淋しく佇む紫
※ここから三話出てくる「東暁」というキャラはお借りしたキャラクターです。
僕の名前はシリン。ちょっと前まで人間だった。今は死神をしている。
死神といってもただ徒に人の命を奪うわけではなく、人を刈る基準というものが存在する。
死神の世界の価値観では「寿命操作」というのが罪に相当するそうだ。簡単に言ってしまえば、人を殺したりすれば、それは人間に裁かれなくても、死神に命でもって償わさせられる。
死神もかつては人で、罪を重ねすぎた人や、罪を浄化することができずに死んだものが罪を贖うために死神として活動する。罪人を刈ることで死神は罪を漱ぐ機会を与えられるのだ。
その中でも選ばれた死神のことを「虹の死神」と呼ぶ。虹の名が示す通り、虹の死神には七席設けられており、その役割は死神全体の管理のようなもの。一、二回任務をこなせば浄化されるような死神たちの任務に付き添ったり、自ら任務をこなしたり、新たな死神となる人物の情報収集をしたりしている。
死神全体の管理は死神たちの過ごす死神界を管理する慈母神を名乗る意識体「マザー」によって行われており、虹の死神は末端と中枢を繋ぐ中間管理職のようなものだ。
僕が来て、一万五千年以上続いてきた死神の歴史の中で初めて「虹の死神」の七席が全部埋まった。
赤の席セッカ。白い髪に白い肌、死神には不似合いと言えるであろう白装束をしながら、最も死神らしい赤い赤い目を持つ人。
橙の席ユウヒ。死神の歴史が始まってからずっと虹の死神の橙の席を守り続けてきた人。話すと朗らかなのに、どこか寂しさを湛える人。
黄の席キミカ。黄金の目が特徴的で、笑うのが上手な人。体が弱く、任務をこなせないためにずっと虹の死神に在籍しているという。
緑の席リクヤ。文字の入っていないワッペンをつけている眼鏡の熱血漢。どこか空虚を感じる人。
青の席セイム。僕を死神にした天真爛漫な死神。一番死神らしくない彼は誰かの身代わりで死神になったそうだけれど、それを忘れているらしい。
藍の席アイラ。とても楽しくなさそうに、人を傷つけて、自分を傷つけているひと。吸血鬼らしい。
紫の席シリン。それが僕だ。虹の死神は死神になる代わりに、一つだけ願いを叶えることができる。僕はそれに失敗して、願いを叶えてもらったのに無に帰した愚か者である。
セッカさんが僕の話を聞いて、ユウヒさんから引き継いでセッカさんがつけているという虹の死神の日記を貸してくれた。何があったのか書いてほしい、と。
楽しい話ではない、といったら、セッカさんは「今までだって、楽しい話なんてなかったさ」と返してきた。日記は日記。その日あったこと、少し特別だったこと、特別に感じたことを徒然なるままに綴るだけ。
セッカさんはこうも言った。「おれはシリンのことを知りたいよ」と。だからペンを執った。
誰かから望まれるのなら、それだけでも僕は充分だったから。
僕は生前、軍人だった。
軍に入ることは僕が生まれる前から決まっていたことだった。戦争を仕掛ける側の好戦的な国で、変な宗教が流行っていて、若者は国に愛想を尽かしていて、万年人手不足なのだ。軍国主義者で愛国主義者の両親が、自分たちに子どもができたら兵役させると書面に判を捺してしまった。もちろん、生まれてすらいない僕に選択権などあろうはずもない。
生まれたときから、僕は立派な軍人になるためだけに育てられた。離乳食から致死量未満の毒物を摂取させられ、慣らされた体は案外頑丈に育った。頑丈にはなったけれど、体格には恵まれなかった。成長期に必要な栄養を十分に摂れなかったからだろう。それを両親は残念がったが、それを補って余りあるほどの才能が僕にはあった。
戦争でもしていなければ自慢にもならない、人殺しの才能だ。更には類稀なる記憶能力。速読能力、情報処理能力、情報許容量が優れていたために、僕は一見しただけで書面に書かれたことを記憶できたし、見取り図を暗記できた。
街はどこもかしこも荒れている自国で、僕は浮浪者に紛れてやさぐれ者を刈っていた。隠密行動は得意だけれど、この紫がかった髪は目立ちやしないだろうか、と悩んで、フード付きのマントを被っていた。あれは面白かったな。僕は正体不明の殺し屋で「死の隣に立つ死神」ということで「死隣」と呼ばれていたんだ。奇しくも本名と同じなのは、なんだか面白かった。
死隣の存在は恐ろしがられた。正体不明の殺し屋。結果的に治安を守っているだけで、どこの誰かもわからない存在を国民たちは怖がった。たぶん、国に属する者だと名乗っても、怖がられたと思う。国民にとっては国が一番怖かっただろうから。
僕は幼いながらに軍属で、治安を守るための暗殺者となった。裏切り者がいれば、捕まえて拷問の部署に引き渡したし、国民を守るために悪人を殺してきたつもりだ。国が正しいかどうかなんて考える暇はなかった。僕は五歳からその活動をしていた。休むなんて甘えだ。国のため、民のためとか考える暇はなかった。だって僕は軍人として役に立たなければ意味がないから。そう刷り込まれていた。それでも敢えて言うなら、両親のため、だっただろうか。自分が生きていく意味はよくわからないけど、人並みに親に認められたいという欲求はあった。認めてくれなくても、僕が悪者をやっつけたときに、僕の名前を呼んで、頭を撫でてくれる両親の手は好きだった。それだけだ。
八歳の頃には感覚器官がおかしくなるくらいの拷問耐性をつけさせられた。毒物だけじゃなくて、薬物への耐性もつけさせられた。自白剤とか、睡眠薬とか、色々だ。爪を剥がすなんて序の口。薬を飲まされて、身体中、中からかきむしりたくなるような痒みに襲われながら、何か一言でも発すれば鞭で打たれる訓練とか、お腹を切られたこともあったっけ。血がだらだらと流れるまま、放置されるんだ。助けてなんて言わせてもらえない。失血死寸前まで追い詰められたこともあった。
それでも僕がそこにいることをやめなかったのはもはや惰性だ。生きたいと思わなかったから、戦争の渦中にいれば、いつか死ねると思っていた。逃げていいよ、なんて誰も教えてくれなかったし、あれしか生き方も死に方も知らなかったから。
十歳になると敵地に潜入して情報を獲得するという諜報任務も増えた。僕が小柄なのを逆手に取り、敵軍の拠点の大人では通れないような場所から侵入し、脱出した。映像だけでなく、音声も正確に記憶できる僕は生きるデータベースだ。
自軍にとっても爆弾になりかねない情報倉庫の僕を軍はなかなか危険な任務には行かせてくれなかった。といっても、普通の人からしたら、将校レベルの人間が集まる会議に潜入なんて難易度がとんでもないだろうし、見つかれば蜂の巣だろう。僕は見つからなかっただけだ。
そんな僕に遂に難題な任務が課された。それは今、敵軍の中で最も名を挙げている東暁という人物の暗殺任務だ。彼を狙って、生きて帰った者はいない。それどころか拷問に精通する彼にこってり軍事機密を搾り取られた挙げ句に晒し首にされる始末だ。
よほどの馬鹿じゃなければ、この任務を受けたりしないだろう。選択権がないにしろ、難色を示すはずだ。
僕はそれを二つ返事でオーケーした。ただ、代わりに二年欲しいと言った。
もしかしたら、死ねるかもしれない任務。それに期限をつけたのは、ある程度実現するビジョンを示し、軍の信頼を勝ち取るためだ。
敵軍に、志願兵として入隊し、ガードの固い標的の懐に潜り込むために二年という期間を設けた。暗殺者はその間も送り込む。外からの暗殺者たちへの警戒は強いだろうが、内側からなら外からやるより成功率は上がる。そんな適当なことを言って、僕は潜入期間という自由時間を得た。
生きて帰るつもりなんてなかった。東暁大佐の暗殺任務に失敗した者たちが一体今までに何十人いるのかなんて、僕が一番知っている。
二年だけでいい。毒のない食事、安寧な寝床が欲しかった。目を閉じて、ゆっくり眠りたい。それが永眠となってもかまわない。
思えば、追い込まれていたのかもしれない。戦場でもいいから、フードを目深にせずに、風に当たりたい。誰もが言う当たり前のことを体感してから死にたい。
どんなに成功してももう撫でてくれなくなった両親の手を嫌いになりたくない。
僕が潜入任務、及び暗殺任務を引き受けたのはそういう理由だ。
潜入した敵軍は居心地がよかった。僕の髪の色を珍しがる人もいたけれど、荒れている自国とは国民性が違うのだろう。気のいい人たちばかりで、孤児という「設定」の僕を憐れみ、慈しんでくれた。
東暁大佐とも接触することができた。佐官の中でもトップな大佐という地位に就いている彼は別に前線に出なくてもいいはずなのに、前線で指揮をとっていた。カリスマ性というやつだろう。あの人はとても綺麗な人だ。僕の目にはきらきらとして眩しかった。
ここは僕の居場所じゃないというのはひしひしと感じていた。兵士だけれど、衛生部隊を率いているミアカ大尉に指摘されたのだ。
「シリン准尉。あなたはあらゆる毒への耐性があると同時にあらゆる薬への耐性もあります。どんな生活をしてきたのかはしませんが、薬による治療ができないレベルです。くれぐれも、怪我には気をつけて」
大尉は淋しそうな目をしていた。おそらく、採血などの様々な検査の結果を見て、察しているのだろう。僕はただの孤児なんかじゃない、と。それでも彼女は言わないでいてくれた。
大佐も僕を信じてくれていた。孤児という出自は関係なく、幼いのに能力が高すぎる僕を心配してくれていた。きっと大佐も薄々は感じていたのだろう。僕の動きは訓練された兵士のそれだ。
そんな温かい人たちを、僕は結局裏切った。理由なんてない。任務だったから。死にたかったから。このどちらかであるような気がするけれど、どちらでもよかった。どうでもよかった。
僕が生きるには、どんな国も生き苦しかったのだ。これ以上、ここにいてはいけない、といなくなるために、最悪の手段を採った。誰もが僕を恨んで、嫌って、死んでも何も思わないように。
当然、失敗した。拷問もされた。二年振りに爪を剥がれるのは痛かったけど、僕らしかった。前の生活に戻っただけだ。それがなんだか安心できた。
ただ、自国が最悪だということを僕は知らなくて、捕虜にまともな食事が出されることを知って僕は怯えたし、拷問された後に手当てをされて戸惑った。
これが優しいということなんだろうけれど、僕はその優しさを素直に受け取れなかった。怖かった。僕の今までが全部否定された挙げ句、上塗りされていくような感覚。僕という存在が風化するより悲しいことになるような。
人権というものが実在することを、僕は敵軍で初めて知った。スパイにこんな厚待遇なのには何か裏があるのかと思ったけれど、裏切り者も拷問されても最低限の食事は摂らせられるし、拷問を続けて情報を引き出すためとはいえ、きちんと拷問後の治療も受けることができる。
その優しさが、僕は苦しかった。そういう拷問じゃないのはわかっていた。普通人は、このくらいの優しさを日常的に受け取っている。これが当たり前だから怖くない。
でも、僕は、それがとても怖くて、知っていることを一つ話した。僕のこの任務のことを。
自国を裏切ったんだ。
瞬間、僕は耐えがたい嘔吐感に見舞われ、何に対してかわからないごめんなさいを紡ぎながら、意識を失った。
薄れゆく意識の中で、大佐が僕を抱きしめて、「僕は君のことが好きですよ」と言った気がする。
僕は何も返せない。
それがただ只管に淋しい。




