見当たらなくて。部屋に置いていたはずなんですけど……」

 表情が優れないのも無理はない。ひまわりの花びらの色をしたストールはキミカにとって大切なものだ。

 キミカは生前、その金色の瞳が珍しいために「神の子」とされ、勝手に奉られ、勝手に持て囃されていた。キミカの住んでいたところに稀子は神の子という謂われがあったにせよ、「キミカ」への信仰は異様なものだった。

 神様、我々に何かをもたらしてください──そんな願いを押しつけられたキミカは何の力も持っていない。神の子なんかじゃない、ただの病弱な人間だった。

 けれど、甲斐甲斐しい信者たちを優しいキミカが突っぱねることもできず、何かできないだろうか、と窓を眺めながら過ごしていたという。結果、無意味な延命を受け、最期は自分は恩恵のためだけに生かされているのだと知って、逃げ出した。

 延命治療を続けなければ生きられないキミカが、逃げてから長く生きられるはずもなく、死んだところをおれとユウヒが死神にして、うんぬんかんぬん、今に至る。

 そんなキミカを生きていると信じ続け、その人生のほとんどをキミカを探す旅に捧げた敬虔な信者がいたという。その信者が旅の途中で出会った少女にキミカの目と同じ色をしたストールを託した。その信者は今際の際にキミカとの再会を果たし、死んだという。信者からストールのことを聞いて、キミカは少女に会いに行き、ストールを贈られた。以来、キミカはそのストールを大切にしている。

 たぶん、その信者は唯一、キミカ本人を信じていたのだろう。その信心が実を結んで、起こった奇跡の証だ。何にも変えがたく、かけがえのないものだろう。

 キミカという名前の由来は「黄金の水瓶」だという。金をもたらしてくれると思って名付けたのだろう。そんなキミカの瞳をその信者は金ではなく、花に例えた。そんな綺麗な心がキミカは嬉しかったのかもしれない。

「失くしたのか? 死神界の中なら、マザーに聞いてみるか」

「そうですね。マザーはここの配置を把握しているはずですから」

 シリンのことについて、マザーにも聞いておきたいし、とマザーに呼びかけようとしたところで、キミカがそうそう、と朝刊を示す。

「終戦ですって。戦争が終わって、事後処理が色々あるでしょうけれど、私たちの仕事も増えるでしょうから」

「ああ」

 戦争はわかりやすく人が人を殺す人災だ。けれど、死神(おれたち)はそれに介入しない。戦争が起こることは仕方のないことであり、それぞれの陣営の主義や思想がぶつかり合い、何人もの死者を出して、ようやくわかり合う。わかり合う過程から争いを省けないのは人間のよくないところだが、下手に死神が介入して、人と人がわかり合う未来を混沌にしてしまうよりか、戦乱が落ち着いてから介入した方が世界の運行のためにもいいんだと。シリンや東暁のような過ぎた業を負う者は例外的に刈ったり、死神にしたりするが。

 戦争が終わって、世の中が落ち着いたら、戦時中に罪を重ねた軍人たちの命を刈ることになるだろう。五千年以上死神をしてきた身からすれば、瞬き未満のような時間だ。

「といっても、この長い戦争を生き抜いた猛者たち相手だ。駆り出されるのはおれやアイラやシリンだろうな」

「シリンは強いのですか?」

 あ、しまった。キミカはまだシリンが軍人だったことを知らない。何十人、何百人と殺し、虹の死神に選ばれるほど、人を殺せる人物とはいえ、その身の上は話されないと知りようがない。

「ええと」

「あ、セッカ、いたいた」

 言い淀むおれに声をかけてきたのは、別の扉から入ってきたユウヒだ。

「何か用か?」

「うん、話があるから私の部屋に来てほしい」

「わかった」

 断る理由がないため、日記を携え、ユウヒについていった。有耶無耶にしてキミカには悪いと思ったが。

 ユウヒの部屋に連れて行かれる。相変わらず日記が多い。少しずつおれの部屋に移してはいるのだが、まあ一万年分の日記だ。一朝一夕ではどうにもならない。

『待っていましたよ、セッカ』

「マザー?」

 ユウヒとマザーは混ざりかけのようなもので、近頃はユウヒ伝にマザーの指示を聞くか、ユウヒがいないときにマザーから呼びかけがあるかのどちらかだったので、マザーとユウヒがいると不思議に感じてしまう。

 しかしなんだろう、わざわざユウヒの部屋に呼び出すなんて、と訝しんでいると、ユウヒが朗々と語り始める。

「セッカは罪の数値も減ってきて、もうすぐ浄化だね」

「え、ああ」

 なんだ? 何の話だ? なんだか胸がざわつく。

「いやぁ、君の浄化の前に虹が七人揃ってよかったよ」

「……そういえば、虹が七人揃うことは、おまえの念願だったな。叶ってみてどうだ?」

「ふふ、そりゃ嬉しいさ。これで私たちは()に進める」

「次?」

 にこにこと話すユウヒの顔が能面のように思えてくる。言葉にしようのない恐怖が、じりじりと足の先から這い上がってくるのを感じた。

 嫌な、予感がする。

「セッカ、君にはもう少し死神でいてほしいんだ」

「なぜ」

「だからさ」

 ユウヒが机から奇妙な木彫りのものを手に取る。それには顔が書いてあり、手足はないが、人を模しているようだった。

「首を飛ばして。それだけでいいから」

「は?」

「ほら、これを、こうして、こう」

 ユウヒの指示のままに、死神の武器を取り出す。首を飛ばせということで今回は大鎌の形になった。

 それを一閃。

 鮮血が舞った。

「え?」

 罪の数値が増えていく痛みをじわじわと感じながら、おれは目の前で起きたことを理解しようとしていた。

 おれは木彫りの人形もどきを狙って、その首を飛ばしたはずだ。それなのに、鮮血が舞って、転がっているのは、ユウヒの。

 ユウヒの首。

「は?」

 おれは、何をしているんだろう……

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